(…なぜ名をつけられないのだろう?)
名とは ひとつの 思考だからだ。
そして 禅は、聖であれ 俗であれ、いかなる思考も 受け容れない。
禅は 純粋な意識、空っぽのハートのみを受け容れる。
そこ には 何ひとつ こだましてはならない。
それゆえに、こういった 偉大な神話を創造しうる この心(マインド)は・・・・・・・。
何百万もの人々が 架空の神々のもとに 生きてきた。
このゲーム全体が 心の産物だ。
心は神を つくり出せる。 悪魔を つくり出せる。
あなたが望むものなら 何でもつくり出せる。
だが、
〝この人〟は だめだ。
光明を得ている人は、もはや存在していない。
どう名づけることが できるだろう?
〈光明〉の人は 宇宙に 溶け込んでいる。
今や彼には いかなる形も 境界もない。
彼を どう名づけることが できるだろう?
だから、そもそも事物に 名をつけるプロセス、あなたが思考作用と見なす そのプロセスには 何の価値もなく、ただ意識という下地そのものにのみ 価値がある。
あなたが その 下地の上に育てるものは すべて採るに足らない。
思考作用には、あなたが望むものなら 何でも与える力がある。
その想像力は はかり知れず、限界を知らないーーーだが、そういったものは すべて虚構、幻覚、蜃気楼だ。
あなたが真理の もとに到ると、心は 名をつけることに関して、かならず無力に、完全に無能で 無力になる。
真理には 名前がない。 それは 無名だ。
あなたの 究極の実存は 一度も 名づけられたことがないし、また名をつける 術(スベ)も ない。
それ を見いだすや、あなたは没入し、圧倒されるあまり、消え失せる。
そして それ の み が 残る。
その輝き、愛、慈悲、優美さーーーその すべてがそこにある。
だが、あなたは消えている。
誰が それに 名をつけるのか?
あなたが消える とは、宇宙の 扉が開くということだ。
消える ということで、私は あなたが大海に消える と言おうとしている。
さあ、大海に 消え去った露は どこにある?
どうやって それに名をつける?
言えるのは、露は大海と ひとつになった ということだけだ。
露は 小さな大海だった。
大海と ひとつになれたのは そのためだ。
露は境界を守り、身を 縮めていたが、今では その境界を落とし、蓮の葉から すべり落ち、大海のなかに 姿を消している。
だが、露が死んだという わけではない。
ただ あまりに 大きくなり過ぎて、もはや露とは 呼べなくなっただけのことだ。
臨済の 最後の言辞だーーー
(つづく)