先日、「ボヤージュ・オブ・タイム」という映画を観てきました。
予告編
↓↓↓
http://gaga.ne.jp/voyage/
解説
「ツリー・オブ・ライフ」「シン・レッド・ライン」の巨匠テレンス・マリック監督が、宇宙のはじまりと生命の歩みを
圧倒的な映像美で描き出したドキュメンタリー。
マリック監督が40年に渡って取り組んできたライフワークの集大成といえる作品で、ビッグバンから生命の誕生、現在までの
歩みを映像で辿り、生命の本質と人類の未来を探求する。
「マトリックス リローデッド」などのダン・グラス率いる視覚効果アーティストチームと、科学アドバイザーチームのコラボ
レーションにより、地球上と天空の自然現象や、マクロとミクロの世界が革新的な方法で表現される。
「ツリー・オブ・ライフ」でマリック監督と組んだブラッド・ピットが製作に名を連ね、オスカー女優ケイト・ブランシェット
がナレーションを担当。
「映画の概念を越えた」なんて宣伝されてます。
確かにストーリーを追ったり、理屈で見る映画ではなく、「感じる映画」でした。
「アートな映画」とでも言いましょうか。
BBCのようなドキュメンタリーか、というとそうでもない。(BBCは好きですが^^)
この作品を見て、高次のなにかを感じる人が居るかもしれません。僕の場合はなんかぼーっとしちゃって疲れてしまいましたが^^;
宇宙のシーンが映っても、それが宇宙のなにを表現しているかが分からない。パンフレットを見て、ああ、そんな感じか、と思う
ような。
まあ、それだけ左脳を使う映画なのかも。
たぶん、上映期間は短いでしょう。ただ、こういうのこそ、観るのは映画館で。
面白いかくだらないかは、ひとそれぞれなので分かりませんが。
さて、個人的なことですが、
相変わらず、いやおそらく以前よりもメディア離れをしています。
TVもほとんど見なくなってしまいました。一応、気になるものは録画するんですが、それもすぐ見ないで忘れていくもんだから
どんどんHD容量が減って行く^^;
ふとスイッチオンしても、ホントにどうでもいいものばかりが垂れ流されてばかり。
ああ、関係のないひとのことをみんなでどうこう言って、なにが楽しいんだろう?無関係な蚊帳の外から、いかにも深刻な表情で
意味のない分析を繰り返し、心配している風のコメントばかりで、ホント滑稽以外の何者でもない。
国会でいかにも、俺たち国を動かしている重鎮、みたいなオサーンたちも、真実の世界の枠組みの中では、会社で例えるところの
「出来ない平社員」ばかり。総理大臣も、せいぜい係長レベル。
しかもそのほとんどは、保身ばかりを考えていて、かつ思考停止、国民に奉仕する気もさらさらないのでタチが悪い。
相手にする価値もない(個人的に、です)
あと、話題はグルメばかり。
最近は、以前ほどお肉に執着しなくなりました。もちろん、オナカが空いたら調理しますし、美味しくいただく方がいいとは
思いますが、これでもかとTVに映るお肉にはうんざりです。
いまや誰もかれもがグルメ気取りで、素人のクセに「外はカリッとしてて、中はジューシー」って表現ばっかり。
なにがそんなに嬉しいのだろう。もっと野菜が食べたいよ。
グルメやスポーツも悪くはないかもだけど、もっと興味を引く大事なものがあるのにな。
そんな感じで、ならばゴールデンタイムのバラエティ番組を、何分見続けることが出来るだろうか?と思いやってみたのですが
(ヒマか・・・^^;)
1分も見ないうちに限界(失笑)
もう、見ていて気持ちが苦しくなるのです。
いまや、数年前まで大好きだったお笑い番組や、アクションシーン満載のドラマや映画も、ほとんど興味が薄れています。
もっと、穏やかな、優しいものがいい。たとえそれで、途中で眠くなってしまうとしても、そのほうが素晴らしいと思うように
なりました。
バシャールやアシュタールの言うように、「次元上昇」は急に起こることではなく、ゆっくりと、自然に、変わって行くことの
ようです。
「そうならねばならない」ではなく、なんとな~く自然にそちらに流れていく。
