「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

「悟った人からしか学べないわけではないーーー」10

2013-01-13 18:02:06 | OSHOの講話

そして 第三点ーーー世の中には、延々と繰り返される 不純な思考がたくさんある。
こうした 不純な思考は 火を生み出し、こうした不純な思考から出る煙は あなたの意識へと入り、あなたを 取り巻き、窒息死させる。
しかし、忘れてはいけない。純粋な思考の炎は まだいくつか燃えており、純粋な思考の波は まだいくらか生きづいている。
この暗い大洋の中に、まだ いくばくかの光源がある。
これらに 努めて近づきなさい。
これが わたしの言う サットサングだ。

この世は 非常に暗いが、真っ暗闇ではない。
いくつかのランプが燃えている。
たとえそれらが土でできていても、その芯が細くても、少なくとも 存在はしている。
努めて それに近づきなさい。
なぜなら、明かりの点されていないランプを 明かりの点ったランプのそばへ持っていくと、明かりの点ったランプの間近に あることによって、明かりの点されていないランプに 再び明かりが点る可能性は大いにあるからだ。

【真、善、美】を象徴する炎に、もっと近づきなさい。
その側に身を置きなさい。
そのような考え、そのような人々、そのような思考の波へと近づきなさい。
そこでは、あなたの ランプを点すことができる。

これは 三つの方法で可能だーーー純粋で真正な思考の側にあること、純粋で真正な人々の側にいること、そして もっとも重要で肝心なのは、自然の側にいることによってだ。
自然は 決して 不純な思考を持たない。
空を見るなら、空を見続けるなら、空は あなたの不純な思考を 揺り動かさないことに気づくだろう。
それどころか、空は 頭の中のゴミを 一掃してくれる。
空を 見ていると、それとひとつになったように感じることに気づくだろう。
滝を見たら、自分が 滝の一部になったような気がするだろう。
緑あふれる森にいると、自分も 樹木のひとつになったように感じるだろう。

(11に つづく)

「悟った人からしか学べないわけではないーーー」09

2013-01-13 17:57:15 | OSHOの講話
(あなたは、自分のマインドもゴミでいっぱいになり得ることに気づいていない。)

あなたがたは お互いに敵だーーーお互いのマインドに ゴミを投げ捨て続けている。
自分の友達だと思っている人々は、あなたに 何をしているかね?ーーー彼らほど、あなたを裏切っている者はいない。
あなたの敵のほうが、彼らよりましだーーーあなたの敵は、少なくとも あなたの頭をゴミでいっぱいにはしない。
なにしろ、彼らは あなたとは口をきかないのだから。

あなたがたは、お互いの頭を ゴミでいっぱいにしている。
また、実に ぐっすりと眠りこけているから、何を取り込んでいるかに 気づかない。
あなたは、あらゆるものを取り込んでいる。
まるで、人の出入りを 外で見守る管理人や警備員のいない、ゲストハウスのようなものだ。
あなたは、人でも 動物でも 泥棒でも 詐欺師でも、誰でも立ち入れる場所だ。
そして彼らは、立ち去りたければそうするし、立ち去りたくなければ居座る。


あなたのマインドは、ゲストハウスのようであってはならない。
もし ゲストハウスのようであったり、大切に守られていなかったら、不純な思考から解放されるのは 難しいだろう。
あなたは 意識的に 自分のマインドを 見張らなければならない。


思考の純粋さを達成するための 第二段階は、思考を 観察する必要性だ。
確固とした注意深さが必要だ。
常に 内側で起こっていることを見つめ、不要なものは何であれ、排斥しなければならない。

……(略)……

することがないとき、あなたは 何をするかね?
することがないからといって、新聞を取って読みはじめたりするだろう。
そうした 単なるゴミを集めるより、何もせず ただ座っているほうがましだ。
何もしないでいるのは、ちっとも悪いことではない。
だが、何もしないでいるより、何かしているほうがよいと言う 愚か者たちがいる。
これは 本当ではない。
何か 害になることをするよりも、何もしないでいるほうが常にいいものだ。
なぜなら、少なくとも そういうときは何も失わないし、ゴミも集めないのだから。


