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日常で思いついたことを書き綴る。

コカコーラの空き缶、日差し、青い看板、こわれたこころ

2023-02-28 15:42:00 | Weblog
そろそろ心が限界かもしれない、という時が何となくわかる。

あるバンドの曲を聴きたくなる。
意味もわからないタイミングで泣いてしまう。

例えば今日ならお昼ご飯を食べた後、店員さんに「今日は暖かいですね。また来てください」と言われたとき。

それだけ泣きそうになってしまって、泣かないように我慢するのが大変だった。

例えばご年配の方と話したとき(仕事柄、たまにご年配の方と会話するときがある)

今日も何となしの会話をして次のアポに向かった。けれどその途中、ふいに涙が出てきた。会話の内容なんてとりとめもないのに。

そして何もかも投げ捨てたくなる。
何処かへふらっと消えたくなる。
そんな思いが強くなる。

もう心が限界なんだな、と感じている。

ある感覚

2023-02-27 18:19:00 | Weblog
仕事が嫌になり疲れが抜けないと過去を思い出して泣いてしまう。その当時はどうでもよかったこと、気にしていなかった人たちを思い出す。

情景と名前すら忘れてしまった人たち。

現実で会った人たち。
ネットだけでしか話したことのない人たち。

その当時は楽しかったのだろうか。
今考えてみても楽しかったとはあまり思わないかな。よく解らないのだけれど。

懐かしんで思い出しては戻れない現実に泣いてしまう。楽しかった訳ではないし当時も希望なんてなかった訳だから戻ったところで何も変わらないのだけれど。

何故思い出しては泣いてしまうんだろうか。

少しでも関係のあった人たちは、きっとそれぞれの生活をしているだけなのに。

それを思い出しては「何処へ行ってしまったのか」なんて思うのはエゴでしかない。

一方的に関係性を断っているのはいつも僕の方なのに。

空白と空白の間を歩む日々

2023-02-22 15:02:00 | Weblog
特に書くことはない。
なぜなら何も変わらない日々だから。
朝起きる。仕事に行く。帰ってくる。
ご飯を食べる。お風呂に入る、もしくはシャワーを浴びる。眠る。朝起きる。仕事に行く。帰ってくる。ご飯を食べる。お風呂に入る、もしくはシャワーを浴びる。眠る。

日々の小さい幸せに気づかないまま。

いつか空っぽの僕の中から、嫌いな自分まで居なくなったら、僕には何が残っているんだろう?

いい歌詞。

海風を探して

2023-02-21 16:33:00 | Weblog
10代後半、少なくとも20代前半に死んでおくべきだったと改めて気づく。

大人になんてなりたくなかったんだなぁ。

若い頃の自分を否定し続ける生き方しか出来ていない。

歳を重ねても求めるコミュニティが若い頃と変わっていないからギャップが生まれて苦しむんだろう。

とは言っても自らコミュニティを手放した僕には今更それを求めることは出来ないけれど。

当時聴いていた音楽、読んでいた本、見ていたサイト、全てが懐かしい。

そして今を生きる10代、20代の子達は大変だろうなと思う。現実とインターネットの境が曖昧過ぎて(特にインフルエンサーなんて見ていたら)楽しく生きて楽にお金を稼いでる人たちが多いように感じてしまうよな。昔と比較すればそう言う稼ぎ方が増えたことも事実だけれど、これはあまりにも辛いよ(インフルエンサーや配信稼業なんて見えていない部分ではとても苦労していると思うけれど)


でもどこかの誰かが言っていた通りではあるけれど、虚業が栄えた国は衰退する。


あー……
水平線でも眺めながらぼんやりしたい。
煙草吸いながら。
もう禁煙したけれど。

青い春の中で生きている僕に煙草はつきものなんだな。今では吸う気も起こらないけれど。

冬の海は遊泳禁止で

2023-02-10 18:06:00 | Weblog
昔とても好きだったバンドのことを書こうと思った。理由は寒くて雪が降ったから。

なんとなくだけれど冬だったり雪だったり、そして夜だったり雨だったり。そんな印象を一方的に持っているバンド。

ネガとポジ辺りまでかな。
ある程度追いかけていた。
ウツセミまでがギリギリわかる範囲。
今もたまに聴く。

表題の冬の海やロケットが好き。

最近の曲はわからないけれど、当時聴いていたときは曲の中に大人になりきれないような、(恋愛としての)ピーターパンシンドロームのようなイメージを抱いていた。

バンドの方向性としてはトロイメライとシャンデリア付近で変化があったのかなぁと感じている。

シューゲ寄りが顕著になったというか。
あとは作詞の方向性が変わったような。
内面生を表す単語選びだったり、表現方法の中に存在していた幻想的なところが薄くなっていたというか。

ただしバンドって生きものみたいなもので歳を取っていけば変わるのは当たり前だと思う。

でも少なからず散文的な表現だったり、二面的な表現だったり…そこが摩耗されてしまった感じもする。少なくとも研磨されているようなイメージは持てなくなった。

しかしそれが世に言う「落ち着いた」ということなのかな。もちろんこのバンドの持つ繊細さのようなイメージは崩れていないけれど。

でも自分が歳を重ねたこともあるから、昔のように感じられなくなったのが強いんだろう。

その中でも作詞で感じられる刹那的な恋模様だったり、好きだけれど結局は離れなければいけない青い春のような表現だったり、一時的な逢瀬のような表現だったり(悪くいえば未練がましい)

そんな表現に身を浸してゴミみたいな生活を送ることが大切だったんだと思う。

よくも悪くも社会を歩きすぎて要らないものを沢山背負い込んで、刹那的な生き方なんてできなくなった。

僕は生きていくために必要なものを追い続けた結果、当時感じていた大切なものは忘れてしまった。というよりそれを抱えていたら世間的には社会不適合者のまま。だから忘れたのか。忘れたふりしてるのか。

ベストな選択はその大切と思っていたものを大切にしていた頃に消えることだったのかも。

こんな嫌な気持ちが積み重なったとき、昔なら何も考えずに近くの海から見える水平線を眺めて煙草吸ってたなぁ。

今はもうどうすればいいのかも解らないまま。