horitaakioのgooブログ

88歳の老人ですけれど、天寿の続く限り頑張って見たいと思います

3.30(日) 晴

2003-03-30 20:36:00 | 日記

昨日の夕方から孫が来ている。サッカーの練習日だったし、福岡から従兄は来ているしだから、とても来ないだろうという家内の推測は見事に外れた。
それほどにPCの「天上碑」は引力が強いのだ。特に昨夜は例の「攻城戦」で、彼の派閥は攻撃軍に加わって夜十時から十一時まで戦いが行われたのだからなおさらであったろう。結果はまたも攻め落とせなかった。

今朝は九時頃からやりはじめて、母親が迎えに来て五時に帰るまで、食事の時間以外は離れなかった。明日は退任式で登校するのだが、その後また来てもいいかと母親を口説いていた。
遊びに来るのは歓迎だが、こっちがPC使えないのには参る。

家内は年度納めの婦人会総会に十時頃から出て行き、一時過ぎに帰って来た。術後の経過はまあ順調と言えるが、まだ首回りの神経の不調や息苦しさなどに後遺がある。声もかっての美声?は失われて、大声も出せない。ぺらぺらのおしゃべり癖は相変わらずなのだが。

とまあ、いろいろあって、我が日曜日は無為のままに過ぎてしまった。せめて夜はネット碁でも打つとするか。

3.29(土) 晴

2003-03-29 18:34:00 | 日記
どうも危なっかしいもんですね。年寄の足腰は。

実は昨夜も、そしてつい先ほども転んでしりもちついたんです。
老生のPCはラック如きは使わずに、座卓の上にデンと据えていて、その前に肘かけ付の大き目の座椅子にアグラかいてやってるのですが、狭い部屋の隅からヨッコラショと立ち上がる時に、ついその肘かけに躓いて転んだりするのです。

昨夜は直ぐそばに置いてあるベッドの布団の上に倒れこんだので事なきを得たのですが、そのあとクルリと床の上へ転げ落ちる始末。ほんにまあ、ドジというか、なんというか、まるで体の自由がきかないわけです。

先ほどは、家内が外からかけて来た電話に出ようと、立ち上がって受話器を取ろうとしたときに足がひっかかって、まともに尻もちドッスンでした。これは少々こたえて腰がガツンときたのですが、家内には知らん顔で応対に出ました。

以前、ある人から聞いた老人生活の注意事項三か条、曰く「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」。足腰がとろいからつい転ぶんですが、骨も脆いから、骨折などで寝こんだりする。
風邪は万病のもと、特に怖いのが命とりの肺炎というわけ。
最後の義理は欠かずとも相勤めていいわけだけれど、身近な友人の弔いなどは、ひときわズンとこたえるもので、式に出たりお悔やみ言ったりすると、帰ってからドッと疲れが来ます。

まあ、あとどのくらいもつものか、閻魔様の思し召し次第ですが、終わるまでは元気でいたいと思うのは欲張りでしょうか。

3.28(金) 晴

2003-03-28 18:12:00 | 日記

昨夜から孫が泊っている。相変わらず11時半くらいまでPC占領されてジイサマはやりきれない。寝たあとでやっと使えるようになって、カキコのResやら何やらと結局三時前まで起きていたが、途中ADSL接続がおかしくなって繋がらない。あれこれ設定をいじくりまわしたのでなおさら頭に来た。

それでいて今朝は7時半には目が覚めてそのまま起きてしまった。孫は9時前まで寝ていたが、起きてくるなり早速PCの前、シャカリキになって「天上碑」を続けている。食事の時間も惜しんで。ただ母親への申し訳けにプリント2枚ちょこちょこと、ものの10分かそこらで片付けはしたが。

もう一晩粘るつもりでいたようだが、福岡から伯母と息子(大学生)が来てるからと母親が迎えに来て4時半頃帰って行った。この従兄は中学生の時以来プレステなど持参で遊んでもらっていた仲なのだ。ゲームの大先輩なのである。今夜は家の方でPS‐2をやるんだろう。

弟の方は今日が卒園式、夕方からは保護者も一緒の謝恩会があるという。
こんなに成長していく孫たちの姿を見ながら、我が身の老化を嘆くジイサマである。


3.27(木) 曇後雨

2003-03-27 16:36:00 | 日記
朝十時から「ふれあい茶話会」という町内の老人を招いて月に一度のお楽しみの集りがあって、家内が世話役の代表になっているものだから、九時半には出て行って十二時半に帰って来た。

少子化社会とか老齢化社会とか、その年齢構成がいびつになって来たと言われるが、近所のお年寄りの数を見ただけでそれは歴然としている。我が隣組10世帯のうち独居老人が2、老夫婦だけの世帯が6、比較的若い世代は僅かに2世帯しかない。かっては町内隣組対抗のソフトボール大会に参加したこともあったというのに。とにかく寂しい現象ではある。

