宗教ではないけれど、そういえば瞑想法を習ったことがあったわ。
以前勤務していた会社の同僚がやっている、その名もマハリシ総合研究所だと言うので紹介してもらったの。
超越瞑想法という。
最初は頑張ってやっていたのだけれど、30分くらいはかかるので無理になったわ(笑)
導師にマントラをいただいたので、ヨガの最後に瞑想するとき心で唱えている。
マントラはサンスクリット語で意味は知らないし、誰にも言ってはいけないの。
それは、誰かに教えると、そのマントラ自体に意味を持たせてしまうからと説明された。
さて、最後に出会った宗教体験は、子どもが通ったキリスト教系中高一貫校、宗派はカナダメソジスト派だった。
志望校を選定するのにあたって、私は大学受験予備校的な学校は避けて、宗教に触れられる学校が良いと思っていた。
どこの信徒でもないし、教祖は欲しくない、精神的な事で組織の一員になるのは気が進まない、それでも自分はかなり宗教的な人間なんだと思うのは、よく何かの存在に問いかけ祈っているからで、それは心の支えでもある。
常に問いかけている訳ではないけれど、宗教との関わり(1)でも書いたように、方向性が矛盾していて迷った時最後に問いかける。
どちらが神様の思し召しに叶うだろうか?
そんな風な、心の支え(もしかしたら合わないかも知れないけれど)を持って貰いたくて。
ミッションスクールだから当然なのだけれど、兎に角、なんでも始めと終わりは礼拝だ。
パイプオルガンの前奏、お祈り、賛美歌、---行事や業務、日常のこと---賛美歌、今日が無事終わり見守ってくださったことへの感謝、帰宅までの安全のお祈り...
それは、生徒だけではなくて、保護者もなの。
入学して初めての保護者の集会で、驚いたわ。
受付で先輩保護者が新入生保護者の胸にコサージュを付けてくれる!
親も入学したんだ‼︎ 親の入学式だった‼︎
礼拝や賛美歌は子どもの頃の覚えがあるから、それほど違和感はなかったし、仕事をしているので、私はそれほど色々には参加しなかったけれども、なんだか形だけのような気もしていたわ。(私がまともに取り合わなかっただけね)
肝心の子どもは学校が大好きになり、感謝してもらえたし、日曜には教会にも行かなければいけないところをサボりまくりで、程よくキリスト教に触れられて結果ヨシ。
さてさて、宗教的体験の話しはここまで。
地獄は、いらないでしょう?その概念。
今生きている世界は天国にも地獄にもなりうる。
この世界から離れたら、元の場所に戻るだけ。パワーの源に。
と思っているけれど、書籍を読んで気が変わるかな?楽しみではあります。