類人エン(さすらいの詩~砂一詩集)

旅の終わりにこそ続けて流離う。
遠回りの道。
迷うな!それが真の勇気。
無限の嘆きは感謝。
神への祈りだ。

原色の街から その八 

2018-01-21 16:18:54 | Weblog
原色の街から その八 

チャイニーズと日本人は水と油の関係と評する日本の学者がいる。
チャイニーズの大雑把なふるまいや粗暴な仕草やデリカシーのない横柄な態度は日本人には我慢がならない。
その違いに日本人は寛容にはなれない。
そして、中国の発展が随分と遅れて旧態然とした一党独裁の封建制が多くの民衆の民主的価値観に触れることなく、理解することもなく独自の世界を作っていることからだ。共有できない文化格差がチャイニーズと日本人を引き離している。
その中国が20世紀の最後にようやく国を開放し、経済改革を強力かつ積極的に進めた結果、21世紀に入るとGDPが世界のナンバー2までにと目を見張るような大いなる発展の成果を上げた。一億円以上の財産保有者が4億人以上と言われるまでになっている。
今、敢然と立ち上がったチャイニーズは一貫した愛国教育を行い、富国強兵へとまっしぐらに突っ走っている。
西欧のあらゆる先進的文化は積極的に戦略的に受け入れるが一方では西欧文明は大敵との教育を同時に実施する。
一党独裁政府は貧困も含めて悪しき事全ては西欧列強の侵略によって被害を被ったからとの論法で悪いこと全てを西欧先進諸国と言う外敵の所為にしている。なるほどこれほど独裁国家にとって都合のいいことはない。民衆の不満を解消し、施政者に為政者へ直接向かわせないする手段として多くの国家が採用するプロパガンダである。独裁国家にとっては民衆の不満と反乱こそが脅威となる為、特に体制維持のためには民衆の目を晦ます必須の最善の道具となる。独裁国家は通常、独裁者の考え次第でどうにでもなるから都合がいい。故に歴史教育を徹底する。特に封建国家としてどん底にあった近代史は確かに外敵の汚辱の史実が存在する。その最初がイギリスである。1840年のアヘン戦争から中国は辱められ、蹂躙されるスタートを切ったのである。そして、1945年の最後に最後まで土足で居座った一番身近な敵として生きた教材として生々しく語られるのが他ならぬ我が日本国と言うことである。およそ100年余りの間に起った外敵から受けた確かな屈辱なのだ。
自国の悪政を問わない。そこが現代のチャイニースの対外的歴史問題の原点となっている。即、チャイニーズのアイデンテイの一つの精神的拠り所となっている。その為により強く愛国に傾斜し、富国強兵への強い願望となっているのである。その効果はやはり絶大と言える。国威発揚はこの古い新興国家には欠かせない。
1978年から始まった改革開放政策の成功と同時にそれらは更に強化されても緩むことは決してない。天変地異や戦争など国内や世界に大きな変動が起こらない限り、共産党一党独裁政府の基本方針と政策は変更されることはない。
そして、更には中国はグローバル社会において早くから核はおろか海底戦争や宇宙戦争も見据えた広大で深遠な長期戦略を推進している。それは中国の歴史始まって以来の大いなる挑戦であり、実験であろう。皮肉にもかつて世界一の広大な領土を征服したのはモンゴル族の皇帝と満州族の皇帝であったが中国共産党政府は漢族としては初めての挑戦となった。


