第二次世界大戦の弾痕の跡。
"WUNDEN DER ERINNRUNG " 記憶の傷と記されているのみ。
ほんと、目立たない。地味。
オデオン広場にあるフェルトヘレンハレ。
この、フェルトヘレンハレ(Feldherrnhalle)19世紀初頭に、ルードリッヒ1世によって建設。
1923年11月9日に、ヒトラーがミュンヘン一揆を起こし、この場所で警察に鎮圧され多数死亡者を出した事件。ヒトラーのすぐそばにいた友人は警官に射殺されたが、ヒトラーは生き延びた。ヒトラーの言うところの「神の恩寵」の始まりか。
ヒトラーの著書『わが闘争』はこの時に、逮捕されて獄中で書いた物。
オデオン広場のすぐ近くに、国家社会主義政府犠牲者広場がある。
この炎が燃えている塔はんんだろう?と思って、記されている文字を読まない限り、なんだか分からないで通り過ぎてしまいそう。
このモニュメントのほぼ斜め向かいに、ミュンヘンのゲシュタボ本部があった。
三角屋根に特徴があるので、
すぐに見つけることができた。
今は、銀行の建物になっている。
司法裁判所。
ここで、多くのレジスタンスの不当で不法な裁判が行われた。
また、多くのユダヤ人法曹人も解雇、追放、そして強制収容所で殺された。
現在も連邦裁判所。
今年の猛暑の6月下旬のミュンヘン探訪は、かなりきつかったけれど、自分の足で実感した、"記憶の傷"でした。
私の旅もいよいよ後半に入ります。
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