囲碁とロック

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すごく遅い「入門書の歴史」の振り返り。

2022-03-31 15:59:57 | 囲碁の入門書

どうも、囲碁の先生してます関です。

1月30日と2月27日、「入門書の歴史」 ありがとうございました!

youtubeでも動画アップされてますので、ぜひ見て見て下さい~

 

だめだとは思うんですが、たくさん喋ったり文章をたくさん書いた後には、なんか筆がとれなくなるので、今になりました。他にも忙しかったし・・・

しかし時間が空いたことで進んだ点もあると思うので、、いま改めてこれにコメントしてみたいと思います。
 
 
 
・先日、囲碁史学会のかたに、「入門書の歴史という試みは新しい」というようなことを言っていただけました。
ありがたいし、確かに!とも思いました。
 
囲碁の歴史は「盤上」の歴史、同時に「トップ棋士」の歴史というのが大きな流れだと思います。
江戸時代から現代まで、プロ制度が中心に置かれて、囲碁界を見ている感じ。
 
囲碁がどのように話され、紹介され、遊ばれ、考えられ・・・という、いわば「民衆」の側の歴史を見つけることができるだろうか。増川宏一先生のご研究(『碁』法政大学出版局 など)はその点も多く書かれています。
 
昔はその点を知れる史料は少なかったけれど、現代では必ずしもそうでもない。
つまり今回でいえば数多くの「入門書」を通じて、
(それを書いたのは囲碁強い人であっても)
囲碁を覚える瞬間について何かを知ることができるかも知れないわけですね
囲碁の文化を考えたり作ったりするにあたって、そのあたりを知ることは重要でしょう。
 
たとえばツイッターだけを見ても、たびたび議論が起きたりします。
(最近だと囲碁入門関連、書籍の厳しい記述について、碁会所批判、などでしょうか)
 
何かが語られることで浮かぶべき問題が浮かび、それぞれの立場が顕れたりするので、大事なことです。
それを実り多いものにするためには、過去にどんな言説があったのか、という土台があったら尚よいわけで、それが文系の研究の価値の一つだと思われます。
 
例えば、1961年『囲碁の手ほどき』(下田源一郎五段)の前書きに、囲碁入門で大事なことの精神が先駆的に書かれていたり
明治から現代にかけて、厳しい記述は減ってきていたり(これは紹介しきれませんでしたが)
 
などなど、もうすでに考えられていたことが色々あったのでした。
 
私としては、「強いほうの人が、相手のことを想像できないこと」
をやめていく過程が入門書の歴史に見られると思います。(まだ途中とは思いますが)
 
例えば、囲碁が強い人の感覚だけで入門書を書いて、初心者が全くわからんものができちゃったりとか
厳しい言葉が当たり前に使われていたけれども、当然それが大丈夫じゃない人もいるわけで、それをやめていくとか
 
現代的な基本姿勢として、あったほうがいいんじゃなかと思います。
 
 
・女性差別について、第二回で取り上げました。
 
(この記事についても、同様に考えていただきたいです)
 
私は世間一般から見ても「マジョリティ」のほうになりやすい立場の人間ですし、囲碁の世界でもそうだと言えます。
男性です。囲碁が強いほうの人間として、仕事をしています。
 
囲碁の世界は人間を男女に二分した形でとらえて、男性優位なように不平等な形を温存しており
(解消の努力があること、同じ土俵で戦っていることは勿論ですが)
それを解消する責任があるとしたら、それはマジョリティ側にあると思います。
私個人の意見でもありますが、一般的といえる発想ではないでしょうか。
 
それゆえ、「そんな自分がどうするか」からスタートすることにこだわりました。
聞いて下さっている皆さんの立場はそれぞれですが、ジェンダー記述への検討は「人間への囲碁入門」を考えるとしたら必要です。そこに特定の人への排除があったら、人間への、とは言えないためです。
 
 
さて、そんなわけで発表では「女性」についての記述を見ていったのですが、それは従来の囲碁界の言説に準じたものでして、足りていないところがあると思われます。
ジェンダー研究やフェミニズムの昨今の考え方では、そして実際の人間のとらえ方としては、
男女の二元論では人間をとらえられない
となるはずです。
その点をほぼ何も言えなかった(質疑応答のときに一言だけ)ので、私というか囲碁界の課題だと思います。
 
