

私の好きな紀州寒蘭赤花、赤鳳について、


地図をたよりに、あっているかわからない道を何時間もかけて、不安になりながら進んで行ったのを記憶しています。手前の松根の集落には、赤鳳の登録者、糸へんに交

写真はありませんが、ある年、2輪で咲いた時花が大きく咲きました。その時、あの話に確信をもつようになりました。
過去のブログから、赤鳳の写真をスマホに取り込みましたので、今後紹介していきます。
以前、見に行った樺谷の入り口の樺谷橋の写真が出てきました。


地図をたよりに、あっているかわからない道を何時間もかけて、不安になりながら進んで行ったのを記憶しています。手前の松根の集落には、赤鳳の登録者、糸へんに交
に頁、糸へんに吉に頁、多分、こうきつさんと、読むのだと思うのですが、お宅がありました。お話しでも聞かせてもらおうかとおもいましたが、もう誰も住んでいない状態でした。
赤鳳の登録は1973年、私が生まれる一年前です。
私の寒蘭の師匠は、赤鳳が「どえりゃあ、花を咲かせる時があるんだよ」と、蘭舎にその時の写真を飾ってあるのを指差して、私が新宮に遊びに来るたびに、同じ話をよくしてくれました。
写真なので、本当にそうなのかな?といつも思っていました。

写真はありませんが、ある年、2輪で咲いた時花が大きく咲きました。その時、あの話に確信をもつようになりました。
いつか、よく咲くことを願って赤鳳を作り続けています。
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