原色の街から その七 

2018-01-20 23:24:54 | Weblog
原色の街から その七 

独りの世界にどんどん入り込んでゆく。これ本望と言えたのだ。二十歳の青春時、三畳一間で人生に失望し、一人悶々としてうな垂れ、ウイスキーを抱えて横たわり、真正面から自己糾弾していた頃のことが今、再び頭を擡げているようである。そして、その時のその顔色も生気がなく、歩く姿も幽霊の如く死人そのものであったと後に友人が評した。
体のエネルギーが迸る時期に太宰治の書を抱えて自己否定して酒を呷ったことが今、思い出される。ただ今は老いぼれてしまった体を持て余す。錆びついて動かなくなった機械の操作と処理に戸惑っている。
あの頃は太宰治の悲哀の美酒に完全に嵌っていたが今は麻薬のような飲み物も見当たらない。あるのは自分に自分で自分を𠮟咤激励する。退化し、老化した体に鞭打つだけなのだ。
あの頃は新宿三丁目近くの東京砂漠と言う風景と向き合っていた。
そして、絶望に打ちひしがれた情熱を唯一の救いの太宰治の芸術の美学に求めていた。
絶望の美に酔うことができたのだ。
今はその日本の日本的なものの影さえも見当たらないのだ。
たとえ青春の絶望の海にいたとしてもここチャイナには日本文化も太宰治の書さえもない。あるのは時計の時を刻む音、自分一人の息遣いのみである。
あの時は少年のころケガをした後遺症にも悩まされていたが今はようやくその後遺症の発生も少なくなっている。
生きていくと言うことは過去ばかりに捉われては生きづらいということである。前を見て、そして前を見て力のある限り歩き続けると言うことである。動物のように動物らしく生きるのである。そうすれば全てのしがらみを断ち切ることができ、その時に初めて自分らしくができて笑顔を作れる。そして、もっと人間らしくなることができるのかも知れない。
人間は環境の動物と言う。違い過ぎる異国チャイナの文明環境で生きる時には多くの元来もっていた良質な日本文化を捨て去り、多くのざらざらとした砂のような異文化に自らを投げ出すと言うことなのである。つまり、もう一度、赤ちゃんに戻り、動物に回帰して異文明の環境を受け入れるということになる。
しかしながら30年と言う長い年月を異文明の中で送るということになると寧ろ、研ぎ澄まされた濃厚な伝統的日本文化、偉大なる日本文明こそがより力強く新たに生まれてくるのである。
そして、パーフェクトに日本語で考え、日本語で書き、更により多くの日本文明を敷衍発展させるのである。


原色の街から その六 

2017-03-18 16:33:51 | Weblog
信介は思い起こしている。偶然の紹介からその船に乗った留学だったことを。よりによって大国中国を考えることなく選んでしまったからだ。
日本人としては死を意味した選択だった。
意義をなさない選択だった。
そこでは日本人と言えばジェラシー、妬み、恨み、敵視・・・細い目で斜視にしか見られていない誠に不愉快な環境だったからだ。
信介正直、訪れて初めて理解しなければならなかった。戸惑った。
そんな不毛の地には違いなかったが今日まで行き着くところまでこの国を離れなかったのは大きな経済格差のなせる業であったろう。しかも異文化異文明に身を置くことで実際には直接、日本人のあく抜きと開放感を味わっていたからだ。
途中、祖国にも何度か帰った。アメリカにも渡った。しかし、何時の間にか反日のこの国に戻っていた。
これは「ご縁」としか言えなかった。
中国人の友好とか友情が全く存在しえず、愚民として飼育された封建的な思考形態の古代民族の世界。民主主義の文明の価値観を共有できないハングリーな独裁国家。上げればキリがない。理解すればするほど嫌いになる。とことん理解したからこそ離れねばならなかったのだが離れなかった。何故、こんなに嫌っていたにも関わらず離れられなかったのか?一言、機会を失った。それだけだったろう。
一度、ムラを離れると簡単には戻れない。ムラ自身が排除するからだ。ムラがそう簡単に受け入れないからだ。祖国を思えば思うほど祖国は拒否反応を示す。皮肉としか言えないがこれが現実である。
日本人世界は相場が決まっている。日本人なら日本から離れてはならないのだ。落人、流刑、島流し、お国替えは日本の伝統であり、核心なのだ。死んでも離れてはならない。厳しい世界である。まして自ら望んで離れてしまっては瀬がない。言わずもがなである。しかも反日の国などに行ってしまっては何の評価も得られない。更には信念のない旅なら尚更である。
凧の糸が切れたのである。
だからご縁でこの国に住み込んだのである。

原色の街から その五 

2017-03-12 23:21:25 | Weblog
時は流れ星。4年が過ぎた。東京の子は中学二年生に終わりを告げていた。公立の小学校から公立の中学校。そして、一年後に公立の高校を目指している。学業はクラス10番手。希望の学校への進学は闇の中だ。ごく普通の歩みだが運動神経が鈍くてケガばかり。これと言って取柄はない。ただ父信介より既に背が10㎝ほど高い。この間、信介は体力が著しく衰え不安定になっている。狭心症で手術を余儀なくされすぐに東京の病院で行った。病室に横たわった姿を子がキラリと見つめていた。一つには中国生活の悪環境の食生活が災いとなった。もう一つには運動不足。更には精神的なプレッシャーと不機嫌な精神状態だった。
「死活」からの脱出に赤信号が灯っていた。未だに混沌とした嵐の海に彷徨う一隻の船の船底に身を横たえていた。
生きる勇気はコーヒーや緑茶などの嗜好品とチョコレートやかりんとう、クッキーそして、羊羹などの甘味品に縋った。勇気はカフェインに頼った。ストレスは甘味品に頼った。弾き出され、行き場を失った人生の行き着く先は反日の異国だった。二度、三度、幾度も国境の淵の死線を彷徨う。
とことん行き着くところまで行ったのだ。覚悟はとっくに決めていた。ただもう少し命を繋がねばならないと奮起している。
幼き子は20歳になるまで死なないでと言った。そうすればあと6年あるのだ。できる限り繋がねばならない。
腹6分目の健康食事と適度の歩行の実施で繋ぐ。あとは仕事を繋ぐ努力を続けられるかで決まる。心臓病の再発や他の病に侵されたときはそれまでだ。考えても無駄だ。限界が迫っている。ただそれだけだ。