「あれから、何年経った」と聞く度に、ああ、あの頃に比べると、感じ方や考え方、趣向も興味も、いろいろとそういえば変わって
来たな、、、、、と思います。
時間を捉える感覚も、変わってきています。
僕らは「成り行くさま」を経験中です。
どちらを向いているのか、ゆっくりなのか早くなのか、それはひとそれぞれです。
早ければ優秀、というわけではありませんが、俯瞰で世の中を見ると、多くのひとはとても「被害者になりたがっている」と実感
してしまいます。
いつまでもセルフイメージが低く、愛からかけ離れています。
だから、目の前にいくら「幸せ」があっても、わざわざどこからか「不幸せ」を見つけ出して掘り起こし、身につけて拡大し、持ち歩き
ます。
常に「心配のタネ」を探し求めています。
そして持ち歩いている「不幸のタネ」の大きさや重さを雄弁に語り、「自分の方がタイヘンだ、不幸なんだ」と、たくさんのひとに、
かまってほしいのです。
常に尊敬といたわりの目で、注目してほしいのです。
あるいは、判断基準を他人に明け渡し、その評価のために生きています。その顕著な現場のひとつがツイッターです。
ひとに褒めてもらうことが人生のテーマになっています。
ツイッターやFBをやっている全員が、寂しいのです。
でもそういうことを自覚していないので、「そんなわけない」と主張しますが、それが逆にその証拠になっています。
仕事のため、とか言ったりしますが、いやいや、間違いなく、「ツイッターやFBをやっている全員が、寂しい」のです。
断言します。
でもそれは、大いなるミスリードが原因なのです。そして、それに気付けないこと、気付こうとしないことも大きいのです。
真実を語るひとをバカにすること。そんな態度をとっていたのに、情報公開後に被害者ぶることは出来ません。
なのでまず、「足るを知る」ことこそ、とても大事なことだと思います。
僕のいまの生活の中でも、土台となっています。
なんか久々に記事を書いたら、取りとめなくなってしまいました^^;
ではまた、愛とともに。
予告編
↓↓↓
http://gaga.ne.jp/voyage/
解説
「ツリー・オブ・ライフ」「シン・レッド・ライン」の巨匠テレンス・マリック監督が、宇宙のはじまりと生命の歩みを
圧倒的な映像美で描き出したドキュメンタリー。
マリック監督が40年に渡って取り組んできたライフワークの集大成といえる作品で、ビッグバンから生命の誕生、現在までの
歩みを映像で辿り、生命の本質と人類の未来を探求する。
「マトリックス リローデッド」などのダン・グラス率いる視覚効果アーティストチームと、科学アドバイザーチームのコラボ
レーションにより、地球上と天空の自然現象や、マクロとミクロの世界が革新的な方法で表現される。
「ツリー・オブ・ライフ」でマリック監督と組んだブラッド・ピットが製作に名を連ね、オスカー女優ケイト・ブランシェット
がナレーションを担当。
「映画の概念を越えた」なんて宣伝されてます。
確かにストーリーを追ったり、理屈で見る映画ではなく、「感じる映画」でした。
「アートな映画」とでも言いましょうか。
BBCのようなドキュメンタリーか、というとそうでもない。(BBCは好きですが^^)
この作品を見て、高次のなにかを感じる人が居るかもしれません。僕の場合はなんかぼーっとしちゃって疲れてしまいましたが^^;
宇宙のシーンが映っても、それが宇宙のなにを表現しているかが分からない。パンフレットを見て、ああ、そんな感じか、と思う
ような。
まあ、それだけ左脳を使う映画なのかも。
たぶん、上映期間は短いでしょう。ただ、こういうのこそ、観るのは映画館で。
面白いかくだらないかは、ひとそれぞれなので分かりませんが。
さて、個人的なことですが、
相変わらず、いやおそらく以前よりもメディア離れをしています。
TVもほとんど見なくなってしまいました。一応、気になるものは録画するんですが、それもすぐ見ないで忘れていくもんだから
どんどんHD容量が減って行く^^;
