因果一如

㈱HIRO建築設計、代表者のHIROと申します。ちょっと個人的、ゆるーいけどディープな話題を書いていけたら…と思います!

研修旅行

2017-02-21 18:12:39 | 日記
18日、同業の先輩に誘われて所属する建築士会の研修旅行に参加してきました。

旅行の内容はともかく、普段なかなか同業の方々とつながりが少ないので丸一日同行された方々と色んな話ができただけで有意義でした。

まぁ、私が若輩者になってしまうような参加者平均年齢でしたが(笑)

一行は小田原市、松永記念館へ。

電力の発展に寄与した松永安左ヱ門氏の邸宅である老欅荘の見学。(つってももともと知らない方ですが)

数寄屋造りの茶室、風情ある建築の美を鑑賞してきました。いいですね。日本人で良かった。



係りの人が一生懸命その建築様式を説明してくれるのですが、黙って聞いてりゃいいのに、一部の諸先輩方は係員よりも知識をひけらかしてたりしてましたが、そーゆーのは良くないと思いました!(苦笑)

小田原は暖かく桜が咲いてましたね。(ソメイヨシノじゃないですが、なんとか桜って書いてあった)



そこそこ豪勢な昼飯を食いーの…



鈴廣でカマボコを土産で買いーの…



個人的にはちょっと楽しみにしていた小田原城です。



まぁ、再建された建物ばかりだし本丸も城の形はしてますが鉄筋コンクリート造のビル建築ですが、再建されたといは言え、常盤木門の「ちょうな」で削られた丸梁とかは美しかったです。




建築的な話はさておき歴史ロマンに思いをはせると…小田原城といえば豊臣秀吉の天下統一の総仕上げ「小田原攻め」の舞台です。

北条氏の名胡桃城(群馬県みなかみ町)攻めをきっかけとして豊臣秀吉が北条攻めをすることになったのです。


平城なれど難攻不落の城と言われた小田原城も、秀吉の石垣山一夜城であっとゆうまに四面楚歌。豊臣の軍勢に囲まれ逃げ場はなく、開城を余儀なくされたようです。

もちろん、海側にまでずらっとそうそうたる武将で包囲されていた小田原城。北条氏はどんな思いでその軍勢をこの天守閣から海をみていたのかな…



頼みの綱だった、東北からの援軍・伊達氏と徳川家康がもし北条氏についていたら…歴史はかわったのか!?

…なんてことを思いつつ(歴史オタク。気持ち悪がらないでください!)上州に帰参~!

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