その老人たちの一員たる小生、PCの前から離れられない毎日が続く。アクセス数がふえるに従って新たな人々が次々と「談話室」や「画像展示室」へ書きこんで下さる。Resがどうしても遅れがちになって、お詫びばかり言ってる気がするが、とにかく努力して書いている。

今日など、旧HPで宣伝していた己のHPとGALLERYのCopyの注文までメールで入ってきた。
もう三年前の仕事?なのである。考えてみるとその頃はPCの初心者として、今とは又一味異なった情熱を燃やしていた気がする。成果そのものはまるで冷や汗の出るような仕事だが。

それにしても老後の支えとしてPCを通じてのお付き合いは、何と有難いこと嬉しいことなのだ!!



3.26(水) 晴

2003-03-26 19:02:00 | 日記
今日も最高気温と最低気温の差が16℃あるという予報がさすがに当たった。まさにそれらしき気温で朝起きた時はヒーターつけて、昼間はポカポカ。

娘から電話がはいった。月曜の追突事故について保険会社が車を見に来たが、おばあちゃんに異常は無いかと。別に「鞭打ち」の症状も起きていないようだから大丈夫だろうと返事しておいた。
また、亭主の姉夫婦と子供二人(20歳の娘と高2の息子)が東京から出て来ていて、アニキは結構この年上のいとこたちとおしゃべりなどしてるという。弟の方は自分だけ通園(卒園式は28日)せねばならぬことが大いに不満なようで、朝出かけるのにごねていたそうだ。

三時半過ぎてから近所の医院まで歩いて行った。2週間に一度の診察投薬、今日は尿検査も(結果は異状なし)。帰りは、歩行者自転車専用道路に沿って植えられた桜が満開なのを眺めながらぶらぶら歩いてきた。桜並木というには余りにも貧弱な様相なのだが。


3.25(火) 晴

2003-03-25 20:34:00 | 日記
昨日娘が言っていた通り、朝十時前に孫が母親の車でやって来た。早速PCの前に陣取ったのは良かったが、お目当てのonlinegame「天上碑」に接続できない。
「なんでーー」と大むくれ。
天上碑の公式サイトを開いてみて、サーバーの定期メンテナンスで午後一時までお休みということが分った。お知らせは前から出ていたみたいだけれど、気がつかなかったジイサマが悪い。

しかたなく彼はPS‐2で「Final Fantasy X‐2」をやりはじめた。おかげでPCが使えるようになったので、ジイサマにとっては好都合、メールボックス開いたり、BBSへの書き込みのResを書いたりしていたが、彼の方が落ち着かない。
しばらくすると「まだかなーー」などと寄ってきて、「やってみるから替わって」とせっつく。
「時間が来るまで始まるわけないだろ」と言っても、「じゃあホームページでデーターなど見るから」と無理やりPCを取り上げる。孫に甘いジイサマは彼の言いなりである。

やっと時間がきてゲームができるようになってからはもう一心不乱、プレーヤー同志でのオシャベリや武器防具などの取引にカシャカシャとキーボード叩くのだが、そのスピードの速いこと、驚くばかりである。小学六年という仲間もできて同じ派閥にはいって意気投合している。埼玉のお医者の息子だとか、もちろん名前も顔も知らないわけだが。

サッカークラブの練習があるとかで三時頃母親が迎えに来て帰って行ったが、早くも次はいつ来るかで母親と交渉していた。彼としては毎日でも来てやりたいのである。

3.24(月) 曇時々雨

2003-03-24 19:57:00 | 日記

今日は家内の通院日である。珍しく九時には自分で起きていた。十時前に娘が車でやって来て熊本まで乗せて行き、大学病院での診察を受けて二時頃帰って来たが、帰路、嘉島付近で軽い追突をやられたそうで、まあ車も人も殆ど被害はなかったけれど、一応警察(御船署六嘉派出所)には届けてきたと言う。大きな事故でなくて幸いだったが、自動車社会はこれがあるから怖い。

小学校の終業式で早く下校してきた筈の孫だが、さすがに三年生の終り方ともなれば母親がいなくても大丈夫だったらしい(祖父母は居るわけだが)。以前ならそれこそ大変だったのに。

三連休の間、孫に占領されていたPCを朝から自由に使えるようになって殆ど座りっぱなし。
メールボックス開けて着信のメルマガに目を通し、旧友宛のメール送信、四つのHPのBBSでResを書き、足跡ページからCafeを巡り、通信対局の囲碁の應手を送り、onlineの囲碁を二局打ち(珍しく連勝)、夕食後にこの日乗を書いている。
このあとはさらにCafe訪問とかonlinegameとか、まあ深夜まで続くことになる。

