この宇宙の、絶対的要素!
「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」
あなたは「いま」「ここ」に「在る」!
こんにちは。
僕の住んでいる町は、横断歩道が少ないです。
なので、クルマが通り過ぎると「ま、いいか」と、赤信号でもヒョイと
渡ってしまうこともあります。
別に、そんなに急いでないのにね。
もちろん、引き寄せ経験初期のように「信号さん、いつもスムーズに
渡らせてくれてありがとう!」なんて考えながら歩いていると、いまも
引っかかることは100%、ない。
けど、
もうすでに、そういう感覚を自分に証明する、という段階は僕の中では
遥か過去なので、いまやそうする必要性も感じていません。
それよりも、もっと視野を広げて、でも相変わらず目に映るあらゆる
物事に感謝しながら歩きます。
(感謝する「クセ」は、あらゆる意味で、あなたを万能にする!^^)
それに、仕事中や作業中よりも、いろんなことに集中して感謝出来る、
とくに「ひとり歩き中」という時間は、けっこう貴重です。
これもひとつの、十分な「瞑想」時間です。←振動UPタイムのこと。
さて、
普段テキトウな僕でも、赤信号の時に、横断歩道の向かいに子どもが
待っていたりすると、ちゃんと信号を守ります。
―なぜ?
子どもには、小さい子には、見せたくない。
そんな、オトナ(と思っている)の身勝手ルールを。
―どうして見せたくない?
子どもに、そんな勝手している自分の姿を見せるのが、イヤなんだ
ろうな。
―なぜ?
そういうことをマネしてほしくないとか・・・こういう姿が「オトナ」
だと思われたくないから。
―他には?
そういう姿は、胸を張って子どもに見せられない。
―なぜ?
なんか、(大人として)恥ずかしい、と思うところがある。
・・・・なんか自問自答してますが (笑・これが「内なる自分との対話」
ですヨ^^)
この感じ、なんかに似ています。
そう、「カミサマ」という概念です。
物心つかないうちからなんとなく教えられた、目に見えないモノへの
教え。「カミサマ・ホトケサマ」という概念に対してのこころの持ち方。
「カミサマが見てるから、ズルは出来ない、ウソついちゃダメ!いつも
いいコで居なければならない」
「さもなければ、バチが当たるから!」
僕の家は無宗教でしたが、こういうのはなんとなく聞かされてました。
わりと一般的に、そんな感じじゃないでしょうか?
つまり、これまで考えもしませんでしたが、
僕らは街で見かける子どもたちの中に、「カミサマ」という概念を見て
いたんです。
いやいや。
なに言ってるの?
子どもがマネして、危ない目に遭ったら可哀そうだからだよ。カミサマ
とか関係ないし。
・・・そうでしょうね。まあ強く、カミサマかどうかは問いません。
でも概念はどうであれ、そんなあなたの「優しさ」こそが、紛れもなく、
「あなた本来の姿」だ!
それこそが、あなたの内側から自然に湧き上がってくる、本来の性質
なんだ。
「子どもがマネして、危ない目に遭ったら」
↓↓↓
あなた自身が、こころが傷つく。
↓↓↓
「バチが当たるよ!」
・・・ほら、やっぱりそうだ。
そして、それを、「神性」という概念で表現されることもあります。
あなたが、子どもにその「神性」を見たとき、同時にあなたも、あなた
のなかの「神性」と向き合っていた、ということなんです。
そして、ちゃんと信号を守る(笑)
この世は「鏡」です。
あなたの考えたことが、あなたの目の前に提供される。
では次は、その「神性という概念」 に関して書きます^^
☆
「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」
あなたは「いま」「ここ」に「在る」!
こんにちは。
僕の住んでいる町は、横断歩道が少ないです。
なので、クルマが通り過ぎると「ま、いいか」と、赤信号でもヒョイと
渡ってしまうこともあります。
別に、そんなに急いでないのにね。
もちろん、引き寄せ経験初期のように「信号さん、いつもスムーズに
渡らせてくれてありがとう!」なんて考えながら歩いていると、いまも
引っかかることは100%、ない。
けど、
もうすでに、そういう感覚を自分に証明する、という段階は僕の中では
遥か過去なので、いまやそうする必要性も感じていません。
それよりも、もっと視野を広げて、でも相変わらず目に映るあらゆる
物事に感謝しながら歩きます。
(感謝する「クセ」は、あらゆる意味で、あなたを万能にする!^^)
それに、仕事中や作業中よりも、いろんなことに集中して感謝出来る、
とくに「ひとり歩き中」という時間は、けっこう貴重です。
これもひとつの、十分な「瞑想」時間です。←振動UPタイムのこと。
さて、
普段テキトウな僕でも、赤信号の時に、横断歩道の向かいに子どもが
待っていたりすると、ちゃんと信号を守ります。
―なぜ?
子どもには、小さい子には、見せたくない。
そんな、オトナ(と思っている)の身勝手ルールを。
―どうして見せたくない?
子どもに、そんな勝手している自分の姿を見せるのが、イヤなんだ
ろうな。
―なぜ?
そういうことをマネしてほしくないとか・・・こういう姿が「オトナ」
だと思われたくないから。
―他には?
そういう姿は、胸を張って子どもに見せられない。
―なぜ?
なんか、(大人として)恥ずかしい、と思うところがある。
・・・・なんか自問自答してますが (笑・これが「内なる自分との対話」
ですヨ^^)
この感じ、なんかに似ています。
そう、「カミサマ」という概念です。
物心つかないうちからなんとなく教えられた、目に見えないモノへの
教え。「カミサマ・ホトケサマ」という概念に対してのこころの持ち方。
「カミサマが見てるから、ズルは出来ない、ウソついちゃダメ!いつも
いいコで居なければならない」
「さもなければ、バチが当たるから!」
僕の家は無宗教でしたが、こういうのはなんとなく聞かされてました。
わりと一般的に、そんな感じじゃないでしょうか?
つまり、これまで考えもしませんでしたが、
僕らは街で見かける子どもたちの中に、「カミサマ」という概念を見て
いたんです。
いやいや。
なに言ってるの?
子どもがマネして、危ない目に遭ったら可哀そうだからだよ。カミサマ
とか関係ないし。
・・・そうでしょうね。まあ強く、カミサマかどうかは問いません。
でも概念はどうであれ、そんなあなたの「優しさ」こそが、紛れもなく、
「あなた本来の姿」だ!
それこそが、あなたの内側から自然に湧き上がってくる、本来の性質
なんだ。
「子どもがマネして、危ない目に遭ったら」
↓↓↓
あなた自身が、こころが傷つく。
↓↓↓
「バチが当たるよ!」
・・・ほら、やっぱりそうだ。
そして、それを、「神性」という概念で表現されることもあります。
あなたが、子どもにその「神性」を見たとき、同時にあなたも、あなた
のなかの「神性」と向き合っていた、ということなんです。
そして、ちゃんと信号を守る(笑)
この世は「鏡」です。
あなたの考えたことが、あなたの目の前に提供される。
では次は、その「神性という概念」 に関して書きます^^
☆