類人エン(さすらいの詩~砂一詩集)

旅の終わりにこそ続けて流離う。
遠回りの道。
迷うな!それが真の勇気。
無限の嘆きは感謝。
神への祈りだ。

スカイプさんとの・・・

2011-10-31 06:31:00 | Weblog
がめんがとまっちゃったよ
せいしじょうたいだよ

画面が止まちゃったよ
静止状態だよ

きれちゃった
切れちゃった

がめんがあらわれないよ

画面が現れないよ
うつってないよ
映ってないよ

ふあんていだね
不安定だね
きょうはへんね
今日は変ね

やっぱりおかしいよ=やっぱり可笑しいよ
きょうはだめだ=今日は駄目だ

しょうがないですね
しかたがないですね=仕方がないですね

きょうはあきらめよう=今日は諦めよう

なんだかへんね=何だか変ね
きこうのせいかしら=気候の所為かしら

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今日もお付き合い嘆いている

救いを求めて

2011-10-30 22:37:20 | Weblog
「神」が存在するなら救いを求めよう。

だがきっと「神」は公平に違いない。

だとすればこの人生は失格だ。

きっとたくさん「神」に背いてきたと思うからだ。

今更「神」に向かい祈りを捧げようとは虫が好過ぎる。

人生の壁に突き当った為、物乞いに転じたと見られても仕方があるまい。

これまで振り返れば「神」とは共に歩んできたとは言えない。

尊敬も祈りも捧げてはいない。

ただ、困った時だけの「神」でしかなかった!

この罪こそ償う必要がある。

そうではないか?

一人になった時、自問する。

孤独になった時に自省する。

そんな頼りない人生をやってきたことを嘲笑う。

お前!覚悟しなさい。

資本主義の社会で、人類は自然を乗り越えたと錯覚していたのだろう。

それでもせっせと神の下に詣でて膝間着く人々の何と多かったことかを知るべきだ。

酒も女も金も全て捨てた一人身に残された空間で洗礼を受ける。

それが恥多き一生の終着駅である。

今、自らを憐れみ神に救いを求める。

そして、地の中に横たわり、夢を繰り返し見続ける。

やさしき子守唄のような歌を呟きながら瞼を閉じる。

するとゆりかごに揺られるかのように安らかな世界へ誘う。

救いを求める。

即ちそれは永遠への旅への出立であった。



夜はいつも一人

2011-10-29 20:54:38 | Weblog
夜は何時も一人。

暗闇に入る時、時として自己を見失う。

自炊の蛇口をひねり水を流し、長い柄の鍋を持ちあげる。

何を食べようか?

呟く。

パソコンの前に座り、メールチェックをしてからニュースを目で追いかける。

ずっと耐えてきた孤独に再び立ち向かう。

孤独を守り、孤独と友情を交わしている。

この原点を改めて見直す。

パソコンと向かい合う時が全ての人生の出発点。

そして、地下鉄に乗り、群衆の顔を眺めている時の冷然とした孤独感。

街へ降り立ち、見知らぬ人々の往来に目を落している時の冷漠とした孤独感。

それを振り返りそっと安堵感を味わう。

夜空の永遠の闇に臨み、着実に自己の世界の扉を叩いている。

そして、旧交を温め合う。

きっと黒いカラスもこの闇に解けて一体となり、羽ばたいているに違いない。

力強いその大きな羽ばたきは永遠なのだ。

そして、そっと溜息を吐く。

大いなるさすらい

2011-10-24 16:27:20 | Weblog
さすらいは一時。
だが
冒険と挑戦に覆われたリスクの高い、しかも時間が長いさすらいを大いなるさすらいと呼ぼう。

さすらいは一時。
できるなら束の間の出来事であってほしい。
だが時には長引く。

何故ならさすらいは人生そのものだからさ。
人は絶えず何処かを彷徨っているのだ。
人間を自ら拒否したり、捨てたりしない限りは何処かを目指して彷徨っている。

夢のあるさすらいも大いなるさすらいと呼んでいい。

だが身を捨てた、死線を彷徨い、生きる屍の如きさすらいもある。
この世に絶望したさすらいだ。
しかし、それでもいいのだ。
生きてるならば。

人一人いない世界、知り合いが一人もいない世界、言語が通じない全く異なる異民族の世界、制度習慣が180度も違う世界へと彷徨い、極限の孤独の世界へと突き落とされる。
だが知人がいっぱいなのに全く冷笑され、嘲笑され、のけ者にされ、相手にされない世界よりはましだ。

