このブログでアクセス数が、ずーっと一番、多いのは、『二日月』について書いたページ。
私は、どんなことを書いたっけ、と読み直してみると、ほんと、たいしたことを書いていない。
アクセスして下さる方への情報としては、極めて不親切。
それなのに、驚くほどの人がアクセスしてくれて、ありがたいと思う。
それで、というわけではないが、こんな講演があるよ、とお知らせを、してみる。
きっと、面白い話しが聞けそうだって思うんだよね。
あらためて、『二日月』に向き合ってみよう。
と、考えてはみたが、やっぱり、まだ、書評らしきものは書けそうにないようだ。
う~むぅ。
いっぱしのことを、書きたいと思ってるんだろうなぁ。(ここが、わたいのアホなところだんよね~)
それで、視点を変えて、この物語を読んだ小学生に、私の言葉を聞いてもらえるなら、どんな言葉を、私は言うのだろうかと、探してみる。
一番、感想文に書いて欲しくないのは、「感動しました」って、言葉かな。
次に、おかあさんは、きっと主人公である健常者の杏ちゃんも、妹で障害を持って生まれた芽生ちゃんも、同じに愛しているし可愛いと思っているって、そういうきれい事も、書いて欲しくないかな。
いやいや、まだ、いたいけな小学生に、こんなこと望むのは、これって、かなり社会のウサを見てきた大人目線の注文かも。
だけど、どうしても、思う。
杏ちゃんと芽生ちゃんのおかあさんって、きっと二人の子どもを生んだ者として、心の中は、きっと混沌、模糊なんじゃないか。いつも、ナニモノかに耐え、ナニモノかと、闘う日々なんだと。
そういう、ナニモノかと、対峙しているのは、主人公の杏ちゃんも同じなわけで、その杏ちゃんの心中を、思う時、一人の大人として、子を育てた者として、私は、無力感に襲われるんだよね。
なーんも、適切な、アドバイスをできないわけじゃん。
ナニモノかというものが、何かって、私は、まだ分からないんだけど、
『二日月』というフィクション=物語の力って、こういうことを、読み手に、直に感じさせることをしてしまう、そういう「物語の力」が、あるということだと、思う。
で、作者いとうみくって、つくづく、児童文学作家だと思うのは、やっぱり、ちゃんと、前を向いてみせてくれるんだよね。
なーんも、適切なアドバイスもできない読者も、ちゃんと、救われる。
それが、207ページ。
オシマイから三行目。
でも、あたしはもう知っている。
この、センテンス。
たった、ひとこと。
そうなんだよ。
知ることができるんだよ。人は。
って、だから、どんな絶望の中にあっても、希望を失ってはいけないんだよって、私は、ボソリと思う。
やっぱ、ろくな事も、書けてないなぁ……。
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