ひらた100km徒歩の旅

~ひらた100km徒歩の旅~
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団長日記

2013-05-19 16:38:25 | 第7回日記
5月19日(日) 全国100km徒歩の旅主催者研修 2日目

2日目の研修も終了。
今年から100km徒歩の旅指導者ライセンスが発行されるんですが、
何とか頂けそうです。
それにしても厳しい厳しい研修でした。
過去開催された研修の中でも一番きつい研修だったようです。
特に今日のプログラムは・・・。
事業開催に向け主催者として本気度を試されたプログラムでした。
私、立石・岩浅全員喉がかれて声が出ません。
この二日間、自身と向き合い、またリーダーシップがあるのか、
まさに丸裸にされた研修でした。


全てのプログラムが記してありますが、きっと皆さんにはまるで内容は伝わりません。

帰ったらレポート作成の宿題が待ってます。

博多駅についてこんな時間にようやく昼飯。


飯抜きのまさに激闘の研修でした。
両副団長本当に頼りになります。
腹が減っていたみたいで
とんこつラーメン替え玉まで注文してました(笑)

これから帰路につきます!




団長 松浦



団長日記

2013-05-19 00:17:43 | 第7回日記
主催者研修1日目終了。

ハードな1日でした。
学生スタッフへの指導方法を学ぶと言いながら、
つまる所自分の成長ということです。

研修プログラム一つひとつは詳しく書きませんが、
力にしてひらたへ持ち帰ります!





皆さん思いおもいの場所で、レポート作成。
明日は4:45起床です!

頑張ります!おやすみなさいませ。

団長 松浦

団長日記

2013-05-18 17:58:25 | 第7回日記
5月18日(土)

1日目前半戦終了!
元祖100徒歩の旅のつくし路100km徒歩の旅、
学生スタッフ合宿メニューと同じ内容で、
結構ヘビーです。

今風呂からあがり、これから夕食をとり、
後半戦は23時まで続きます。



こんな施設です。



他の団体もいます。
これは夕べの集いで歌を披露した九州大学合唱部の皆さんです。

さて、後半戦も頑張ります。

団長日記

2013-05-18 11:41:35 | 第7回日記
5月18日(土)

新幹線なんて久しぶりに乗りました。
1時間で着くんですね!



博多到着!





あ、暑い(;´д`)

会場は山の上にあるらしく涼しいらしいのですが。

仕事の都合で先回りしてた岩浅副団長も合流!



タクシーでに1時間乗って会場入りです!

団長 松浦


団長日記

2013-05-18 08:49:57 | 第7回日記
5月18日(土) 晴れ

一昨日の夜は、ひらた100km 徒歩の旅実行委員会を開催。
そして今日は、今年度第二回全国100km徒歩の旅主催者研修。
朝6時に平田を出発。広島から新幹線で福岡に入ります。

今広島に到着!




立石・岩浅副団長と参加してまいります。

研修会場は福岡県、国立夜須青少年自然の家。
どうなることやら、時間があればブログで様子をお伝えします。

団長 松浦

団長日記

2013-05-16 08:56:15 | 第7回日記
5月16日(木)

おはようございます。
三日坊主にならず朝は歩いております。

朝の光につつまれた我が母校平田高校。



今日もひらた100km徒歩、5日目の5区間目の関門コースを歩きました。





坂道を抜けるとこれも我が母校、平田小学校が見渡せます。



実行委員会メンバーは日々、学生スタッフ募集に奔走してくれているようです。

今日は実行委員会が開催されます。

私もスタッフ研修計画を提出しなければ…。

団長 松浦

団長日記

2013-05-13 21:39:42 | 第7回日記
5月14日(火) 晴れ

おはようございます。
昨日は暑かったですね、26℃?今日もそれぐらいになる予報が。
さて、一昨日の日曜日はGW休みのなかった自分へのご褒美に、
広島であったコンサートに行ってきました。
宿泊先三井ガーデンホテルから徒歩15分。


広島原爆資料館の前を通り、



会場へ。広島文化学園 HGBホール(旧広島厚生年金会館)です。

肝心のアーティストは




浜田省吾氏 現在60歳。

中学2年に初めてアコースティックギターを握り、
この人の楽曲に出会ったのは高2の春、友人にバンド加入をお願いされ渡されたのがこの人のテープと楽譜。
その年の秋に初めてコンサートというものにも行きました。以来のFunでして、この日はFunClub会員のためのコンサート。
楽しい時間を過ごす事ができました。その夜は初鰹に牡蠣に舌鼓!
英気を養うことができた日曜日でした。

先週は夜はまったく会議もなく、暇でしたが今週は過密スケジュールです。
今日はCATV取締役会議に明日は広島出張。
明後日は100km徒歩の旅実行委員会。
金曜日が平田小学校PTA役員&教員合同懇親会。
そして週末はいよいよ第2回全国100km徒歩の旅主催者研修第2弾!
福岡に立石副団長と岩浅副団長と参加してまいります。

どうも福岡ではトーレーニング系の研修もありそうなので、今日からウォーキングをスタート!
100km徒歩の旅最終日のコースが自宅の近所にあり足を運びました。



右に見えるのは旅伏山。



平田の町。



宍道湖の日の出!