たとえば、いま「ペア碁」の公式大会では、「男女」で組むものとなっていますが、このままでいいのかどうか。
 
「女流」なる概念を検討する回がもし開催出来たら、そのときに発表したいですし、考え続けていくと思います。
 
 
・完全に後で気づいたこと。
 
石倉九段への批判のさなか、明治時代とやってることが変わらない」というくだりがありましたが、それは「女性」への見方として、でした。
逆に内容として変わったこととは何か、って言ったら囲碁なんですけど
 
明治では囲碁は「戦い」(野武士!!)、激しい男性的なものと見られていたのに対し、
石倉九段の段階では穏やかなもの」と見られていること。
そして現代のわたしたちも、後者のイメージを所与のものとして受け取りがちであること。
どこかのタイミングで、囲碁が激しいものから穏やかなものに変わった。
少なくとも、そういう言説が増えてきたキッカケがあるはずだ。
 
さっこん、囲碁は「平和」といわれることが多い気がします。なんなら私の囲碁アートも言われます。
明治の段階から、よくそこまでイメージを変えたものです・・・。
 
しかし同時に、逆に、「いくさ」としての説明も歓迎されるでしょう。
「戦争ゲーム」として説明されることが、今もあるはずです。
 
この平和と戦いの奇妙な関係とは。いつからそうなったのか、だれがそうしたのか。
 
この精神の変遷が気になりました。とりあえず、すぐに浮かぶのは呉清源九段の「碁は調和」という発想でしょうか。
 
 
とりとめがありませんが、ひとまず思ったことを書いてみました。
お読みくださりありがとうございます!

「入門書の歴史」第2回の序論。

2022-02-21 22:36:43 | 囲碁の入門書

「普通の能力を有する者に在りては婦女子と雖(いえど)も此一編を篤と熟読研究せば
棋道が如何なる趣味有るものなるかを知了せん事蓋し疑ひを容れざる處なり」
(1909年 『大日本囲碁解釈』井上保申)

 

「チェスや将棋は、完膚なきまでに相手を打ちのめすゲームですね。その点、囲碁は、相手も地を取りますが自分も地を取ります。
「完膚なきまで……」という息づまる戦いではなく持久戦。チェスや将棋が短距離走なら、囲碁はマラソンに例えられるでしょう。
女性に向いているという所以は、こうしたゲームの性質にあるのではないかと、私は思います。」
(1995年 『これだけで碁が分かる 入門から初段まで』石倉昇)

 

「最近は、女性や入門初心者が行きやすい“囲碁が打てる場所”が増えています。」
(2014年 『女性のための囲碁の教科書』)

 

 

入門書を調べていると、ときたま「女性」について言及した文章がでてきます。
でてきます、とわざわざ書いたのは、「男性」という文字のほうは、わざわざ出てこないためです。

 

2月27日(日)の第2回「入門書の歴史」

その内容を少しお見せしたいと思います。

残席まだまだありますので、ご予約いただけたら嬉しいです!

 


1、『大日本囲碁解釈』と明治の女性

 


「婦女子といえども」。
囲碁をする人は男性なのが普通で、女性が囲碁をやるのは珍しい、という背景を感じます。
そして、ここでの「普通の能力」とは。

明治時代の女性の立ち位置を「良妻賢母主義」というキーワードで振り返り、
この入門書の2年後、平塚雷鳥らが立ち上げた『青鞜』という雑誌の活動、
(「元始、女性は太陽であった」の創刊宣言、その意味を読み解きます)

同時期に活躍した囲碁の「天才」喜多文子氏について紹介し、
前書きの文章の背景、井上師の心情を探ってみました。

 


2、「現代入門書」と女性、そのはじまりと問題点

 

 

囲碁教室での指導を活かし、現代的な水準の入門書を定着させたひとり、石倉昇プロ。
彼は同時に、やはりその体験から「女性」への囲碁普及に積極的になっています。

しかし、ここで引いた石倉プロのコラムには、言いたいことが山ほどあります。

将棋やチェス?「囲碁が女性に向いている」ことの理由付けは?
分析すると、「明治」が現代に蘇ってくるはずです・・・!
囲碁の世界に残る問題を、ここでは批判的に考えてみます。

 


3、誰が入門書を作ってきたのか、作っていくのか

 

 

