類人エン(さすらいの詩~砂一詩集)

旅の終わりにこそ続けて流離う。
遠回りの道。
迷うな!それが真の勇気。
無限の嘆きは感謝。
神への祈りだ。

日本社会の病巣

2011-11-03 15:58:08 | Weblog
子の親殺し、親の子殺し。そして、人と人が、男と女が殺し合いバラバラにする。
日本社会のヒステリー、それは現実であり、事実である。
だが親はおぶった!親は子を抱っこした。
少なくとも子が何歳かになるまでは感激し、一喜一憂し、地面を叩き、足で蹴って大喜びし、夢中で走り回った。
それが親である。
つまり、親は子に自分の全てを夢見るからだ。
自分の夢を全て子に背負わすからだ。
だが子は別の実体。
子は親そのものではない。
しかし、当然、子の過ちは親が請け負わなければならない。
生きることはそもそもリスクを背負うことから始まるからだ。
人の形になり、人らしい顔になり、一人前の人間に育て上げる。
それまでの間、それは親と子の長く厳しい人間の闘いである。
どのような形になろうと決して放り投げはできない。
どのような育て方になろうと最後まで放棄できない。
一人前にして、一息ついてそして、その時、親はこの世とさらばなのだ。
それが人間界の摂理であり、動物世界の因果である。
社会的人間と金を稼ぐ人間がこの世界を主動する。
ならば親は一旦、創造した我が子が完成した人間へと形成され、力強く勇敢に立ち向かってゆくことを願っている。
我々はこの人間界へと一たび足を踏み入れたからにはそこで精一杯戦う戦士でなければならない。
しかし、前向きな戦いは堅持しなければならないが異常な手法は自己否定だ。
人をあやめ、傷つける殺傷の行為は全く夢のない、暗黒の行為だ。
どんなにこの世が不条理で矛盾に満ちていようとも選ぶ手段は合法で合理でなければならない。
そして、人類の発展を大前提にしなければならない。
日本で生まれ育ったからには日本の発展を願い、日本の発展に寄与してゆくことだ。
どんな政治談議がされようと日本を売ってはいけない。
独立国家としての身分は健全で力強い発展を目指さなければならない。
家も国家も一つの単位である。
その単位が人類を形成する。
生きとし生けるものにこそ天下があるのだ。
それは即ち人類への責任である。
国家への責任である。
民族への責任である。
家族への責任である。
即ち人類愛を原点としなければならない。