原題『BROUGES-LA-MORTE 』の LA-MORTE は、直訳すると、『死の町(或いは寂れた町)、ブリュージュ』なのだろうか。
「死都」と訳した窪田船弥の言語的なセンスは素晴らしいと思う。卓越している。
荷風は、フランス遊学中に、この『BROUGES-LA-MORTE 』を読んでいた。
荷風自身がモデルだったと言われている小説『冷笑』(岩波書店)に、『BROUGES-LA-MORTE 』を言及している場面がある。
<吉野紅雨が「白耳義(ベルギーと読む)のロオダンバックが悲しいブリユウジユの田舎町に濯いだ熱情の文字などは却て郷土芸術の二ツとない手本であらう」と内心称揚させ、「悲しいロオダンバックのやうに唯だ余念もなく、書斎と家具と、寺院の鐘と、尼と水鳥と、廃市を流るヽばかりを歌ひ得るやうになりたい>
と書いてある。
『断腸亭日乗』に綴られている荷風晩年の東京偏奇館での暮らしを見ると、「唯だ余念もなく、書斎と家具と、寺院の鐘と、尼と水鳥と、廃市を流るヽばかりを歌ひ得るやうになりたい」の、まさにその日々である。
北原白秋もローデンバックを描いている。
「かはたれのロオデンバッハ芥子の花ほのかに過ぎし夏はなつかし」
『死都ブリュージュ』の物語は、妻に先立たれた男が、妻とうり二つな娘を見かけ、やがて、自宅に住まわせるのだが、彼女の我が儘放題、放埒な日々に、男は苦しみの果てに、ついに手に掛けるという話しである。
そんな話しに、ブリュージュは、よく似合っている。
荷風が絶賛したように、主人公の二人の心理描写は一行もないといってよい。
それにもかかわらず、人を描ききっているのである。
ただ、ただ、ブリュージュの描写がつづく。
書斎の家具、寺院の鐘、水辺の鳥、尼僧、を綴るのである。
このような、小説の手法もあるのである、と荷風も書く。
BROUGES-LA-MORTEが、なければ成り立たない物語であろう。
そして、後世、ここまで、人に語られる物語になっていただろうか。
それにしても、よくよく、このタイトルにしたものだと思う。
そもそも、中世のブリュージュは、川を利用した水運の貿易港で、大変な賑わいだったという。
それが川に砂が堆積して、船の航行ができなくなり、やがてさびれ行くままの、寂しい町となってしまった。
現在は、中世の趣を残した、鐘楼、教会、修道院などが美しい町並みが世界遺産にもなり、観光客が多く訪れる町になったが、その風景や、路地や、川べりを歩くと、どこか幽愁な雰囲気がする。
『死都ブリュージュ』に、描かれる風景のまま、愛の湖、白鳥のいる運河、鐘楼の音が在る。
ペギン修道院は、現在も修道女が、生活している。
ところで、この修道院は、オードリー・ヘプバーンの『尼僧物語』の舞台にもなった修道院。
因みに、いつの頃からかローテンバックいう表記になったが、私はローテンバッハの方が馴染み深い。
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