『女性のための囲碁の教科書』

これは「おっ」と思わせる、思い切ったタイトルだと思います。
大変におすすめの入門書。囲碁を始めるために必要な内容がきれいにまとまっています。

そのうえで、女性にフォーカスしている。

本書の書き手が誰であるのか。男性が書いたとしたら、女性が書いたとしたら。

そしてその方針をしっかり見ていくと、ある問題意識をもって囲碁の世界を見ている、

注目すべき仕事がそこにはありました。

 

4、「女流」の囲碁界的な意味

 

「入門書」からは少し離れることになりますが

以上の三冊について検討したうえで、囲碁の世界において「女流」と名指されるものとは何か、考えてみたいと思います。

果たして囲碁の歴史は、「囲碁をするのは男性が普通」という格差を打ち破ることができるのか?

 

 

おおむね以上となります。

乞うご期待!!!

 

参照文献(囲碁関係以外で)

『良妻賢母主義から外れた人々』関口すみ子 2014年 みすず書房

『良妻賢母の世界』仙波千枝 2008年 慶友社

『『青鞜』 女性解放論集』堀場清子編 1991年 岩波文庫


「イベントの流れを止めても、差別を指摘することができます。」

2022-02-14 18:26:43 | 囲碁の入門書

どうも、囲碁の先生してます関です。

 

(第2回は2月27日!まだ空席あります!)

 

先日、平井の本棚で1月30日に行われました
入門書の歴史 第1回の動画をアップしました。

前後編で2本になっております。

 

前編では、明治42年の入門書『大日本囲碁解釈』を紹介。
ドヨメキが起こるくらい、現代と感覚が違う点を頑張って伝えてみました。

 

 

後編では、現代に向けて入門書が変化していく流れをお話ししています。
石倉昇プロの1994年の本あたりから、現代的な潮流ができあがるのではないか(「現代入門書」)

ということを考えてみました。

 

テーマ的にお堅いところはお堅いものになっていますが、
笑いありドラクエありで進めることができたんじゃないかと思います。


発表の内容については、ひとまず動画に任せるとして
自分が研究をして何かを発表するときに気を付けることにした点がありますので、

今回はそれを紹介してみたいと思います。

 


☆流れに関わらず指摘していただいて構いません

 

まず最初に、二つのことを表明しました。

 

 

このうちの後者が、今回特に大切に思っていることです。

今回の「入門書の歴史」というテーマでやるにあたり
もっとも大きな存在感を持った人の本の中で、どうしても見過ごすべきでない、
女性差別的とみられる箇所がありました。
第2回の「入門書とジェンダー、明治と『青鞜』」で指摘する予定でおります。

入門書を書く技術の積み重ねは凄いものであることを動画で解説していますが、
同時に、囲碁界がずっと抱えている問題点もあったのです。
(その人だけでなく、全体の問題とも見たいところです。)
それをスルーして発表することは、特定の属性の人が踏みつけられているのに、何もなかったことにしてしまうのに等しいと思いました。


とはいえ、書いた人も、それを指摘しようと思っている私も、男性です。
私は、男性以外の者としての主観を持ったことがありません。
研究書やほかの人の意見も参考にしていますが、
それでも私が完璧に話せるとは考えていません。

つまり私が無自覚に差別してしまう危険もあると思います。
それもまた、そのままにしておくべきとは思えません。


本来、どんな場合でも差別は指摘されてよいものです。
しかし、なかなかできることではありません。
具体的な人間関係のなかで、とっさにはもちろん、後からでも指摘することには大変な困難があることがほとんどでしょう。
私がこの会をこのテーマで開くのですら、怖がりながら(今も)悩んだすえに決断したものです。

そこで、「場」のシステムからそうしちゃおう。
差別と感じたら指摘してよい、という決まりを作りたいのです。

今回いちばん喋るのは私なので、ひとまず「関自身の発言」にしました。

「もし私の発言により、どなたかが抑圧を受けてしまった場合は、
イベントの流れを止めても指摘することができます」ということを明示しました。

イベントの最中でも後回しにせず対応しますし、終わった後でもいいです。


わざわざこの明示をすることには(特に囲碁の世界では)意味があると思っています。


囲碁の世界は、昔から「囲碁が強い人が雲の上」みたいな雰囲気があります。
それはプロ棋士のことでもあるし、
たとえば囲碁部や同好会において、その中で一番強い人がエラくなっちゃったりしがちです。
何気ない会話でもそうですが、特に囲碁を教わっているときに、
どんな発言でも、「強いから」許されてしまうかもしれません。
一方的に厳しいことを言ったり、怒ったりしても。
(最近は減ってきていると信じますが・・・。)

