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たとえ簡素でも質のある家がいい

写真は前日行った、上野の花園稲荷神社。先に進むと階段を下り右手に本殿がある。そして

一段下がったところに、五條天神社がある。

今回の話は、神社ではなく 簡素で質のあるもの の事。

 

花園稲荷神社・本殿。小さな本殿だけどきちんと作られた建物で、しっかりと手入れが行き届いていて気持ちいい。

(家に置き換えると、家はもちろんだけど玄関まわりや庭の手入れがされていると家の印象がとてもよくなるという事)

花園稲荷神社本殿から一段下がったところに 五條天神社・本殿。

「一段下る」というのが、地理的な条件だけど、「より深い」「より安心な」という感覚にもなる。

(床の段を上げる、または下げる、という効果は住宅にも使える)

 

五條天神社・本殿。神社建築としては、大きさといいデザインといいとっても簡素だと思う。だけど、時間を経て材料の年季とともに、とても落ち着きがあり凛として心鎮まる心地良さがある。

この写真を見てもわかる通り、現在の住宅建築で使われる用語で表せば「自然素材」だけでできている。さらに昔から継承されてきたデザインは実は”とてもモダン”なのだ。”継承されたデザイン”と言っても種類・用途・地域によって様々に発展・変化している。でも・・「基本」というか「本質」は変わらない。

例えば写真のしめ縄。様々なデザインがあるけれど、材料は日本中共通してひとつであり ”結界(場所を分ける印)” である事は誰にでも理解できる。今の言葉を使えば、ユニバーサルデザイン。

この五條天神社のしめ縄は直線的でシンプルで、個人的にはとても好みだ。

 

本殿の隣にあるのがこちらの建物。直会所(なおらいどころ)・・か?

これを『住宅』だとして想像してみる。

家の東端正面に玄関があって、入ると西方向に広縁(ひろえん=外側にある廊下)が伸び、部屋がつながっている。広縁の外、南に緑豊かな庭がある。とっても落ち着く家。

神社であるから、こだわり抜いた意匠や材料を使っているわけではないだろうし、これが出来上がったのが大正の終わり頃だとしても、当時、普通の建物だったのではないだろうか。。

数寄屋のように簡素であっても「これでもか!」と職人のあの手この手が待ち構えてる建物とは違い、本当に穏やかな簡素さを感じる。

 

(ここからようやく本題)

 

自然素材でできた簡素な家・・ は ひとつの理想である。

少なくても昭和30年頃までは、「それ以外どうやって家を作る?」というくらい普通の作り方だった。なのに今では、「自然素材の家」は「値段の高い家」になってしまった。

自然素材で作る家とは、自然の理にかなった家、という事。

大きな壁面を作れば壁にヒビが入るから柱を表して壁の面積の単位を小さくする。

大きな部屋を作るには大きな材料を組み合わせて作るから必然的に家も大きな形になる。

つまり、材料の負担が少なくなるよう小さな材料を使い簡素な家を作る事が、経済的な家を作る事なのだ。

簡素で面積も小さければ、ますます経済的。

今、自然素材だけで家を作る事は簡単ではないけれど、簡素で小さな家ならば、それを実現する可能性も高くなる。全部に使えないとしても、『使えない部分』を少なくできるかもしれない。

 

自然素材が使えない家は、よくないのか?

自然素材でできた家は、それだけの価値がある。でも、自然素材がたくさん使えないとしても、それが「よくない」とはならない。実際私が設計している家で、予算の問題で、クロスも使うし合板も使う。施主には満足していただいている。「クロス使ってるからやっぱりよくないね」なんて言われた事はない。

 

簡素で質のある家

私が心がけるのは、簡素である事。質がある事。

お寺も好きだけど、私は神社のほうが好き。神社もいろいろで「好き」と言っても巾は広い。でも一番好きなのは、花園稲荷神社や五條天神社のような、圧倒されるほどの規模もなく近づき安く、そしてデザインがシンプルなもの。「簡素」という言葉が当てはまるのか?というのはあるけれど、神社建築の中でも「簡素」と感じられるもの。

簡素というのは決して、安ぽいとかつまらないもの、という事ではない。

構成を単純にしていく事。表現を単純にしていく事。

と私は考えている。『簡素』の反対語としては『装飾的』や『饒舌な』という言葉になる。

『装飾的』を否定をするのではない。むしろあこがれでもある。装飾によって豊かな空間ができるのも事実。建築において家具などを作り込む事も「装飾」の一部であると思っていて、素晴らしい造りつけの家具は、空間を豊にするものだ。

ただ、アマノジャクな私は、「装飾的な」(作り込まれた)ものが「ここではこうして、そこではこうやって・・」と、行動を決められてしまうように感じられて、だんだん窮屈になり、心地良さも減っていってしまう。

 

簡素とは

私が考える簡素とは、合理的で、美しく、ユーモアがある事。

合理的=必要な事を素直に表現する事。物事のあり方を単純に考える事

美しい=単純で調和が取れている事

ユーモアがある=不完全な人間の行動や暮らしにあるおかしさや哀しみを理解し、寛大な態度で楽しむ様子。辞書によれば「上品なしゃれ」ともある。

『合理的で美しい』とは、シンプルを極めていけばそういう事になる。ただし「極める」事がストイックになると、苦しさとなる可能性も出てくる。

しょせん不完全な人間がやる事だから破たんする事もある。それを頭ごなしに排除するのではなく、機転を効かせ意味や在り方に少し手を加え「ふっ」と気持ちがやすらぐようにする。

 

質がある とは

質があるとは、時間を経たものが醸し出す様子(雰囲気) と私は考える。

木や石などは、そもそもが時間が経たもの。その存在だけでも感じるものが違う。

さらに日焼けや風化して色や表面の具合が変わっていくが、それがまた深みとなり味わいが増す。

鉄などの金属も同様。「時間を受け入れられるもの、耐えられるもの」が「質のあるもの」。

 

大きな質に依存する

自然素材で作る事は理想ではあるが、現実的にお金の問題で難しい場合がほとんど。

でもあきらめられない。それで、床だけは無垢材を使う事、としている。

床は目で感じるだけでなく実際にその上を歩くわけで常に体の一部(足)が接している部分。

だから、無垢の、本物の、木を使う事の影響は大きい。つまり「床の質」が大きいという事。それに頼って「質のある家」としている。壁天井はクロスか塗装。使うものは、床の「質」を感じる事をじゃましないよう、至ってシンプルなものを選ぶ。「控え目」な材料というのも、それもまたひとつの「質」かもしれない。

 

50代からの家を考える

50代・・取り巻くいろいろな事の状況が変わり、人生というカードも「後半」へパタッと裏返る。不安を感じたり自分を振り返り悩む時期ではないかと思う。

あれもこれも、と持ち続ける事が不要になってくる。「たくさんある」事が重くなってくるのも理解する。身軽になって人生の後半をスタートする事が、50代には必要だ。

本当に必要な物は、これからも時間を共にできる本物だけ。

50代から考える家こそ、簡素で質のある家をお勧めする。

老化という自然の現象は避ける事はできないわけで、それを受け入れられる、そして変われる事がこれからの家には必要。

簡素で質のある家は、そういう家。そして人生を楽しめる家。

 

****

書きながらどんどん深みにはまりまとまらなくなってしまいました。この先、書き変えたり追記したする可能性があります。

 



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