しかし明日からは春休み、娘の話によれば早速朝からこちらに来るとテキさんは張切ってるらしいから、この自由も今日一日だけのものになりそうなのである。


3.23(日) 晴

2003-03-23 20:57:00 | 日記
さすがに疲れたかアニキは九時半に起きてきた。珍しく弟の方が先に九時過ぎに「おはよう」と我が部屋にやって来たのだが、背中から聞いたときには兄の方かと思った。この子も四月からは小学生、声まで似て来た。幼児の甲高い声では無くなってしゃべり方も変ってきたのだ。

相変わらずアニキは「天上碑」にかかりきりだが今日は母親がいるからブレーキもかかる。
遅い朝食のあと、強制されてプリントの問題を二枚やらされていた。それでも終わるとすぐにまたPCの前にくる。とにかく大変な集中力と持続力である。

三時頃、近くの公園へ親子四人で遊びに行くことになった。弟が大喜びで早く行こうとうのにアニキの方はPCから離れがたく、引き延ばし作戦に出ていたが、結局言うこと聞いて一緒に出かけて行った。ところがものの二十分もたったら「先に一人で走って帰って来た」と言う始末。
結局四時半頃母親にせっつかれて帰って行ったが、間際までPCにしがみついていた。

というような次第でPCの使用権が我が手にもどってきて、この文もひさしぶりに今日の日付のうちに書いている。「談話室」への書き込みやメールなどに「はじめまして」の方が次々と来るようになった。ついに「私も八代在住です」というミニメールまで舞い込んで、アクセスランキングへの挑戦が新たな成果となって現れてきたので満足している。ランク自体は25位まで行った。そろそろ矛をおさめて、もとのグウタラに帰るとするか。

3.22(土) 晴

2003-03-23 02:32:00 | 日記
 
孫がついに三連泊でPCに貼りついている。もう言いようのない頑張りである。この凝り性、どうやら遺伝子的にはジイサマのを受け継いでいるみたい。PC取り上げられて大いに腐っているのもそのジイサマなのである。

地上では人類最悪の愚行が始まったが、彼がやっているonlinegame「天上碑」でも今夜「派閥」間の攻防戦が行われた。勇んで戦いに参加した彼のキャラはまだ未熟で何度も殺されては生き返りして、なおかつへこたれないのである。結果は彼の派閥が負けリーダーは引退してしまった。

わざわざ長時間かけてダウンロードして、定額の利用料金も払ってプレイさせている張本人が言うのも何だが、どうもこの手のゲームは殺伐でいけない。剣や槍を振るい動物や剣客などを斬りまくってレベルを上げ、強くなるとプレーヤーの分身たる人間同志も殺し合いをやる。

キャラの姿かたちや活動環境(それにBGMも)は古代中国ふうで現実ばなれしているのが、まあ救いとはいえ、子供の情緒形成には良くない影響を与えるのではないかと心配をしながらも、大人や先輩たち(中、高の生徒や若者)に交じって奮闘する小学生を見守っている甘いジイサマなのである。

母親は昼過ぎ弟を連れて出て来て、バアサマを買い物に乗せて行ったりしてから、一旦はアニキだけ残して引き揚げたのだが、亭主が市内で飲み会があるからとて送ってきて、そのままこちらに泊ることになった。もちろん下の子も一緒、父親は午前様でまだ帰って来ない。

3.21(金) 晴後曇後雨

2003-03-22 02:11:00 | 日記

お彼岸の中日(春分の日)です。「暑さ寒さも彼岸まで」などと申しますが、日中はほんとにポカポカ陽気で、午後、娘は弟の方を連れて近くの公園に遊びに行きました。朝起き抜けからPCにへばりついてonlinegameばかりやっている兄の方も連れ出そうとしたのですが、「時間がもったいない」とか言って拒否。せめてしばらくは外に出なさいと、バアサンが庭の草取りの手伝いと道路で駆け足をさせました。まあ、それでもほんの短時間で汗もかかないで上がってきてしまいました。

何とか割りこんでPCを使いたいジイサマ、この間にせめて「談話室」と「画像展示室」への書き込みのResだけでも済まそうという作戦でしたが、あっという間に戻って来て、ゲームの続きをやらせろとせがむので席を譲ってしまったのです。ほんとに孫には甘いジイサマで困ります。

お昼近くまで寝ていた父親は朝昼兼用の食事をしてから会社へ行きました。小さな有限会社(土木木材屋)の取締役営業部長なんていう働き蜂には彼岸も土用もお構いないわけで。
あちらの両親もいることだし、娘は下の子(まだ母親と離れては泊れないのでぐぜっていた)を連れて帰っていきました。アニキは一人で引き続きこちらに残ってゲーム三昧、深夜12時にやっと寝ました。

だから昨日のも今日のも「日乗」は日付が変ってから書いております。