点から線に伸ばしそして、線から面を広げる。
時間と空間が更に大いなるさすらいを創造する。

しかし、だがそのどれも結局、最終的に目指しているは懐かしき遠き故郷なのであろう。

さすらい人の目指すところ、それは・・・

2011-10-22 16:22:22 | Weblog

さすらい人。

それは帰るところを目指すことを意味する。

帰るところへの執着がさらにつづけて流離うのだ。

そして、祖国の崩壊を目前にした時、

さすらい人は初めて更に強烈な祖国回帰を熱望する。

その願いはさすらいの嘆きを超越してあまりある。

驚愕・落胆・悲嘆・願望・希望などが・・・・走馬灯のようにさすらい人の目の前をぐるぐる回る。

明日は帰国だ。

明日は帰るのだ。

此処にいてはならない。

明日こそは帰らなければ。

今まで大きな祖国に何の疑問も感じずにさすらいをやってきたのだ。

今こそ帰らなければ。

ゴキブリ、彼らは知っている!

2011-10-22 14:35:55 | Weblog
ゴキブリ、彼らは知っている!

ここはどこの家だ?だれが住んでいるかはお見通し。
ここは一人住まいの家、だけどご馳走は結構たくさんあるんだよ。
つまり、一人住まいの男やもめはあまり奇麗にはしていないと言うことだね。
でもね、大好きなのは油料理を使う家だね。
大好物!日本ではね、我々のことを「油虫」とも呼んでいるんだよ。
散らかして下さい!
汚して下さい!
そんな家が大好き。
玄関の前を横切る時すぐに匂いで分かるの。
ちゃんと、大平原を望むように我々の前には道がついているのだよ。
人間様にはあまり、ピンとこないよ。
我々はその道を辿ればどんな大きなお家や奇麗で豪華なお家でも餌を探しに行けるのよ。
大抵は玄関からお邪魔するんだけどお勝手口や窓や換気扇の口からもラクラクお邪魔。
ただし、時には天井裏、下水口も爬うこともあるよ。
しかし、人間様のお家は一番、安心で、一番幸せ!
何故なら食料には不自由しないからだよ。
しかも人間様はほとんど我々の訪問に気付かないからね。
ただし、ほとんどは人間様が寝床に就き寝静まってからが戦闘開始なんだ。
それでもリスクはあるんだ。
突然ばったり出会っちゃうことがあるからだよ。
その時は覚悟しないといけない。
我々を好きな人間は少ない上、我々を特に大嫌いな人間ぶつかったりすると大変!
人間様の武器は化学兵器だからぶん殴られ、足で踏んづけられるのは仕方がないとしてもあの兵器の一発を見舞われたりしたならもうお陀物だ。
追いかけ逃げ回り、走り回る隙を与えさせないからだ。
だから奇麗好きの家は入っても収穫は少ないからほとんど初めから避けて通る。
要は人間様に気づかれないことが一番肝心である。
場所によってはリスクとおいしさが比例し、高くなることもある。
人間の家を訪問する際は我々に危害を加える他の外敵はほとんどいないから安全である。
蜘蛛もヘビもネズミも出てこない。ネコも犬も相手にしない。
ヒステリックで我々に憎悪を抱く人間に出会いさえしなければ安全この上ないのだ。

俺たちは時には空中を自由に飛びはね、屋根から地下まで這う。

俺たちは人間様よりもしぶとく逞しい。

何故なら人類が始まる前から地球を住みかに生活している歴史は長く、輝かしい。

俺たちはだから人間よりも誇り高く、地球の誉れと思っているんだよ。

人間様よ!

俺たちの生きざま少しは分かったかな?

見てくれは悪くとも俺達の精神、俺たちの根性、そんなにか弱くはないよ。

何故ならこの地球の主と自負しているからだよ。

じゃ、また機会があればね。

さようなら。