ふとスイッチオンしても、ホントにどうでもいいものばかりが垂れ流されてばかり。
ああ、関係のないひとのことをみんなでどうこう言って、なにが楽しいんだろう?無関係な蚊帳の外から、いかにも深刻な表情で
意味のない分析を繰り返し、心配している風のコメントばかりで、ホント滑稽以外の何者でもない。
国会でいかにも、俺たち国を動かしている重鎮、みたいなオサーンたちも、真実の世界の枠組みの中では、会社で例えるところの
「出来ない平社員」ばかり。総理大臣も、せいぜい係長レベル。
しかもそのほとんどは、保身ばかりを考えていて、かつ思考停止、国民に奉仕する気もさらさらないのでタチが悪い。
相手にする価値もない(個人的に、です)
あと、話題はグルメばかり。
最近は、以前ほどお肉に執着しなくなりました。もちろん、オナカが空いたら調理しますし、美味しくいただく方がいいとは
思いますが、これでもかとTVに映るお肉にはうんざりです。
いまや誰もかれもがグルメ気取りで、素人のクセに「外はカリッとしてて、中はジューシー」って表現ばっかり。
なにがそんなに嬉しいのだろう。もっと野菜が食べたいよ。
グルメやスポーツも悪くはないかもだけど、もっと興味を引く大事なものがあるのにな。
そんな感じで、ならばゴールデンタイムのバラエティ番組を、何分見続けることが出来るだろうか?と思いやってみたのですが
(ヒマか・・・^^;)
1分も見ないうちに限界(失笑)
もう、見ていて気持ちが苦しくなるのです。
いまや、数年前まで大好きだったお笑い番組や、アクションシーン満載のドラマや映画も、ほとんど興味が薄れています。
もっと、穏やかな、優しいものがいい。たとえそれで、途中で眠くなってしまうとしても、そのほうが素晴らしいと思うように
なりました。
バシャールやアシュタールの言うように、「次元上昇」は急に起こることではなく、ゆっくりと、自然に、変わって行くことの
ようです。
「そうならねばならない」ではなく、なんとな~く自然にそちらに流れていく。
「あれから、何年経った」と聞く度に、ああ、あの頃に比べると、感じ方や考え方、趣向も興味も、いろいろとそういえば変わって
来たな、、、、、と思います。
時間を捉える感覚も、変わってきています。
僕らは「成り行くさま」を経験中です。
どちらを向いているのか、ゆっくりなのか早くなのか、それはひとそれぞれです。
早ければ優秀、というわけではありませんが、俯瞰で世の中を見ると、多くのひとはとても「被害者になりたがっている」と実感
してしまいます。
いつまでもセルフイメージが低く、愛からかけ離れています。
だから、目の前にいくら「幸せ」があっても、わざわざどこからか「不幸せ」を見つけ出して掘り起こし、身につけて拡大し、持ち歩き
ます。
常に「心配のタネ」を探し求めています。
そして持ち歩いている「不幸のタネ」の大きさや重さを雄弁に語り、「自分の方がタイヘンだ、不幸なんだ」と、たくさんのひとに、
かまってほしいのです。
常に尊敬といたわりの目で、注目してほしいのです。
あるいは、判断基準を他人に明け渡し、その評価のために生きています。その顕著な現場のひとつがツイッターです。
ひとに褒めてもらうことが人生のテーマになっています。
ツイッターやFBをやっている全員が、寂しいのです。
でもそういうことを自覚していないので、「そんなわけない」と主張しますが、それが逆にその証拠になっています。
仕事のため、とか言ったりしますが、いやいや、間違いなく、「ツイッターやFBをやっている全員が、寂しい」のです。
断言します。
でもそれは、大いなるミスリードが原因なのです。そして、それに気付けないこと、気付こうとしないことも大きいのです。
真実を語るひとをバカにすること。そんな態度をとっていたのに、情報公開後に被害者ぶることは出来ません。
なのでまず、「足るを知る」ことこそ、とても大事なことだと思います。
僕のいまの生活の中でも、土台となっています。
なんか久々に記事を書いたら、取りとめなくなってしまいました^^;
ではまた、愛とともに。