原色の街から その四

2017-03-09 19:42:17 | Weblog
現地で生まれた我が子と共に暮らした5年余りの日々は多少のこと、つまり食品汚染、環境汚染、言葉汚染等々の情況と精一杯抵抗し、闘っていたから逆に実感が薄かったのかも知れない。つまり、子供の光放つ輝きとエネルギーがその全てをかき消したからだろう。生きる望みと力を全身に感じた年月だったからこれらの汚染に対する憎悪を跳ね返せたのだ。そして今、嵐が過ぎ去った後の廃墟のような佇まいに一人ポツンと取り残されていたのだ。
だからそこに広がる光景が信介には正に恐怖となったのだ。既にそれらの汚染を突っぱねる力が自分に見出せないのだ。更にはそれらの汚染が一段と力を増して信介に襲いかかっている。
部屋の窓辺からチャイナの街角を垣間見ただけで恐怖を感じている。この感覚は正常であるはずだ。だが今となっては他の選択技はないのだ。ここでこれからも一人生きて行かねばならない。そのことにはそろそろ覚悟に似たものが信介の脳を過ぎる。ここで一生を終えるのだろうとの意識が芽生えていることを背に感じている。背に感ずるのはそのような人生を背負ったと言うことに違いない。
ともあれ中国人よりも汚いものを見て、中国人よりもそれらを憎悪してここで一生を終ると言うことなのだ。
それでも自分がここでは異邦人つまり、外国人と言う身分故に一抹の希望があるように何処かで感じている。時にはこの身分が心地よさを与えている。ブルジョワでもない、もちろん、上流階級でもないのだが一種の身を隠す避暑地のような空間を辛うじて逃げる場所のように与えてくれているからだ。
そして、何処の場所、何処の世界、何処の土地、何処の国で生きようと一つ必要なことは「勇気」に違いないのだ。それが失われれば土砂の如く濁流に流され、ゴミの如く焼却場に破棄されるだろう。
そうなのだ、それは「死活」なのだ。死活問題なのだ!

原色の街から その三

2017-03-06 22:37:56 | Weblog
その三

このように下卑なところがこの世に現実に未だに存在すると言うのだろうか!
トイレは流さないのである。男性も女性も大便がそのまま残っている。小便の便器はそのまま痰壺になり、タバコの灰皿になり、何時も詰まっている。

トイレから出てくる男女全ては手を水で洗って手を空中にぶらぶら振りながら出てくる。空干しである。自然干しなのだ。
男性トイレのドアの内側には女性器をアップした落書きがあり、案の定タバコを押し付けて中心部が黒くなっていて破られて穴が開いている。
恐らく昔、子供のころ信介の日本の田舎の何処かで目にした光景だったかも知れない。うっすらと記憶が過る。

街へ足を運べば町のど真ん中のストリートで容易に目に飛び込んでくるのはお母さんに看取られて小さな子供が所構わず尿や便をしている。
しかも通りの路面は斑に汚れが染みついて一種独特の匂いが漂っている。
さっきのオフィスビルの中のトイレから漂って廊下に広がっている匂いが連想されて奇妙にも同じ味わいが重なる。
そして、通行人はポイポイと紙くずや不要物を平気で道路に投げ捨て散らかして通り過ぎる。それが皆、自然の動作なのだ。平気のへっちゃらなのだ。

