このご時世だから何だけど、あえてちょっと触れたいスピリチュアルな件。
まぁ、Xmasだし。
一応、檀家でお寺には納骨堂もある。
だけど、ほとんどお葬式と法事以外は関わりないから、日常生活に影響を受けると感じたことはない。
実はなぜか私が通った幼稚園は教会で、Xmasには生誕祭の劇もした。私はセリフなしの星その1だったけど(笑)。
日曜学校があるから、土曜日が休みで日曜日には献金の10円玉を握りしめで登園してた。
でも、卒園したらなぜか親に教会に通うことは禁止れた。日曜学校に行けば先生方に会えるし日曜学校でもらえるきれいな絵のカードが魅力的だった…。ななに、突然うちは仏教だから教会はダメって言われたんだ。毎日楽しく通ってた幼稚園だったのに突然NGにされたのが理解できなかった。
そんな事もあって、子ども心に宗教というものに対する違和感を抱きつつ今に至るわけだ。
けど、やはり心が疲れて神頼みになると、ふと神様的な何かにすがりつきたくなる。
溺れるもの藁をも掴むわけよね。
そんな時、頼りたくなるのは佛壇の仏様ではなく、神社の神様でもなく、キリスト様なんだなぁ。なぜか?多分、TVや映画やそういったものの影響もあるだろうけど、何となく分かりやすい気がする。
だってお経の本も神主さんの祝詞も意味分かんないもん。
で、たまーに。この古い本を手にしくなる時がある。
これは三浦綾子さんがキリスト教信者になった経緯から始まって、とってもさらっとした語り口で新約聖書に導いている。
これを読むたび、一度くらい聖書を読んでみようかと思いつつ、まだチャレンジしてないけど(笑)
でも、きっと何か気持ちにひっかかりを与えてくれているように感じてる。
でもね、私は三浦綾子さんと同じ町に生まれて馴染みがあるはずなのに、その作品はあえて避けてきた。もちろん氷点、塩狩峠、銃口とか有名どころは読んでるけど、どれも宗教的な押し付け感があって嫌だった。
簡単に言うと説教くさい。
だから、目と鼻の先にあった三浦綾子文学館ができてからも、まだ足を踏み入れていない。
つまり、私自身がとても矛盾して、ひねくれてて、複雑な人間だってこと。
そんなに都合よく救われないよなぁ。
現実あるのみかぁ。