和宮は婚礼時の約束である、京都にある亡き父の墓所に参りたいと再三幕府に願い出たが、かなえられなかった
一方家茂将軍は和宮の攘夷の望みをかなえようと、孝明天皇にも謁見し、忠誠を誓う
しかし、大阪に兵を率いて行った時、急死した (脚気と言われる)
彼の亡骸と共に、和宮がお土産として所望していた西陣織の衣が届いた
それを見た彼女は嘆き悲しみ、歌に詠んだ
空蝉(うつせみ)の唐織衣(からおりごろも)何かせん
綾も錦も君ありてこそ
異郷の地で支え合った夫を亡くして落胆したことだろう
結婚後4年でまだ子供もなく未亡人となった和宮は剃髪して静寛院宮と名乗った