もしそうだったとして、指摘できるだろうか。

 

加えて、囲碁は伝統的に男性のプレイヤーのほうが多いものでしたから、
男性&囲碁強い人が、大きな力を持ちやすいという傾向があります。
この言い方が良いか分かりませんが、マジョリティになりやすい。
私は、囲碁が強いほうの男性であるので、その点を自省しつつ臨むべきだと思います。


また、参加した囲碁の会が、問題なく楽しく進んでいたとします。
楽しく成り立っているのは素晴らしいことですし、このイベントもそうでありたいものです。

しかしその途中で、些細にも思えるけれど、引っかかることを言われたとします。
相手に悪気はなさそうです。忘れようと思うけれど、なんかモヤモヤしてしまいます。
(「マイクロアグレッション」のようなもの)

そういう場合にも、言えるような場にしたいのです。

「せっかくの楽しい場だから、壊してしまうのは申し訳ない。」
「些細なことだから、それを指摘するのは不快に思われるのではないか。」

という思いが歯止めになってしまいます。

「いや、いいんです、そちらのほうが大ごとです」
というメッセージを、場のシステムによって出すことができるかも知れません。

いきなりすべてが変わらないかも知れないけれど、
少なくとも私のいるところでは、そうしたいと思います。


このようなことを「息苦しい」と評する人がいる世の中だと思いますが
私はこうした考え方があることで、生きるのがだいぶ楽になったひとりです。

 

2月27日(日)の第二回も、しっかり準備して、興味深い発表にしたいと思います。

ぜひご予約ください~~!


入門書紹介・後編(1994年~現在)

2022-01-26 20:48:30 | 囲碁の入門書
どうも、囲碁の先生してます関です!
 
 
 
 
今週日曜日です。換気と消毒を徹底し、定員・予約制で行います。
後日、youtubeでもアップを予定しています。
 
まだ席は空いていますので、もしお越しになりたいかたは、
メール sekishoichi15@gmail.com や
までご連絡ください。
 
 
今回は後編!
ついに、囲碁入門書の進化した姿が明らかになります・・・!
 
 
ここから挙げる本は、以下の特徴を備えているものがほとんどで、
これらを「現代入門書」の特徴である、とまとめたいと思っています。
 
・初めの方で、まず囲碁のルールをしっかり示す
・「地」の説明のとき、盤上に×や△などの印がついている
・実戦例を用いた解説がある
・問題形式で、技を覚えられる
・デザインに見やすい工夫がある

・・・ほかにもあるかも知れませんが、いま「入門書」といったら、こんな感じじゃないですか?

勿論、いろいろな人が入門書を出しています。

しかし、ほとんどがこれらの要素を外さず取り入れているようです。

実際に初心者と接した経験を取り入れること。囲碁を遊び始めるために必要なものは何かを考えること。

その追求が実を結んだものだと思います。

 

1994年 『すぐ打てる囲碁入門』石倉昇八段 (高橋書店)

 
この一冊から、「現代入門書」といえるのではないか。
 
本書はとくに「実戦例」の点に特色があり、なんと「1手1ページ」で解説している。
一手ずつ進むさまを、ページをめくるごとに追体験できますし、
最初に囲碁を打つときに必要なことの解説も充実しています。
 
また、楽しそうな表紙に現れているように、
見やすいデザインの面で過去の入門書を超えていると思いました。
 
 
1995年 『入門から初段まで』石倉昇八段 (日本囲碁普及振興会)
 
 
初段までカバーしている・・・かどうかわかりませんが、
入門の面について申し分ない内容です。
『すぐ打てる囲碁入門』と似た時期で、別の出版社。
この二冊は互角のようなイメージです。
 
中のコラム「囲碁は女性に向いている」は、第2回の2月27日に検討することになります。
 
 
1995年 『絵で見てわかる 初めての囲碁入門』小山鎮男六段 (池田書店)
 