この町は今では発展する中国の三大都市と呼ばれて大都市化の道をまっしぐらに走っているかなり有名な地方都市なのだが。結局、信介が一番腰を長く落ち着けることになった所だったから寧ろ憎しみの方が強い。つまり、中国人の気持ちを代弁できるほど生活の愛憎が理解できたのだ。但し、信介が目に止まったこれらの情景は普通の中国人には気がつかない。当たり前過ぎて誰も気にする人はいないのだ。恐ろしいほどの実態に、信介は出くわしている。もしかして信介自身もこのような現実に気付いたのはつい最近のことだったかも知れない。このような環境にはっとし目を丸くし、一人恐怖に陥ったのは信介が我が子を東京に進学させた後のことだった。

原色の街から その二

2017-03-06 07:46:13 | Weblog
その二

住めば都と言う。だがここは住めば地獄である。同質の価値の共有がないから別世界へ降り立った感覚である。自然風景・雰囲気風情・人の顔・人の様子・行動様式・食品と食事すら異なる。
猿の惑星と言うのがあったがそのような別の宇宙が存在する。特に日本からはあまりにも遠過ぎた環境と言わざるを得ない。
ただし、一面を見れば到底受け入れがたいがそれが視覚をヨーロッパ大陸からユーラシア大陸全域に東へとずらして行けばその広がりの中でこの大陸文化・文明を再考すれば妙に納得がいく。環境の異なりは容易に受容できるから不思議である。
信介のように日本主義で凝り固まり、日本文明至上主義者となっているからにはそれは到底理解できない。
島文化特有の自然感覚と情操と思考の構築は大きな太陽と太平洋の潮から形成されているからだ。
しかも独立した独自の神を崇める環境で育った。
まして、信介はこの大陸にやってきて時の流れを幾夜も繰り返し、半生を送ったところだからこれ以上の理解はない。評論家のように評論している訳ではないのだ。
そして、頭を過ぎる。人は死の直前に三度、寝がえりを打つのだと・・・。
死を選ぶためにこの大きな大陸へやってきたのではない。寧ろ、生を選択したからこのように大陸と真正面から相撲を取っているのだ。
そうなのだ、生きる為に信介は自問自答し、苦悩し、戦い、繰り返し一つの挑戦をしているのだ。
だから今、信介の存在が実体として姿を現しているのだ。
そう、生きるためにだ。
そして、遠くの平原の彼方に目をやり、その目を細め、その目が茫然と風呂敷を広げたかのように焦点も拡散する。

原色の街から その一

2017-03-05 20:22:18 | Weblog
原色の街から  (2012年03月04日11:29 )
その一

中国のジャングルに深入りし過ぎた。
失意だけが信介を襲う。
何処を見渡しても無限の砂漠地帯が広がるばかりだ。
溜息すら出なくなっている。
つまり、極限状態に立っているからだ。
追いこまれ、突き放され、無視され、友と共にすする祖国の水が断絶してしまった。

海辺を思い出し、砂に埋まっている小さな貝がらを探している・・・。
また、ここへ訪れる日が来るの?
さざ波の音は生きてることを、希望を、勇気をくれる。
そっと、耳を傾けてみる。
きっとまた、ここへやって来る日があると思う。
海の潮を肌に受け、波の音を耳に感じ、魚の匂いが漂うそんな風景に立ちつくす自分を眺める。

だがしかし、信介がいる大陸にあるのはただ残酷な馬の蹄の音と金属音だ。
そして、砂煙・砂塵が舞う。
でもどうしても帰らなければならない。来た道を戻ればいいのだ。道標もなくていいのだ。魂の故郷へと本能が道案内する。
荷があろうが無かろうが命辛々でいいのだ。

一匹のサンマに感動するように郷里が、祖国が信介を呼び続ける。

幻想日記

2017-03-04 23:11:18 | Weblog
新たなブログへと筆を進める。
それはトライだからさ。
生きてることそのものがトライだからさ。
だから出発は何時も訪れるのだ。

果たしてこのGooのフリーブログから何が発信されるであろうか。
筆者自身もまだ分からない。
兎に角、新しい船に乗船したかのように晴れ晴れとした気持であることは確かさ。
そうさ、その気持ちを大事にしてきたのではなかったのかい?
それを人生だと思い込み・・・!
喜望峰も大西洋もだ。太平洋もだ。
バスコダガマ・マゼランはこの地球から発したのだ。
この大地から櫂を漕いだのだ。

地球も、宇宙への旅も既にこの地球の人類の共通の財産となったのだ。

アメリカが背負ったもの。ロシアが再び背負おうとしているもの。そして、チャイナがそのプライドをかけて主張しなければならないものはこの地球上では必要不可欠なのだ。
そこで果たして日本は主張し、発信できるのだろうか?
地球を背負うと言うことは一体、何であったのか。
その責任と限りない葛藤と戦いは無限で永久なのだ。
ならば一体、日本は何を背負おうとしているのか?
何を一体、背負ったと言うのか?