だから、このことに気づいていなさい。
内側の思考の動きを 見守っているなら、思考を 純粋に保つのは難しいことではない。
また、不純な思考を認識するのも難しいことではないーーー内側に ある種の落ち着きのなさを生み出すのは 不純な思考であり、内側に 安らぎの流れを生み出すのは 純粋な思考だ。

歓びを もたらす思考は 純粋であり、何らかの心の乱れを生み出すのは 不純な思考だ。
そのような思考は避けなさい。
そして 絶えずマインドを 見守るなら、思考は ますます純粋になっていくだろう。

(10に つづく)

「悟った人からしか学べないわけではないーーー」08

2013-01-13 15:52:38 | OSHOの講話

次に、いくつか比較的細かい事柄についても話したいことがある。
これは知っておくべき大切な事柄だ。
思考は すべて外側からやって来る。内側から来るものはない。
それらは すべて外側からやって来る。
内側には、思考のための 何らかの内的な下地があるかもしれない。
だが、思考は すべて外側からやって来ることを 覚えておきなさい。
思考そのものは 外側からやって来る。
だが、いろいろな溝があり、それに沿って内側に流れ込んでくるのだ。

金銭について考える場合、金銭という思考は 外側からやって来たに違いない。
しかし、金銭への欲望は 内側からやって来る。
その種子は 内側にある。

思考は外側からやって来て、あなたの欲望に取り付く。
セックスについて考えていたら、セックスの欲望は外側からやって来たものだ。
しか 内側には、この欲望が取り付く種子がある。
思考は 外側からやって来るが、内側には この思考のための種子がある。
思考は、すべて外側からやって来る。


思考の浄化には、マインドに入り込む思考が、偶然やって来るのではないと理解することが大切だ。

あなたの中に入ってくる思考が、真に 自分の望むものであるかという点に用心することだーーーそれ以外は、ただ投げ捨ててしまいなさい。


前に言ったように、誰かがあなたの家に ゴミを捨てていたら、その人と喧嘩するだろう。
しかし、誰かがあなたのマインドにゴミを捨てていても、あなたは 喧嘩をしない。
わたしが道で あなたに会って、映画のストーリーを話しはじめたら、あなたは抗議しないだろう。
しかし、わたしが あなたの家に行って ゴミを捨てたら、あなたは言う。
「何をしている? 変なことはしないでくれ!」。
だが、わたしが あなたのマインドを ゴミでいっぱいにしているーーー映画のストーリーを話しているーーーと、あなたは とても喜んで聞くのだ。


あなたは、自分のマインドも ゴミでいっぱいになり得ることに 気づいていない。

(09に つづく)

「悟った人からしか学べないわけではないーーー」07

2013-01-13 12:41:05 | OSHOの講話
美とは何かを、理解するよう努めなさい。
すると、真理と善が おのずとついてくるのに 気づくだろう。

善とは何かを理解しようとしたら、あなたは 美と真理も理解するだろう。

真理を理解しようとしたら、ほかの ふたつも手に入れるだろう。

あなたは、この三つのどれかを 礎(いしずえ)にできる。
この中のひとつに興味があったら、それに焦点を当て、思考のすべてが その周囲を巡るようにしなさい。
あなたの内面が それに触れるようにしなさい。

三つの中から ひとつ選んで、それに集中しなさい。

そして、生涯にわたって生のあらゆる局面ーーーあなたの振る舞いや行動ーーーにおいて実践するなら、あなたは徐々に 不思議な現象が 起こりつつあるのに気づくだろう。
それを実践すればするほど、生における あらゆる不自然さや、不純な思考は ますます弱まっていく。
それに気づくと驚くだろう。

わたしは あなたに、金銭のことを 考えるのはやめなさいと言っているのではない。
わたしが言っているのは、あなたがもっと 善や美や真理について考えはじめるべきだということだ。

