映画『ゴジラ-1.0』
内容の展開は、ほぼステレオタイプなんだけれど、それを越えて、時代設定の選択や、役者の演技、撮影のアングル、VFX、音響の使い方(無音も含めて)など、それらがとても良かったです。
主人公の神木隆之介、いつの間にかすっかり大人になって、もうほんとに良い演技をする役者になって、それがまず、良かったです。
情けない特攻隊員に、ちゃんと、しっかりと、可哀想なぐらいになっていました。
情けない特攻隊員の演技でいえば、『永遠の零』の岡田准一より、はるかに良かったです。わざとらしい嘘っぽい演技ではなかったです。
(『永遠の零』、これは原作も、かなり嘘っぽいです。私の母方の祖母は息子を特攻で亡くした遺族だったので、そのことを踏まえて言えば。)
神木隆之介の役名が敷島って、ちょっと凝ってるというか、拘りですかね、監督か脚本家かわからないけれど。
敷島と記された玄関の標札が、映像画面に度々、象徴のように描写されていましたよ。
相模湾にゴジラをおびき寄せるシーンで、多分、ロケに使われたのは海保の巡視船だと思うのですが、それが接触ギリギリですれ違うシーンが、胸に堪えました。
『ゴジラ-1.0』の時代設定は、第2次世界大戦の敗戦後1947年なので、まだ自衛隊も警察隊もない。
アメリカ占領下であり、米軍はソ連との関係で、ゴジラに対応させる軍を出せないという状況設定。
この設定には、少し無理がある。
歴史の事実としては、ゴジラが出現した1947年当時は、まだ米ソの関係は、緊迫状況にはなかった。
敗戦後の日本において、ここは我々だけで、頑張るぞというか、闘いたいということが意図があったんだろうと思う。
この時代設定に無理こそあるが、映画という表現の考えると、ここはさすが映画という創造の各担当ジャンルのプロ集団が創ったのだと思える、面白い作品だったと思いました。
例えば、敗戦後、シンガポールで英軍に接収されていた重巡洋艦「高雄」が、現れゴジラに撃沈される寸前まで、その主砲を撃ち続けるシーンなどは、圧巻だった。(実際の「高雄」は、接収された英軍によって、沈められている。)
戦闘機「震電」の登場にも、「おおっ!」と思った。
映画でも描かれていたが、「零戦」を改良したもので、実際には完成が間に合わず使用されなかった戦闘機であったらしい。
戦闘機おたくの宮崎駿なんか、この場面には衝撃を受けているんじゃないかと、邪推してしまう😅
それにしても、伊福部のオリジナル曲の、何気ない入り方も、良かったです。
心に響きました。
ゴジラは、やっぱり伊福部の、あの曲です。
私的には『シンゴジラ』より、よかったです。
<余談>
昔、北海道は、ソ連の最前線でした。
昔、北海道は、ソ連の最前線でした。
ソ連に、北海道沿岸で漁業を営む漁船が拿捕された、というニュースは珍しくありませんでした。
当時、父の職場にいた若い青年Oさんという方が、我が家に下宿というのか居候というのか、私たちと一緒に暮らしていました。
私たち姉妹は幼くて、その青年が夕食後、よく遊んでくれたり世話をしてくれたりしたことを、覚えています。
特に姉は、Oさんが大好きで、なにかにつけてOさんでなければならないと駄々をこねていたものです。
彼は、父に勧められて、海上保安庁の試験を受け、海上保安官になりました。
そのOさんが、台風のさなかに、救援に向かったソ連の船舶の乗り組み員を助けるために、両船舶の間に挟まれ、重症を負ったことがあるのです。
Oさんは、無事に回復し、やがて巡視船の艦長にまでなりました。
父が亡くなったとき、Oさんが葬儀に来て下さり、身内の親戚よりも涙を流していました。
そのO さんを思い出したのです。
* * * * *
映画館は、ススキノの再開発なのか出来たてホヤホヤのビルの5階です。
観光客に混じって、撮りました😄
ススキノと言ったらこれ!
幸せそうなカップル。
右、注目! G−1.0
ススキノのランドマークは、
こっち、じゃないよね?
夫と晩ごはん。
私はビール。夫はノンアル。
こんな感じのお店。
撮るのを忘れて食べちゃってます。
が、帰路、外食は、お蕎麦か、お寿司以外ないねってことで意見一致の夫婦でした。
そして、現在、自宅TVで、サッカーのイラク戦を観戦中。
内田が解説します!!