否、日本は地球に人類に多大の貢献をしている。
そう確信している。
そして、これからもと考えている。
日々の戦いは実に獰猛でパワフルである。
いざ、日本は日本に負けてはならない。
日本は地球上の全てのパワーに怯んではならないのだ。
勇敢でなければならない。
しかも積極的な合作を躊躇してはならない。
そして、戦略を駆使しなければ淘汰される。

科学文化の発展。
政治外交の戦略の進化。
譲れないことはまだまだたくさんある。
だからこれからなのだ。
後ろを向いている暇などはない。
だから何時も出発が必要なのだ。
国家も地球も人類も皆、同じさ。

だからこの私一人の中でも出発は一生寄り添うのだ。
つまり、それは人生の最愛のパートナーだからさ。


筏に揺られて

2013-05-05 22:00:52 | Weblog
水浸しになった筏の上でしがみ付く。

この海は不思議な風が吹き、どっぷりと湿気に包まれる。

その90度以上の湿度が体を冷やす。

気温は決して低くはない。

寧ろ高めである。

南の風が冷たいのである。

これはどこからの偏西風?

恐らくエベレスト下ろし?

アジアの風だ。

インドシナ半島からの吹き込み?

もしかすると南シナ海からの赤道の熱帯雨林の風?

3月4月5月とこのシーズンはこの地方を湿度の地獄へと落し病気を呼ぶ。

春なのによく冷える。

水分が冷やすのだ。

さあこの海をずぶ濡れになりながら乗り越えてゆく。

アジア諸国行脚のタイムトンネルへと。

神の国の掟

2012-12-19 21:51:34 | Weblog
我々は神の差し出す鎖に縛られています。
神に奉仕する奴隷。
それが唯一この国での存在の自覚です。
唯一この国でのハッピーな生き方なのです。
この掟を破ったらこの国では生きられません。
どんなに蹂躙され虐げられようとここではこの掟を破ることは死でしかない。
故にこの国の山を、森を、川を、土地を仰ぎ見て手を合わせるのです。
この土地の精霊に命を捧げるのです。

未来の党は敗れました。

2012-12-19 21:32:15 | Weblog
未来の党は敗れました。
日本国民から拒否されたダメージは大きい。
今回、間違いなく100%民主党は崩壊することは分かっていた。
だが国民の目には過激な尖閣のデモを見せつけられ、日本領土への侵犯が日常茶飯事となり、しかも北朝鮮のミサイルの脅威を直接肌で感じさせられた。
それは地震・原発・増税・TPP・官僚制度改革などの直近の日本国の課題を忘れさせるのに十二分の効果があったと言わざるを得ない。
選挙の本質とは意外とそのようなところにある。
未来の党は準備も資金も無かった。
雑草のような未来の党は消えて無くなるだろう。
しかし、雑草だから何時までも踏まれ続けても強く生き抜くであろう。
今回、民主党が前回の選挙で国民と約束したマニュフェストの主要な政策を全て反故にした。その点において離党せざるを得なかった国民の生活第一、そして未来の党の主張を見る限り全く正しかったのだ。
但し、中央集権国家として成立している日本国の国是からするなら彼らは農民一揆の反逆児で謀反の反乱軍でしかなかった。
間違いなくこの国、キラリと光る官僚が仕切っていた。
この国の神に仕える官僚が支配していたのだ。
神つまり天皇である。
戦前は直接統治であったが敗戦の為に戦後はその神が天皇からアメリカに移ったまでである。
この強固な中央集権国家の機構と思想に変革がない限り日本国は永遠の神と官僚の国家なのである。
小沢一郎は恐らくそこまで思想が到達していた。
だから革命家の道を選択し覚悟していたことだろう。
ある意味で日本国成立の根本に係わった。つまり、トラの尾を踏んでしまったのだ。
政治家と思想家の一方の偉大なる夢想と妄想に蝕まれたのかも知れない。
この国での実現は甚だ困難であり、不可能と言えたのではないか。
それにしてもそのような理想がもし実現されたと仮定した時、日本国及び日本国の民にとり大きな利益となるであろうか?
もっと更に素晴らしい国になるであろうか?
一種の伝統や歴史に対する挑戦でもあるからだ。
西洋が発明した民主主義。東洋の中国などが持つ伝統的政治体制。日本にとってどのような政治体制が真にハッピーと言えたのだろうか???


