「今産婦人科にいるんだけど、新生児検診に来てる夫婦2組いて、まだちっさい赤ちゃんを愛おしそうにずっと抱っこしてるパパと赤ちゃん泣いても永遠に顔色変えず真顔で携帯いじってるもう一人のパパとでは、奥さんを見ればだいぶ違いがわかる。余裕がありそうな綺麗な奥さんと髪も服もボロボロな奥さん。」(原文ママ)
そして、これに対して「そうですよね!」とついたリプライ(応答)が・・・
「綺麗なカッコして赤ちゃんほっとくママより、ボロボロでも笑顔で子どもと笑っているママの方が綺麗ですよね!」
あれれ?
と思ったのは私だけじゃないですよね。
おっしゃっていることはわかります。
そして、それも間違いではないと思います。
だがしかし。
先につぶやいている人は、「余裕がありそうな綺麗な奥さん」を讃えているのに、
「そうですよね!」と言いつつ、「ボロボロの奥さん方が綺麗」とはこれいかに。
説明するまでもないと思いますが、先の方は、
「旦那さんが育児に協力的なご家庭では、奥さんも身だしなみに気を遣うくらいの余裕があるんだね」
と言いたかったのだと思います。
それにリプライした方は、本意を読み間違えたのか、あえて自分の主張を披露したかったのか・・・。
こういうとき、大人の社会では「あなた話がかみ合ってませんよ。」と注意してもらえることはまれだと思います。
もしかすると、私自身、気が付かないうちにやらかしちゃってることもあるかもしれません。
ですが、こうやって個人が情報を発信できることが簡単になったご時世ですから、
国語力を磨いて、お互いに誤解のないやりとりができるような文章力を見つける必要性は、
以前にも増しているのではないでしょうか。
「国語力」は、国語のテストの点数を上げるためではなく、
人生をよりよく、豊かに生きるためにも必要です。
「テストにでる!」という個所を覚えたり、問題集を解くだけでなく、
ちゃんとした国語力を見つけられるよう、日々の勉強を大切にしてもらいたいものです。
「ワタシは、言葉にしなくてもみんながワタシのしてほしいことわかってくれるのよ~。」
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