ペンギン通信

一橋大学体育会バスケットボール部 公式ブログです。
記事は部員たちが書いています。

始まりと終わり

2019-07-22 17:54:00 | 2019

 わんばんこ!

 

今回は、私がバスケを始めたきっかけを話したいと思います。

 

 

何を隠そう私は野球少年だった。

チームにこそ入っていなかったが、幼稚園の頃から父親とずっと野球をしていた。吉田少年の肩の強さは凄まじく、小学校6年生のソフトボール投げは東海大菅生に推薦で行った親友の次に遠くまでなげ、高校時代のハンドボール投げは野球部を差し置いて学年3位になる程であった。下記の写真がハンドボール日本代表候補だった時の写真である。



 

そのため、中学に入ったら野球部に入ると決めていたし、甲子園に出場するという野望も持っていた。

 

吉田少年の入学した中学には、軟式野球部と硬式野球部があった。殆どの人が中学では軟式をやり、高校になると硬式にいくという中で、吉田少年はいきなり甲子園への近道のため、硬式野球部に入った。

 

 

 

 

当時、硬式野球部に所属していた同期は3人、中2の先輩が2人、中3の先輩が1人という状況であった。冷静に考えて、練習試合もなんもできない硬式野球部にいきなり入部するのはかなりcrazyだし、そもそも甲子園をあのメガネっ子8割高校で目指す時点でトチ狂った少年だったのだ。

 

 

 

 

そして事件が起こる。

 

 

それまでは体験入部という形であったが、夏休みの練習から本格的な入部という形になった。父親から買ってもらった新品のユニフォームを手にウッキウキして吉田少年は部活へ向かった。

 

 

 

 

3時間の練習のうち球拾い、筋トレなどして時間が過ぎ、練習が終わろうとしたところ、「ダッシュ」という号令がかかった。わけもわからない吉田少年は突然、高校生たちと同じ直線上に立たされた。そして、「20本」という声と同時に一斉に皆が走り始めた。

 

 

そう。なんてことはない「ダッシュ」である。野球部では当たり前に行われている「ダッシュ」。足腰を鍛えるのに最適な「ダッシュ」。野球漫画とかで主人公が大体限界を超えてまで頑張れる「ダッシュ」。

 

吉田少年は漫画の主人公にはなれなかった。

 

20m×20本という今から考えれば大したことない量である。しかし、中学受験で肥えてしまった吉田少年にはそれまでの人生で感じたことのない絶望であった。

 

初日はなんとか走りきったものの、これが毎日続くと思うととても耐えきれなかった。

 

 

そして、その日の帰りの電車の中で甲子園を諦めた。

 

 

硬式野球部を辞めた私は、次なる部活を探した。その中で、当時とても仲の良かった岩田少年(弟)が入っていたバスケットボール部を見つけた。そして、何も考えずに入部した。

運命ってそういうこと。しくじり先生でオリラジの中田も言ってました。「運命の人を見つけるんじゃない。出会った人を少しずつ運命の人にするんだ。」と

 

 

次回

『「ダッシュ」再び。決意する退部。』

 

そんな私も今年でバスケを始めて10年になる。

バスケ人生も後3ヶ月。

三部昇格まで後3ヶ月。

 

 



ねくすと いず じゅんきっき

文責:お昼れいぴっぴ

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1 コメント

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Unknown (ちゅうれいまさと)
2019-07-22 20:18:16
いや、俺が目つむってる写真勝手に使うなし
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