日本社会の病巣

2011-11-03 15:58:08 | Weblog
子の親殺し、親の子殺し。そして、人と人が、男と女が殺し合いバラバラにする。
日本社会のヒステリー、それは現実であり、事実である。
だが親はおぶった!親は子を抱っこした。
少なくとも子が何歳かになるまでは感激し、一喜一憂し、地面を叩き、足で蹴って大喜びし、夢中で走り回った。
それが親である。
つまり、親は子に自分の全てを夢見るからだ。
自分の夢を全て子に背負わすからだ。
だが子は別の実体。
子は親そのものではない。
しかし、当然、子の過ちは親が請け負わなければならない。
生きることはそもそもリスクを背負うことから始まるからだ。
人の形になり、人らしい顔になり、一人前の人間に育て上げる。
それまでの間、それは親と子の長く厳しい人間の闘いである。
どのような形になろうと決して放り投げはできない。
どのような育て方になろうと最後まで放棄できない。
一人前にして、一息ついてそして、その時、親はこの世とさらばなのだ。
それが人間界の摂理であり、動物世界の因果である。
社会的人間と金を稼ぐ人間がこの世界を主動する。
ならば親は一旦、創造した我が子が完成した人間へと形成され、力強く勇敢に立ち向かってゆくことを願っている。
我々はこの人間界へと一たび足を踏み入れたからにはそこで精一杯戦う戦士でなければならない。
しかし、前向きな戦いは堅持しなければならないが異常な手法は自己否定だ。
人をあやめ、傷つける殺傷の行為は全く夢のない、暗黒の行為だ。
どんなにこの世が不条理で矛盾に満ちていようとも選ぶ手段は合法で合理でなければならない。
そして、人類の発展を大前提にしなければならない。
日本で生まれ育ったからには日本の発展を願い、日本の発展に寄与してゆくことだ。
どんな政治談議がされようと日本を売ってはいけない。
独立国家としての身分は健全で力強い発展を目指さなければならない。
家も国家も一つの単位である。
その単位が人類を形成する。
生きとし生けるものにこそ天下があるのだ。
それは即ち人類への責任である。
国家への責任である。
民族への責任である。
家族への責任である。
即ち人類愛を原点としなければならない。

スカイプさんとの・・・

2011-10-31 06:31:00 | Weblog
がめんがとまっちゃったよ
せいしじょうたいだよ

画面が止まちゃったよ
静止状態だよ

きれちゃった
切れちゃった

がめんがあらわれないよ

画面が現れないよ
うつってないよ
映ってないよ

ふあんていだね
不安定だね
きょうはへんね
今日は変ね

やっぱりおかしいよ=やっぱり可笑しいよ
きょうはだめだ=今日は駄目だ

しょうがないですね
しかたがないですね=仕方がないですね

きょうはあきらめよう=今日は諦めよう

なんだかへんね=何だか変ね
きこうのせいかしら=気候の所為かしら

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今日もお付き合い嘆いている

救いを求めて

2011-10-30 22:37:20 | Weblog
「神」が存在するなら救いを求めよう。

だがきっと「神」は公平に違いない。

だとすればこの人生は失格だ。

きっとたくさん「神」に背いてきたと思うからだ。

今更「神」に向かい祈りを捧げようとは虫が好過ぎる。

人生の壁に突き当った為、物乞いに転じたと見られても仕方があるまい。

これまで振り返れば「神」とは共に歩んできたとは言えない。

尊敬も祈りも捧げてはいない。

ただ、困った時だけの「神」でしかなかった!

この罪こそ償う必要がある。

そうではないか?

一人になった時、自問する。

孤独になった時に自省する。

そんな頼りない人生をやってきたことを嘲笑う。

お前!覚悟しなさい。

資本主義の社会で、人類は自然を乗り越えたと錯覚していたのだろう。

それでもせっせと神の下に詣でて膝間着く人々の何と多かったことかを知るべきだ。

酒も女も金も全て捨てた一人身に残された空間で洗礼を受ける。

それが恥多き一生の終着駅である。

今、自らを憐れみ神に救いを求める。

そして、地の中に横たわり、夢を繰り返し見続ける。

やさしき子守唄のような歌を呟きながら瞼を閉じる。

するとゆりかごに揺られるかのように安らかな世界へ誘う。

救いを求める。

即ちそれは永遠への旅への出立であった。