揺れは益々ひどくなるが、棚からものが落ちるほどではないのでそのまま、上半身を机に入れ床に寝転がった。『外に出ますよ』と揺れをトラックのせいにした女性が声をかけてくれたが、職場がある建屋は屋根を支える鉄骨を柱にしている。中にいる方が安全と考え、揺れが収まるのを待った。
もうええ加減にせんかいと言いたくなる位長い揺れが収まりだし、周りを見ると誰もいない(笑)。非常時はまず原則論を通さんかいとボヤキながら避難所の社屋前に移動した。外の街路樹がまだ揺れている。避難中に自動地震案内が震度5と放送していた。問題は震源だ。約90年ぶりに関東大震災が起きたのか?これが東海地震なら中部はえらい事になっている。関西も無事では済まんだろうと思った。
実家に電話をするとつながるが出てくれない。気になったので揺れが続く中、職場に戻り、地震速報を開くと震源は三陸沖で震度7とある。印刷をかけるとレーザープリンターは問題なく動いてくれた。地震情報を持ち防寒着を着て再度、避難場所に戻る。その内、3時半に警戒は解除され所員は職場に戻れとの指示が出た。
椅子に座って数分後、再び大きな揺れが起こる。今度は素直に外へ避難した。日頃から粛々と進む9月の避難訓練を『本番でこんなうまくいく訳が無い』と冷めた目で見ていたぼーずだが、その危惧は現実のものとなった。揺れはこれでもかと言う位に何度も訪れた。
目の前のR254は流れているが高速道路は閉鎖されたらしい。取り敢えず納品に来た業者さん達には車を移動してもらった。再び地面が揺れ出した中、デザインの若い女性が近寄ってきて『遅くなりました。海外発送品です』と言いながらパッケージを渡してくれた。
あのなぁ、揺れてる中でもらってもねー(笑)。幸い空港行きのトラックはまだ待機している。『悪いけど貨物追加して。インボイス(発送状)は今出すから』と荷物を渡す。席に戻り発送状作成のためパソコンを操作するが・・サーバーにつなげない。リスク回避の為サーバーは遠隔地に分散させてあるとシステム部は威張っていたのだが、やっぱりね。
その後で栃木工場の同僚が亡くなったと言うニュースが入った。彼の冥福を祈ると共に、神戸の地震から16年経ち緊張感を失った我が身を反省した今日であった。もう揺れるなよ・・・と呟く端からまた揺れ出した。しつこいやっちゃ。
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