一部は当たっているだろう。福祉を仕事にしていた折口氏に対しマスコミから『所詮ディスコの経営者』『フェラーリに乗って看護は出来ない』という言葉が投げかけられた時はあまりの紋切り型に怒りを覚えた。彼は老人看護用にフェラーリを会社の金で買ったわけではない。彼が非難されるべきは、やってもいない作業代を騙し取ったことである。また、この背後にある福祉に携わるなら薄利で我慢せよと言わんばかりの考えにも異論がある。まっとうな利益ならそれを得てなにが悪いのだ。
ぼーずは福祉に関して言えば、善意に頼る部分、対価を支払う部分を明確に分けないと長続きしないと考える。老人に席を譲ったら電車の運賃を半額にしろは暴論だが、他人の看護を善意だけ、もしくは善意込みの低賃金でやれというのは現実的ではない。1日なら出来ても長期の世話は無理だ。まっとうな仕事でまっとうな利益を得ることは当たり前のことではないのか。
思うに問題は別にあるんじゃないのかな。先に挙げたいずれの起業家達からもヴィジョン、もっと簡単に言うと夢が感じられない。これが根本原因じゃないのか。会社の拡大、多角化には何をしたいのかを明確にしておく必要がある。本来は目的達成の手段である拡大路線だが、彼等はそれ自体を目標にしてしまった。佐高信氏が『理念無き拡大主義』と評したが上手い言い方だと思う。
これを書いているうちにNOVAや挽肉屋(ミートホープという皮肉たっぷりの社名であった)の悪事が表に出てきた。金を儲けるだけの会社。儲けの為には手段を選ばない経営者。ぼーずにはこれらをアジア的と笑い飛ばす度量が無い。理念ある会社を増やすには理念ある起業家達をサポートする仕組みが必要だと思う。石原都政は銀行のノウハウを持たないで、普通の銀行を展開し、今期5百億を越す大赤字を出した。どうせ赤を出すなら理念ある起業家に低利で貸す。貸付の審査は理念の有無なんてのはどうか。夢想的過ぎる?システムを考える余地はあると思うのだが。
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