良い天気で土曜日に山中湖で震えていたのがウソのように気温も上がりました。
練習もぼちぼちスタートです。
タイトルから見てしまうと正しい食べ方の解説かと思ってしまうのですが村井弦斎の書いた「食道楽」という本を振り返りながら食育について考えましょう、というのがこの本の趣旨。
「食道楽」という本のタイトルも今だと美食をするとか大食いをするような意味で捉えがちですが本来の「道楽」の意味としては「道を究めて悟りを開きそれを楽しむ」ということで「食道楽」においても後者の意味で用いられており、いわば教訓小説になっています。
単なる食を取り扱った解説本とは異なるのが物語形式になっており、文中にレシピや食べ物の体への影響、料理の素材や道具への知識の解説などがちりばめられている点です。
村井弦斎さんは「道楽」シリーズで有名になった明治のベストセラー作家とのことですが夏目漱石や森鴎外といった作家に比べると社交的でなかったためかさほど評価は受けていなかったようです。他の「道楽」シリーズには酒道楽、釣道楽、女道楽などがあり、いずれも「教訓小説」の形式になっているとのこと。
当時の食事上なども垣間見ることが出来るのでなかなか楽しい本です。
*脚気は村井弦斎が解決した
当時、流行していた脚気には玄米が効くことを村井弦斎が発見し、世に広めた。
脚気はビタミンB1の欠乏症なので玄米が役に立ったのだが当時の医学者は
ビタミンの存在が発見されていなかったため原因を明らかに出来ず伝染病だと
思われていた。
*明治時代の離婚率は今より高かった
明治時代は離婚率(千人あたりの離婚率届出数)が3弱(明治15年で2.62)であり
他の欧米諸国(アメリカ0.70 フランス0.25 ドイツ0.15)と比べても突出して
高く2006年の統計結果=2.04と比べても高かった。
*食育のルーツ
明治時代に教育の3育として定着したのが「智育・徳育・体育」。
食育と言う言葉は陸軍の監察医であった石塚左玄。
始めは食養という言葉だった。食道楽で初めて食育論という項が割かれ、
庶民にも受け入れられるようになった。
などなど。村井弦斎さんはこの本で初めて知りました。
練習もぼちぼちスタートです。
![]() | 食育のススメ (文春新書 612)黒岩 比佐子文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
タイトルから見てしまうと正しい食べ方の解説かと思ってしまうのですが村井弦斎の書いた「食道楽」という本を振り返りながら食育について考えましょう、というのがこの本の趣旨。
「食道楽」という本のタイトルも今だと美食をするとか大食いをするような意味で捉えがちですが本来の「道楽」の意味としては「道を究めて悟りを開きそれを楽しむ」ということで「食道楽」においても後者の意味で用いられており、いわば教訓小説になっています。
単なる食を取り扱った解説本とは異なるのが物語形式になっており、文中にレシピや食べ物の体への影響、料理の素材や道具への知識の解説などがちりばめられている点です。
村井弦斎さんは「道楽」シリーズで有名になった明治のベストセラー作家とのことですが夏目漱石や森鴎外といった作家に比べると社交的でなかったためかさほど評価は受けていなかったようです。他の「道楽」シリーズには酒道楽、釣道楽、女道楽などがあり、いずれも「教訓小説」の形式になっているとのこと。
当時の食事上なども垣間見ることが出来るのでなかなか楽しい本です。
*脚気は村井弦斎が解決した
当時、流行していた脚気には玄米が効くことを村井弦斎が発見し、世に広めた。
脚気はビタミンB1の欠乏症なので玄米が役に立ったのだが当時の医学者は
ビタミンの存在が発見されていなかったため原因を明らかに出来ず伝染病だと
思われていた。
*明治時代の離婚率は今より高かった
明治時代は離婚率(千人あたりの離婚率届出数)が3弱(明治15年で2.62)であり
他の欧米諸国(アメリカ0.70 フランス0.25 ドイツ0.15)と比べても突出して
高く2006年の統計結果=2.04と比べても高かった。
*食育のルーツ
明治時代に教育の3育として定着したのが「智育・徳育・体育」。
食育と言う言葉は陸軍の監察医であった石塚左玄。
始めは食養という言葉だった。食道楽で初めて食育論という項が割かれ、
庶民にも受け入れられるようになった。
などなど。村井弦斎さんはこの本で初めて知りました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます