ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◇ 帰国前に、もう一度ベルリンに ードイツ抵抗記念館へー

ハノーファー(Hannover)からベルリン(Berlin )へ。 

 ブランデブルグ門に着くと大規模な集会が。 
 なんじゃ、これ!!の集会に、旅する度に出くわすって、なんか運命的?!


 金属産業労組だという、大規模集会が行われる。
 集会のあとには、デモを行うようで、そうなると道路が封鎖されてしまう。


              
 ブランデブルグ門の広場を埋め尽くすほどの参加者人数。
 観光客にとっては、かなりお気の毒でした。

 私は、急いでバス停に向かう。
 時刻表通りにバスは来ず、気温35℃の炎天下でバスを待つこと20分余り。

 バスを降りたのは大使館が集中している場所。

 ヒロシマ通り。
 この通りを挟んで、第2次世界大戦時のまま、日本とイタリアの大使館がある。


 日本大使館。   

 
 イタリア大使館。 
 ここは、当時の日独伊三国同盟のお陰で一等地らしい。

 いろんな国の大使館前の通りを歩いて行くと、目指す建物があった!

 Gedenkstätte Deutscher Widerstand ドイツ抵抗記念館  
 Stille Helden サイレントヒーロー と記されている。

                

 Bundesministerium der Verteidigung  
 現連邦国防省。
 旧ナチス国防軍最高司令部や陸軍総司令部。
 
 敷地に入る。  

 庭の遠くに像が建っている。 
 手を縛られている。
 
 7月20日事件というヒトラー暗殺事件の首謀者5人が射殺された場所でもある。
  
                       

                

Hier Starben
für
Deutschland
AM 20. Juli 1944

以下の人たちがここで死んだ 
ドイツのために 
1944年7月20日に

                             Generaloberst Ludwig Beck
大将ルードヴィッヒ・ベック
                          
General der Infanterie Friedrich Olbricht
歩兵部隊司令官 フリードリッヒ・オルブリヒト

Oberst Claus Graf Schenk von Stauffenberg
大佐 クラウス・グラーフ伯爵・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク

Oberst Albrecht Ritter Mertz von Quirnheim
大佐 アルブレヒト・リッター・メルツ・フォン・クヴィルンハイム

Oberleutnant Werner von Haeften
中尉 ヴェルナー・フォン・ヘフテン


ナチスの高官将軍たちによるレジスタンスである。
映画『ワルキューレー』でトム・クルーズがフォン・シュタウフェンベルクを演じたことで有名なので、このヒトラー暗殺事件を知っている人も多いかもしれない。


連邦国防省内にあるドイツ抵抗記念館の入り口。 
 え、ここ? と若干逡巡するような入り口です。
 でも入り口の前に立つと、ドアが自動でサッと開きます。
 

 中へ入ると、中央、目の前には階段がある。 
 階段の壁には、レジスタンスで処刑された人たちの写真が、ずっと3階まで展示されている。
 本で読んで、見知った人を何人も発見する。
 エルザー、ハンスやゾフィやアレックス、フーバーの写真もある……。


                  

                  


 展示室で、出迎えてくれたのはエルザー。  

 ゲオルグ・エルザー。  

                


                


 エルザーが、ゲシュタボ本部で再現して見せた時限爆弾の写真。 

 何度も何度も写真でみた、ビアホール。 
 ビュルガーブロイケラー。


 そして次の展示室は7月20日事件。 
 シュタウフェンベルクとその仲間たち。


 左側の人が 大佐フォン・シュタウフェンベルク  

 爆破された"狼の巣"  
 それでも、ヒトラーは生きていた。

 7月20日事件に関わった人たちの組織図。 

 7月20日事件でヒトラーが処刑した人たち。 
 2000人と言われている。


 白バラグループの展示室。 
 白バラグループ関係の展示室では、高校生の校外授業が行われており、通りすがり「ゾフィ」という固有名詞が耳に聞こえ、思わずその開け放れたドアの前に立った私に講師の方が「どうぞ、入って」と言って下さり、入室したが写真撮影は遠慮した。
 この記念館の学芸員のような人が講師になり、白バラグループと言われるミュンヘン大学の学生によるレジスタンスについて、説明というか講義をしており、高校生ひとりひとりに意見を訊いていた。
 
 ドイツのナチ関連の施設へ行くと、必ずと言っていいほど、中学生や高校生の校外授業に出会う。


 シンティ・ロマのボクサー、ヨハン・ルケリ・トロールマン。

              
 彼もまた孤独なレジスタンスだった。
 彼については、また、あらためて。



 <追記>
 7月20日事件に関わったされた2000人の人たちが収容され処刑された刑務所へ行こうと思ったが、金属労組のデモのために、道路が封鎖され、バスがまったく運行しなくなり予定は中止。

 バス停に立っていたら、どこからかおじさんが現れて、「デモでバスは来ないよ」と教えてくれた。

 炎天下の中、徒歩で2キロほど、ブランデブルグ門まで歩き、地下鉄のUバーンに乗ってベルリン駅から、ハノファー行きの電車に乗った。






 <追記2>

 『ワルキューレ』 予告編 映画 洋画
                  


 ムッソリーニが、この爆破事件の1週間後、ヒトラーを見舞ったら、うつろな廃人のようにベットに横たわっていたと、記している。

 

 「悪魔と盟約を結ぶこと、魂の救済を放棄してしばらくの間この世のあらゆる富と権力を手に入れるために悪魔に身を売り渡すことは、ドイツ的本質の何か独特に近いものがあるように思われてなりません」(トーマス・マン)

 
 
 




 
 
 
  



 
 
                         



 
 

 

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