それから、質問の第二点ーーー「真理とは何でしょうか? それを部分的に知ることは可能ですか?」
真理は部分的には わからない。
なぜなら 真理は ひとつだからだ。
部分には分けられない。
つまり、いまは少しだけ知り、そして少し、そしてまた少しというように真理を知ることは 不可能だ。
それは そんなふうには起こらない。
真理は ひとつとして体験される。
つまり、段階的な過程ではないということだ。
それは 丸ごと体験され、爆発の中で体験される。
しかし、それは 丸ごとでしか わからないと言うと、あなたは 少し不安になるだろう。
なぜなら、あなたは とても無力に感じているからだ。
どうやって、それが丸ごとわかるというのか?
家の屋根に あっという間に登ったとしても、その人は そこまでのステップを 一歩ずつ登ったのだ。
一歩で屋根に辿り着いたわけではない。
最初の一歩では 屋根の上にはいない。
そして最後の一歩でも、まだ屋根の上にはいないーーー屋根に近付き始めたが、まだ その上にはいない。
徐々に真理へ近づくことは可能だ。
しかし 真理に至ったとき、それは 全体的(トータル)だ。
つまり、真理へは 徐々に近づくことができるが、真理への到達は全体的であり、決して部分的ではない。
それは 決して断片的ではない。
このことを覚えておきなさい。
だから、わたしが あなたがたに与えた 瞑想への入門には 一連の段階があるーーーそれを通して 真理を知ることはないが、あなたは それを通して真理に近づく。
そして わたしが「感情の空(くう)」と呼んだ最後の一歩において、この 感情の空をも 飛び越えるなら、あなたは 真理を体験するだろう。
ただし そのとき、真理は 丸ごとわかる。
神性の体験は、断片的には訪れない。
それは 全体として起こる。
しかし 神性へ至る道は、多くの部分に分けられる。
これを 覚えておきなさいーーー神性へ至る道は 部分に分けられるが、真理そのものは 部分的ではない。
だから、「わたしのような弱い人間に、どうして真理全体がわかるだろう? 少しずつ知ることができるのなら、やっと何とかわかるだろう」などと 考えてはいけない。
いや、あなたにも わかる。
なぜなら、一度に短い距離だけ 道を歩けばいいのだから。
全行程を 瞬時に歩くことはできない。
あなたは 全行程を一瞬にして歩けはしない。
一度に 少しずつ歩んでいかなくてはならない。
しかし、目的地は常に 全体として到達される。
決して 部分的には至れないーーーこのことを 覚えておきなさい。
ある人が 尋ねている。
真理とは 何でしょうか?
(つづく)