horitaakioのgooブログ

88歳の老人ですけれど、天寿の続く限り頑張って見たいと思います

6.21(土) 曇時々雨

2003-06-21 16:40:00 | 日記
昨日はまさに台風一過の後の快晴、久しぶりの青空と強烈な陽光、夏の暑さがやってきた。
風邪気味で気分は良くなかったが、収納庫設置の予定場所がまた雑草におおわれてしまったので、日が傾いてから肉体労働をした。ところが何と夕方には業者から「長雨と台風のために予定が繰り下がって、来週木曜日に延期」という電話が来たではないか。無理して体動かしたのでふうふう言ってるのが馬鹿みたい。

アニキが例によって昨夜から泊まり込みでゲームをやっていたが、今日はサッカーの練習があるからとて昼過ぎに母親が弟を連れて迎えにきた。そして弟が入れ替わりに我が家に残り、兄貴は帰って行ったが、練習が終ったあとまた来て泊まるつもりである。とにかく頑張る。母親は兄を連れてきて弟を連れて戻るということに。

息子からも電話、今日退院するという。その後は会社に出勤しながらの通院ということになるらしい。


6.19(木) 雨後曇

2003-06-19 21:01:00 | 日記
台風6号が発生して以来、その進路が問題だったが、一昨日あたりから明らかに九州目指してまっしぐらという状況になった。
家内の心配性のタネが又一つ出来たわけだが、昨日の段階で既に南西諸島が暴風圏内に入り、今日明け方には九州西方海上に達し、昼過ぎには熊本県に最接近するという予報なのである。予想進路の最も東側を通れば上陸のおそれもあると言われては、こちらとしても用心せぬわけには参らぬ。
しかし今朝の気象情報では進路がやや北に向かっているということで、結局は五島列島から長崎県の西端を日本海へ抜けて行った。

当地では朝から雨、風はさほど強くは無いという程度、それでも学校は休校(日奈久から孫が報告とゲームの進捗を指示する電話)JR全線運休という事態になったのである。
ふだんは全くといっていい程つけない我が部屋のテレビだが、昨夜と今日はNHKの台風情報をつけっぱなしである。
午後に入って雨はやんだが、吹き戻しの強風が窓ガラスをガタガタいわせていた。

こちとらは朝起きたときから気分が悪かったが 咳、鼻水など明らかに風邪の症状。
「風が吹いたら風邪をひいた」では洒落にもならぬ。




6.18(水) 雨

2003-06-18 14:48:00 | 日記
今日もまた雨。気温が下がって長袖シャツを着込んだジイサマ、PCの前に座り込んで足先が冷たい。靴下はくか? まさかひざ掛けでもあるまいけれど。老妻は風邪声である。

        梅雨冷えや老いたる妻のひとりごち

それでも、四十年も付き合ってる親友が腸の手術で入院中の病院へ雨の中を出て行った。はるばる横浜から出てきた友の娘が今日午後の飛行機で帰るというので会ってくるとも。幼い頃から良く知っている彼女も膵臓などの病い持ちで痩せ細っているらしい。亭主の両親と同居しての生活が良く続けられるものだ。元(今もかな)ピアニストなのだが。

「人生いろいろ」なんて演歌だけじゃない。 我々の人生、みんなそうなんだから。

6.17(火) 雨

2003-06-17 21:36:00 | 日記
今日も一日雨が降りました。庭木の青葉が濡れて光り、何の花もない光景ながら、しっとりと落ち着いた味わいを見せております。

      青梅雨や波うつこともありて老い

昨夜、息子が電話してきた。Ⅹ線検査の結果、石はハッキリ見えず、今後輸液治療(点滴続けること)で尿管から膀胱へ降りていくのを待つということに。糖尿のこともあって体は動かした方がいいと言われていると。痛みがひどくなければ、そんな入院生活も仕方ないが、長引いてくれると費用の方が心配。

6.16(月) 雨

2003-06-16 16:30:00 | 日記
息子たちを学校へ送り出した後の娘が朝9時には車で迎えに来た。今日は家内の受診日で熊本大学病院まで乗せて行くのである。診察は11時からの予約だが早目に出て行く。高速道を走るからさほど時間はかからぬのだが、悪くすると市内にはいってから渋滞にひっかかる。

診察は術後の経過を外と内から調べて、カルシウムの内服薬や湿布薬などを処方してもらうだけ、終ってから息子が入院している病院へ回ることに。娘がケータイで報告してきたが、今日またX線検査をする。紹介元の医院からの連絡があっているから食事は糖尿向けで養生には良さそう、少し痩せたみたいという。とにかく早く退院できる方がいいのだが・・・
二人はその後近郊に住む家内の姉の家に顔をだしてから、三時半頃帰りついた。

外はしとしと、内はじめじめの梅雨の候である。

6.15(日) 曇

2003-06-15 19:27:00 | 日記
朝起き抜けからPCの前に陣取った孫、昨日に続いて「F.F.XI」にはまり込んでいた。
午後から父親が会社の若手の結婚式に列席するということで、母親は会場まで車で送って行き我が家で待機することに。もちろん下の子も連れてきた。昨日の不機嫌の原因になったプレステ、本日は自分からご持参でバアサンの部屋のテレビに繋いで「自動車レース」を一人でやっていた。アニキとは別の部屋、別のゲームなのである。兄弟は他人の始まりというが、とりたてて仲が悪いわけではない。時として兄貴風を吹かせることはあっても。

父親が帰って来るまでの時間、母親はバアサンを乗せて買い物に出たので、例の如く二人のお相手はジイサマだけの仕事となる。その間、アニキは宿題のプリント2枚をゲームの片手間に仕上げた。算数の九々の復習ではタイムを記入する欄があってジイサマが計時係も勤めたりする。ほかには割り算の演算と漢字の練習。
三時過ぎには父親がタクシーで帰ってきて、四時半頃、揃って引き揚げて行った。

