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広島の平和式典

2018-08-06 23:28:00 | 徒然(その他)

今日は広島に原爆が投下された日ですな。
テレビでも平和式典中継してました。
そのなかで、小学生男女二人組が「平和への誓い」という作文を読み上げるわけですが、その内容がちょっときれい事を並べすぎでキモチワルイことこの上なし、小学生のバックにいる誰かが原稿書いてるというか添削してるんだろうが、ちょっとひどいな。
全文は広島市のホームページに掲載されてるので気になる人はそちらへどうぞ。
冒頭、原爆投下直後の描写を情感たっぷりに、まるで見てきたかのように読み上げるのもアレだし。
文中、「平和とは、自然に笑顔になれること。平和とは、人も自分も幸せであること。平和とは、夢や希望をもてる未来があること。」と『平和』の定義をしてるわけですが、直後に「平和をつくることは、難しいことではありません。私たちは無力ではないのです。」とか言われちゃうと、おいおいおい、そりゃないんじゃないの?って言いたくなる。
そりゃまぁ式典の主題が戦争忌避による平和なのでお互い仲良く手を取り合って核兵器廃絶すれば平和で万々歳とか簡単に考えてるのかも知れないけど、自分たちで平和とはって定義した内容は笑顔だの幸せだの未来だのってきれい事を並べたわけで、それって戦争や核兵器だけのことじゃないじゃん。
飢えや貧困、児童就労、人種問題等々、笑顔だの幸せだの未来だのを奪い続ける問題は山積みなんだけどさ、戦争や核兵器以外の諸問題は一切無視して、折り鶴に願いを込めて世界へ贈りますとか言われてもな、折り鶴で飢えた子供達の腹は膨れないし不衛生な環境も改善されないし、それが原因で発生する伝染病も治らないし、児童労働力搾取もなくならないし、人種差別もなくならない。
今の日本じゃ戦争も核兵器も飢えも伝染病も直近に迫り来る危機ではないのにそんな立場から「平和を願っています」とか言われても結局は対岸の火事なわけだよな。
こういう事書くと正義感ぶった人が「子供の思いを踏みにじるな」とか詰め寄ってくるけど、本質を理解してないのに表面だけで平和を唱える事になんの意味があるんだか。
自分たちの環境が恵まれていることを理解した上で何が出来るか考えた結果、折り鶴にたどり着いたならそれでもいいさ。
お百度参りとかお遍路さんで世界平和祈るのとそう変わらないし、自己満足を得たいならそれはそれでいいんじゃないかな。
俺個人としては、人間だけが自然淘汰に晒されない理由がないと思っている。
大なり小なり集団が複数存在してる以上はそれぞれの集団間には相容れられない・譲れないなにかがあって、だからこそ集団が交わらない。
であればそこには必ずと言って良いほど摩擦や軋轢が生まれるので生き抜こうと必死になって自分の所属する集団を守ろうとし、敵対する集団を排除しようとするのが当たり前なのでそこに淘汰が生まれ、生き残ったほうが適合していくというのが多様性の本質。
戦争を一概に「過ち」としてしまうと、淘汰が停滞し人間という種としては進化する術を失ってしまうような気がする。
様々な文明が発展する原動力は常に戦争とエロスだよ。



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