美について考えはじめると、金銭のことは考えられなくなるだろう。
なぜなら、金銭について考えることほど醜悪なものはないからだ。
美について考えはじめると、セックスのことは考えられなくなるだろう。
というのも、セックスについて考えることより醜いマインドの境地はないからだ。

だからわたしは、エネルギーを【真、善、美】の境地へ向けなさいと力を込めて説いている。
すると徐々に、あなたのエネルギーは不要な思考から戻り、あなたを支配していたそれらの力が消えていくことに気づくだろう。

並々ならぬ気づきによって不純なものをすべて落とし、気づきをもって純粋なものに集中しなさい。
思考が純粋になったら、生には途方もない変化が起こるだろう。

これが思考に関して もっとも重要なことだ、
自分の思考を浄化したいなら、それが もっとも重要なことだ。

(08に つづく)

「悟った人からしか学べないわけではないーーー」06

2013-01-13 11:40:13 | OSHOの講話

かつて、ガンジーがラビンドラナート-タゴールの家に招かれたことがあった。
当時、ラビンドラナートは 年老いていた。
彼は 美を愛する人物だったーーー真理や善については 気にかけていなかった。単に、それらは彼の 直接的な道ではなかったという意味だがーーー彼は 美を愛する者だった。

ガンジーが招かれた日の夕方、二人が散歩に出ようとしていたところ、ラビンドラナートは「ちょっと待ってくれたまえ、髪をとかしたいのだ」と言った。
ガンジーは言った。
「なんと おっしゃる?髪をとかすですって!」
ガンジーは 頭を剃っていたので、髪を とかす煩わしさはなかった。
それに年老いて髪をとかす心配をするとは、、少々風変わりで、ガンジーには 考えられないことだった。
彼は 少し腹立ったが ラビンドラナートには何も言えなかった。
ラビンドラナートは家の中に入った。
二分たち、五分たち、十分が経過した。
ガンジーは、あまり長くかかるのに驚いたーーー中で何をしているのだろう?
彼は 窓越しに覗き込み、ラビンドラナートが姿見の前に立ち、髪をとかしているのを見た。

ガンジーは、ただもう我慢できなかった。
彼は言った。
「わたしには あなたのしていることが理解できません!」
「散歩の時間が無駄になっています。それに、どうして髪をとかす必要があるのです?」
「あなたの齢で 髪をとかす意味とは何なのですか?」

ラビンドラナートは 外に出て言った。
「若い時分は、髪をとかさなくても問題はなかった。
でも 今はもう年老いたから、髪をとかさないとだめなのだ。」
「格好良く見せようとしているとは、思わないでくれたまえ。
醜く見えることで、人の気分を害したくないだけなのだ」。
「わたしが 美しくしたり、動かしたりしている身体は、明日には灰になるだろう。
いつの日か、火葬用に積まれた薪の上に置かれ、灰になることは承知している。
だが、見苦しくありたくない。」
「わたしは 誰の気分も害したくないーーーだから、こうした配慮をしているのだ」


ラビンドラナートのような 美を愛する人は、こうした観点で考える。
醜さは、他人に対する一種の暴力だ。
この醜さは、どんな形でもとり得るーーーあなたの 行動の中に、言葉の中に、あるいは ほかの形の中に存在し得る。

だから、美しく見えたいのなら、全面的に そうしなさい。
あなたの生が そっくり美しくなるよう、全面的に 美しくなりなさい。

わたしは、髪をとかしている人が間違ったことをしているとは言っていないーーー髪以外に、美しくすべきものが ほかにあると言っているだけだ。
わたしは、あなたが宝石を身につけていても、間違ったことをしているとは言っていない。
わたしが言っているのは、宝石を身につけていても結構だが、あなた自身も 宝石に な っ て はどうか?ということだ。
あなたは 染みひとつない白い服を着てここに来た。
白い服を着ているのは結構だが、あなたの 内なる自己も、それと同じくらい純白にしなさい。

(07に つづく)