その後はいつもの老夫婦だけの静かな時間が流れている。入院中の息子からは状況報告の電話がきた。



6.14(土) 雨

2003-06-14 21:41:00 | 日記
昨夜降り出して今朝もしとしと、いかにも梅雨でございますというお天気、昨日昼間のカンカン照りは何だったのか。
部活のサッカー練習があるからと昨夜は泊まりに来なかった孫、昼過ぎまで電話も無かったので練習があるのかと思っていたら、そうではなかった。母親の都合で来られずにいただけ、二時過ぎには弟も一緒にやって来た。
弟の方がへそ曲げて帰ると言い出し、結局アニキだけ残して母親も帰って行った。そろそろヤンチャ坊主が本領発揮というところか、次男の方がきかん気が強い。癇癪も起こすし自己主張もはっきり。機嫌のいい時は冗談好きのヒョウキン者なのだが。
それで兄の方は我がPCを早速占領してonlinegameを始める。今日は「天上碑」ではなく「Final Fantasy XI(windows版)」の方に取り組んでいるが、途中夕食前に30分、そして先ほど(9時前頃)から席を譲ってジイサマにPCを使わせる。今は「ハリー ポッター」の単行本を何巻か続けて夢中になって読んでいて、さすがに四年生らしくなったかなという感じ。
孫が成長するということは即ちこちらが老化するということなのだが。

今「おじいちゃん、それ済んだら替わって」とお声がかかった。「はいはい」とおしまいにするジイサマである。

6.13(金) 晴後曇

2003-06-13 20:52:00 | 日記
13日の金曜日!洋風では縁起の悪い日とされているが、偶数月の15日が日曜に当たる時、我々にとっては喜ばしい日となるのである。
なーんでか?お若い方には分かる筈もないが、ご年配で年金受けてる方々には納得がいくと思う。銀行の休業日に合わせて支給日が2日も早くなるわけだから。
特に老生の如く退職後20年近く、ついにお金のための仕事を一切しないで通して来た「ぐうたら」にとっては、唯一家内に生計費を渡せる日なのだ。在職時に将来を考えて蓄財に励むどころか、清貧に甘んじるを以って善しとした人間だから、僅かな年金で家計をやりくりしている家内の苦労は、安月給の現役時代以降も生涯にわたって続くのである。

というわけで二人して出かける前に、熊本の病院に入院中の息子の様子聞いておこうと電話をいれてみた。本人が出て「検査の結果、石はあまり大きくないので、破砕の処置はせずに点滴などして自然に降りてくるのを待ってみる」という話。 痛みがひどくならなければそれでもいいかと思った。所詮患者の治療は医者まかせなのだ。
と、そこへ娘から電話「お兄ちゃんの具合どう」。聞いたばかりの話を伝えたら「そう。今から町へ出る用事があるけど・・・」。渡りに舟だ。こちらへ寄って銀行まで乗せて行ってもらうことにした。もう自転車連ねてという体でなくなった老夫婦、タクシー代が助かる。

結局、娘の車で出て所用は済ませ、駐車に使った百貨店で「父の日」の垂れ幕にひかれて、履いていたオンボロ靴の代替わりに、軽くて強いと宣伝のついた焦げ茶色の靴を買って貰った、という結末。

6.12(木) 雨

2003-06-12 18:20:00 | 日記
とにかく書けない日々が続いた。単なる「ぐうたら」ではなく、これは明らかに老化現象である。意欲と体力の著しい減退と言うべきか。
書くべきことが無かったわけでもないが、書く気が起こらない。頭も働かず指も動かない。
キーボードから叩き出される文章は、かろうじてBBSへの書き込みに対するResと足跡につけるコメントだけ。
毎日PCの前に座り込んで、あれこれとやっているだけが老生の日常、これが出来なくなるということになれば、いよいよ一巻の終わりが来るということ。皆さんとのお付き合いに励まされ(この文も「日記読ませて」とおっしゃるDさんのお言葉に触発されたもの)自らに鞭打って余生を過ごしたいと念じるのみ。

7日(土) 例によって昨夜泊り込んだ孫は朝から「天上碑」をやり続けていたが、午後母親と弟が迎えに来て帰って行った。入れ替わるように息子が熊本から帰ってきて、夜は我がPCの不具合を調整した。本来このPCは彼が組み立てた自作機なのだ。

8日(日) 息子が車に老夫婦を乗せて懸案だった収納庫の検分と発注をしてきた。据付工事は21日になるという。梅雨の時期だからずれるおそれも。午後もPCをいじくっていた息子夜にはいってから帰って行った。

9日(月) 中学、大学通じての同級生で同勤だったこともあり退職したのも同じ年という友人が訪ねてきて2時間ばかり話して帰った。彼の談話も含んだ新聞記事のコピーを持ってきたので、お返し(?)に僕も書いている同人誌を献呈した。
夕方息子から電話「腎臓結石で入院手術する。10日間位かかるそうだ」と。突然のことで驚いたが、47歳の独り者、心配すること無いよと言われては、まあそうかと納得。家内の方も「会社の激務から離れていい休養になる」などと頗る楽観的である。夜病院に電話して本人と話していた。16日が診察日で熊本へ出るのでその際に様子見に行くことに。

11日(水) 梅雨入りというのにカンカン照りの暑い天気、2週間に一度の通院日で歩いて行ったら汗かいた。肝機能の検査するとて又も採血された。年寄から気安く血ばかり採るなっつーの。
息子から電話「痛みが治まったので明日造影剤いれてX線検査」だと。