長い間改装中になっていた岡本太郎美術館が再開したので見てきた。
どこが変わったのかわからないくらいほぼ同じ展示だった。
岡本太郎も写真は大好きだったようで、
オリンパスのカメラを愛用していたようだ。
企画展が岡本太郎芸術賞展で、こちらは力作ぞろいで時間を忘れて見入ってしまった。
長い間改装中になっていた岡本太郎美術館が再開したので見てきた。
どこが変わったのかわからないくらいほぼ同じ展示だった。
岡本太郎も写真は大好きだったようで、
オリンパスのカメラを愛用していたようだ。
企画展が岡本太郎芸術賞展で、こちらは力作ぞろいで時間を忘れて見入ってしまった。
私が担当していた昭和50年代の雑誌はグラビアがモノクロだったので、現像・プリント技術のある私は結構活躍の場があった。
しかしカラーフィルムが台頭し、グラビアもカラー化したら現像は専門の写真屋に依頼するようになり私の出番もなくなっていた。
個人的に生活の中ではモノクをを好んで撮影していたが80年代になるとカラーの良さもわかるようになり、モノクロの出番は少なくなっていった。
このすべり台の写真はカラーでもいい感じだけれど、
モノクロにすると素敵な雰囲気になると思えてならない。
大学を卒業して勤めた会社ではなぜか編集部に配属された。
文章を書くのは上手ではなかったが、写真だけは自信があって採用担当者はそこを見込んだようだ。
当時は写真は専門のカメラマンに依頼するのが編集者の役目だったが、それだと編集費がかさむというので、社員による写真課ができた。
私は写真を自分で撮っていたので、その写真課の社員ともウマがあったようで、現像室を借りて現像とプリントをさせてもらった。
そのついでに現像室の中でささやかな酒盛りをしていたというおおらかな時代だった。