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光と闇と創造

tasei
Ristorante TASEI

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最近、部屋の照明を消し外の明るさだけにした時、
テーブルの上にある小さな物があることに気づいた。。
食事の後だったので、子供達の食べ散らかしたもの。。
恥ずかしい話だけど、一応拭いたつもりだった。

天井照明という全てを照らす光がなくなったとたん、
それらは、うす暗い闇の中に浮び上がった。

はっとした。

まんべんなんく照らす人工の光は、生活から闇を無くし
生活を便利にした。
けれど・・・・・
失ったものも多かった。。

それは、全てが見えるが故に、「見て感じる」という
人間の本能的な部分での感覚を鈍くしてしまったのだ。

「見えている」のに「見えない」

闇があるから、わずかな光でモノの存在や質感が浮び上がる。
そんなわずかな存在を人間の目は捕らえる事ができる。
存在している事がわかるから、それを「認識しようとする感覚」が働く。
手で触るわけではないけれど「視覚」でそれを触っているのだと思う。

そうゆう積極的・本能的「感覚」が動くことで、人間の感覚が生き生きとするのではないか。。
その「感覚」が「生きている」から『創造』できるように思う。
『創造』・・その感覚が優れた者は芸術や技術の道に進んだ。
そうではなくても、普段の生活にそれは活かされてきたのだろう。

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外の光に浮び上がった食べカス達のシルエットは、
美しささえ感じ、感動してしまった。

明るく明るく作られてきた住宅。。
それに慣れて育った私達は、体だけでなく「感覚」も「ひ弱」になってしまった。

最近の流行りの住宅デザインになんとなく「違和感」を感じていたのは「光」の扱い方だとわかった。
あまりにも大きな窓は、自然光も均質に扱う傾向が多い。というより、光に「質感」がないように思う。

「感覚」な事なのでキリがない・・

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Ristorante TASEI
ここでの照明計画は、ソファーの後ろ、つまり壁際の間接照明で全体照明としました。壁は白。壁と天井の境は丸くしてあるので、間接照明の光は天井に回り込みます。全体にボヤッとした室内。そしてテーブルの上にスポットライト。料理が鮮やかに浮び上がります。

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部屋の蛍光灯をはずし、床置きのスタンドだけの照明にしてみませんか。
部屋の雰囲気が優しくなります。家族の顔も優しく、美しく見えますよ。

闇が美しい住まい!+ 志田建築設計事務所

コメント一覧

しだ
ichideさん
> 闇は極めてドラマチックです・・・・

そのとおりですね。
闇があるからこそ、信仰が生まれたのでしょうし、哲学が生まれたのでしょうね。

> 陰を消そうとすると光すらも見えなくなる

まさに、現在の人間社会の状況ですね。
闇をないもとする・・これでは均衡が失われます。
ジブリでも映画化された「ゲド戦記」は、光と闇の関係を綴っています。
闇は、未知のものであるゆえに恐ろしさを抱かせますが、それは、必ず全てのものが持つものであり、それを認識する事、そして受け入れる事で、自然が成立つのだ・・・
そう解釈しています。
光と闇は相反するものだけれど、お互いになければ存在できない、という事です。
光が強くなればばるほど、闇も深くなります。決して無くす事ができない。
なのに、光の力を過信している・・それが現在の我々です。

・・・
闇について我々の祖先は、豊かな感情を持っていましたね。
いろいろな言葉があります。。
(すぐに思いだせないのが悲しい・・)
ichide
闇は極めてドラマチックですが一般に毛嫌いされる...
http://boat.zero.ad.jp/~zbj91722/index.html
この感覚は病みを排除する世界観にあるとおもいます。
物事どうにもならぬ事が幾多あるでしょう、死とか老いとか別れや、腐る壊れる朽ちるとか、作用、反作用、善悪は逆からみても悪善となるような。。。
これら、あらゆる存在はどれも大いなる律動の一部だろうとおもいます、つまり、表裏一体で、どれも真実であるのですが、かたっぽだけ、光ある部分だけ観るような世の中、これがいうなれば近代性でしょうか。
ゆえに光の価値が見えなくなってる。(まるで、陰のない明りのような奇妙な事、陰を消そうとすると光すらも見えなくなる)
健全の、若さの価値が感じられなくなってる。
モノも人も空間も大事にされない事が多いのは
世の中で光しか見ようとしない、同時に存在するマイナス面を覚悟せずに何でも進めようとする、包容力が低下してるともいえるでしょう。
真実を知る人は闇の価値を知っているのであり、ゆえに、光を感謝に感じる事ができるのでないか。
しだ
phase2さん
はじめてイタリアに行った時、夜だったのですが
飛行機の窓から見た街は衝撃的でした。
街灯から建物の窓かこぼれる明りから全部
オレンジ色なんですよね。
旅行という事もあるけど、なんとなく楽しくなります。

白熱灯の色は自然の色に近いと言われるけど、色に
温度を感じます。

それに比べ、夜、地方から高速道で東京に戻って来た時
マンション群にともる蛍光灯の白い色に、寒気と落胆の気持を感じてしまいます。
人を寄せつけないというか、疲れを増してしまうというか・・・

> 中高年のセックスレスが増えていたりとかも、案外この辺に原因があったりして。

だからかもしれませんね。。
phase2
かつてニュージーランドに居たときに、住宅の照明...
http://esquina.blogzine.jp/viva
白熱灯での照明が大半でした。
何で?って尋ねたけれど、逆にそれが普通なので現地の人は、昔からこうだけど、くらいにしか答えてくれなかった。
日本は?と訊かれ、蛍光灯、と答えると、それじゃ昼間みたいでリラックスできないだろう、と言われました。

そう、夜なんだから必要以上に明るいのは不自然ですよね。
向こうの人は暗い部屋で本を読んだりテレビを見たりしていても、近眼の人の割合は、日本に比べると格段に低かったような気がするなぁ。
中高年のセックスレスが増えていたりとかも、案外この辺に原因があったりして。(^^ゞ
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