ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◇ ベルリン Berlin という場所

 ベルリンへは、ミュンヘンから6時間弱! 

 ミュンヘンHbf AM.9:54発のICE。 
 前日夕方に座席予約をしていて良かった!!


 以前にも宿泊した駅近のホテルにチェックインを済ませてから、まずはブランデブルグ門まで散策。

 地下鉄U55のホーム。 
 U55のホームには、このようにブランデブルグ門の歴史について、絵や写真によって展示されている。
 1989年、ベルリンの壁が崩壊。
 この時、TVで見た時の衝撃を、私は忘れることがない。

 私がオランダに住んでいたとき、ベルリンに壁はまだあった。
 隣国ドイツは、電車に乗っていると、あっという間に国境を越えてしまうのだけれど、
 でも、当時、ベルリンの壁に象徴される東ドイツは、とても、とても、遠い国だった。
 今では、想像もできないほどに。
  

 U55に乗って。  


 夕刻のブランデンブルグ門。 

 ブランデブルグ門正面の壁の跡。 

 ブランデブルグ門の前には白い十字架が。 
 これは、東から西へと、壁を越えようとして東ドイツの監視の兵士に射殺された人たちの慰霊の十字架。
 何度訪れても、痛苦。
 こんなにも、壁を越えようとした亡くなった人がいる。
 壁の崩壊1ヶ月前に、射殺された人、この人の十字架が、一番右端にある。
 

 国会議事堂。 

               
 ガラスのドームは、第2に次世界大戦のモニュメントのひとつである。
 議事堂内には、当時占領したソ連兵の落書きが残されている。


 1933年、この国会議事堂放火事件というのがあった。
 この放火事件は、実はヒトラーナチスの自作自演だったが、ヒトラーナチスは共産主義者による放火だという欺瞞とプロバガンダによって、ドイツ共産党を解党し一切の野党を認めないという、ナチスの一党独裁政治をもくろみ、その幕開けとなった。
 この偽装放火事件はヒトラーナチスは選挙で大多数の議席を確保することとなった。

 
 東ドイツ時代の信号機。
 これは東西が統一されたときに、一旦は撤去されたが、多くの国民から声があがり、ベルリン市内に復活!
 どこだったか、忘れちゃったけれど、ベルリン以外の街でも見かけた!!

   
  アンペルマンの愛称で親しまれている。

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