はっきり言って、こうゆう建築が嫌い。
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場所は千葉の本八幡。
再開発で作られた、低層部が商業施設、上部超高層マンション。
街を作る視点がまったくない。
「収支を形にしました!」 みたいな。。 (←若者風~)
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透明建築・・・というより ガラス建築 と言ったほうが正しいか。。
バブル期後半だったような気がするけど、その頃、ノーマン・フォスター、レンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャースという建築家が、一躍脚光を浴びた。彼らの作る建築は、「ハイテク」ともてはやされ、その象徴的な部分のひとつが、ガラスのカーテンウォール だった。(建築史的な話ではないので不確かな、そしてあまりに大まかな話ですが、ご勘弁を)それは、サッシがなく、ポイントでガラスを支持し、ガラス(だけ)の壁に見えるもの。
その後、ガラス建築が一気に広まった感がある。
フォスター氏達の考える建築の本意は、ガラス建築が目的ではなく、建築の工法や生産にまで踏み込んだ、もっとシステム的で、機械的ではあっても、人間の生活空間や環境を真剣に考えたものだった。そんなところの本質は、、、いつの時代も広がらない。。
ガラス建築のディティールは様々なものが開発されているが、写真のようなタイプは、日本中至るところに見られる形だと思う。・・・はっきり言えばローコスト建築だけど、ちょっと都会的に見せる、お手頃な手法。(まあ、これを都会的というかどうかは別だけど。。)
プレゼンの時のパース(絵)では、ちょっといい感じに見えるのかもしれないけれど、出来上りはこんなもん。ある程度敷地いっぱいの低層部のボリュームをごまかすのと、マンション部分の高層部分を隠す意味と、ふたつあると思う。
透明建築・・・と言ったのは、、、前面的にガラスを使う限り、設計者にはそうゆう意図はあるはずで、仮に、低層部を一社一括で使うなら、オフィスとして使うなら、広告などなく、意図通り、透明建築であるかもしれない。しかし、今時、しかも、(ちょっと)地方では、そんな需要もあるわけもなく、こまごまと細分化されたスペースでテナントが入る事になる。その場合、このガラス面はかっこうの広告スペースとなる。色も光も様々でにぎやかな壁面となる事は、だれでも想像のつく通り。
それが 透明建築 なのだろうか?「持ち主の正当な権利であり、踏み込む事は不可能」と、設計者は言うのだろう。ならば、こうゆう建築は作ってはいけないのではないか??
そんな、、そして、、どこに行っても同じように作られる建築は、、、ガラスの透明な建築であっても、、不透明に思えてしょうがない。・・・・というより、「イラっ」とする。。
再開発と言っても、一区画ごとバラバラで、都市計画の存在を感じさせるものは一遍もない。
要は、交通や防災が主体で、ひとがその空間で豊かになれかどうか、なんて事は関係ないのだ。「街づくり!街づくり!」と叫ばれ今、、こんな街づくりをいつまでやり続けるのだろうか。。。主体は、人であり、豊な環境を作るべきなのに。。
最初の写真の建物より、よっぽどこっちが好き。
銀行が使っている、無骨なビルだけど、、、救いようがある。
ちょっとフロント部分を、そして道路側のスペースを作り変えれば、街に豊な感じを与える事ができる。おしるし程度の花壇と業務的に取り付けられたポスターを無くし、、ああして、、こうすれば、、、すごくよくなるのに。。。 残念!
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市役所に相談に行った帰り、裏道を通ってみた。そこで見つけたこんなもの・・・
テント屋根? ・・・ アート? ・・・・
たぶん、もう誰も使わなくって久しく、雨漏りがひどく、でも壊すに壊せず、全面的にシートを張ったのではないかと思う。。こんな大々的なの見た事がない。
すごいぞ、、、本八幡。。