さてまもなく100km徒歩の旅の学生スタッフ研修もスタートします。
現在33名の学生登録があるようです。
第1回の研修プログラムもほぼ出来上がりです。

さて!ハードな今週、頑張っていこう!

団長 松浦

団長日記

2013-05-11 08:30:58 | 第7回日記
5月11日(土)曇り

昨日の出雲大社60年ぶりの本殿遷座祭、全国版NEWSでも取り上げられてますね。
さすが島根が誇る財産!
地元にいると初詣でしか行くことがありませんが、100km徒歩の旅の休憩地で利用させて頂くので、
下見をかねて行こうと思ってます。一度電車で行き神門通りをゆっくり歩いてみたいものです。

また、昨日ネットのニュースをみて驚きました。
文部科学省の有識者会議は10日、学校の運動部活動の指導者がやってはいけない体罰などの行為と、
指導として認められる行為の具体例を盛り込んだガイドライン案を示しましたね。
具体的に示してもらわないとどこまでが指導して良いのか解らないとの声が現場からあったのでしょうか?
殴る、蹴る」といった暴力やパワハラの禁止、身体や容姿、人格を否定する発言の禁止は当然だとして、
炎天下水分補給なしでのランニング、特定の子供に過度な肉体的・精神的負荷も禁止。
バレーボールで、技能向上のために反復してレシーブさせるとや、
柔道で、初心者の生徒に受け身が必須であることを理解させて反復させるはOK!
これってひとつひとつの競技に指導法のガイドラインが示されるのでしょうか?
長年私は剣道をやってきましたが、どこまでがだめなのか気になりますね。
そもそもスポーツの上達は、肉体的・精神的負荷をかけてこその上達が前提ですから、
「特定の子供に過度な」の文言はとらえ方が難しく思えます。

しかしこれで極端に負荷をかけての指導が間違って伝わり、
よりひ弱な子供たちを生み出さないかと危惧します。
第2期教育振興基本計画の教育行政の4つの基本的方向性でも、「社会を生き抜く力」が挙げられていますが、
生きる力の醸成は負荷をかけ乗り越えるからこそだと思うのですが…。

団長 松浦


団長日記

2013-05-09 18:24:46 | 第7回日記
5月9日(木)晴れ

過ごしやすい天気ですね。
明日はぜひ晴れて欲しいものです。
明日はいよいよ平成の大遷宮「本殿遷座祭」です。
GWの人出も70万人と凄かったようですね。
今日は仕事で大社を通過。




めったにない島根のビッグイベント。大社の町も本当にきれいに整備され、観光地の雰囲気を醸し出してます。
一過性の賑わいだけでなく、これからも多くの観光客に足を運んでほしいものです。

今年は100km徒歩の旅のコースに出雲大社も組み込みます!


そのついでに、天気がよくついつい100km徒歩の旅の2日目コース。
天王山キャンプ場へ足を延ばして見ました。

出雲市を見降ろせます。坂道はとてもきついですけど…(笑)。



100km徒歩の旅は平たんなコースばかりではありません!

今月の実行委員会で募集要項を決定し、小学生参加募集をスタートします。

随時ブログでご確認ください!

団長 松浦



団長日記

2013-05-04 12:55:47 | 第7回日記
5月4日(土)曇り

昨日のブログで書いたように今日はオフ!
朝からパソコンに向かい、100km徒歩の旅学生スタッフ研修プログラムを作成しておりますが、
なかなかはかどりません(涙)。



そうこうしているうちにランチタイム。
一念発起してパスタ作りました!



お休みなのでワイン飲んでるのはご容赦下さいませ。

TVをつけると、TBS系で「世界ナゼそこに日本人」という番組がやっており、
思わず見入ってしまいました。

アジアの秘境ラオスで、日本人の団塊の世代男3人がさとうきびでラム酒をつくっているという内容。



2000年日本青年会議所中国地区協議会グローバルトレーニングスクールという事業でラオスに行ったことを思い出しました。
ラオス人民共和国・・・首都ヴィエンチャン 19世紀よりフランス植民地支配。
1953年に独立その後ベトナム戦争の影響も受けつつ、1975年ラオス人民共和国を樹立。
ベトナム戦争時、アメリカは約300万トンの爆弾をおとしたと言われていますが、
そのうち2割が地雷に不発弾として残っています。

当時国策であるダム建設により、強制移転させられた村の支援で水路作りに参加しました。
とても貧しい村でしたが、住んでいる方々は本当に純朴で、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。
しかし村に着いたその日に、村の乳児が急病になり日本スタッフで用意した車で病院へと走らせましたが、
何せ病院まで何時間もかかるまさに秘境で、道中亡くなられたという厳しい現実にさらされたことを思い出します。
しかし貧しさの中に幸せを見出しているラオス人に、豊かである日本人の我々が多くを学んで帰り、
当時国際支援と息巻いていた自分を見つめ直させられました。
その経験はのちの自身に大きく影響を及ぼしたのは言うまでもありません。


ラオスの子ども達と!


ラオスの若者たちと!


村人たちとのキャンプファイヤーでの一コマ。ギターを弾かされました(笑)。


ホームステイした家の娘、当時中学生だったかなケイちゃんということだったような。

GWのオフ日。TVで思わぬ感傷に浸ることができました。

団長 松浦