 
小山鎮男プロも、いわゆる「レッスンプロ」の代表者のひとり。
上の「現代入門書」の要素を備えていますが・・・
今の感覚でみると、文章量の多いという印象です。
 
しかし、クイズ王としても名をはせる教養、飽きさせない・やわらかい文章力でカバー。
お人柄のあたたかさが見えてきます。
 
 
1998年 『一人で強くなる囲碁入門』石倉昇八段  (日本文芸社)
 
 
ついに入門書の定番、といえるものが生まれました。
紙がきれい、サラサラ。実戦例もやさしめ。
スキのない入門書といえるのではないでしょうか。
 
そして、時は1998年。
そう、翌年はヒカルの碁連載開始です。
キッズたち・親御さんたちが書店に行き、まず手に入れるのがこの本だった
というパターンがあったのではないか。
「石倉先生」が、囲碁入門の一大アイコンとなったのです。
本書は最近、改訂版が出されており、長いこと支持を受けたことを示しています。
(かくいう私も、この本の続編『実戦で強くなる囲碁入門』で囲碁を覚えました。)
 
今から見ると厚いですが、
それは入門書がカバーすべきと考えられた内容が、今よりも多かったことが理由ではないかと思います。
また、こちらも第2回に中身を検討したい箇所があります。
 
 
2000年 『よくわかる・すぐ打てる みんなの囲碁入門』 監修 梅沢由香里四段 (池田書店) 
 
 
第二のビッグウェーブが到来!
そう、「ヒカルの碁」監修の梅沢由香里プロ(現・吉原由香里六段)
 
アニメ版の「GO!GO!囲碁」コーナーも担当した
ゆかり先生」
が新たに囲碁入門のアイコンとして浮上します。
この表紙は、本屋さんにいくたびに見かけましたね~。
 
ゆかり先生の本の特徴は、「囲碁を遊べるようになるところまで」に集中すること。
そのために、極限まで見やすいデザインを追求。
19路を載せず9路・13路に集中し、内容を絞るというナイス判断。
 
この方針は後に大きな影響を与えたのではないか。
 
 
2001年 『スーパー囲碁ゲーム ヒカルの碁 めざせ棋聖!』 Vジャンプ編集部
 
 
 
出会ってしまいました。ブックオフに感謝。
ゲームの攻略本ですが、実は囲碁じたいの解説もあつかっています。
薄い冊子に内容ぎっしり。
大人になったいまは、これは挫折すると思いますが
たぶん自分が子供だったら、隅々まで読んで囲碁覚えちゃうと思う。
 
テレビゲームの流行は間違いなく囲碁の位置づけに影響していると思いますが、
その合流地点の一つといえるのではないか。
プロでも囲碁業界人でもなく、Vジャンプ編集部の中の人が書いていると思われます。
その頑張りと苦闘が見られます。
 
 
2002年 『ゆかり先生のやさしい囲碁入門』 監修 梅沢由香里四段 (主婦と生活社)
 
 
「主婦と生活社」という、本日初の会社から出ています。
これは親子で読めるし、ゆかり先生の目標がよく達成される作りだと思います。
囲碁的に、おすすめの一品。
 
一つ気になるのは、すでに先生がいるのに男性の「博士」を登場させていることです・・・。
 
 
2008年 『大人のための らくらく囲碁入門』 (日本棋院)
 
 
日本棋院の公式本で、見た目通り安心のクオリティ。
囲碁ライターの伊瀬英介氏が執筆されています。
カラフルでテンション高そうな本が多くなってきた中、「大人」の落ち着きを出している。
 
この時期の本は、囲碁を「簡単」といいがちですが、
「難しいこともあるけれど、だんだん覚えましょう」というスタンスが、現代的だなと思いました。
入門指導の現場を知っている人の表現と感じられ、私は共感します。
 
 
2014年 『女性のための囲碁の教科書 初心者でも簡単に始められる入門書』 監修 吉原由香里五段 (土屋書店)
 
 
 
内容、完璧です。サブタイトルに偽りなしです。
IGOAMIGOさんの本であり、現場のノウハウがしっかり表現されているように思います。
ゆかり先生のスタイルどおり、盤は最大でも13路。
囲碁を始める、というところをがっちり狙い撃ちできていると思いました。
 
本書に関して、第2回で取り上げたいのは「タイトル」です。
ここで、「だれが」「だれに」「なんのために」書いたのか、
を考えていくと、囲碁界の様子が浮かんでくるかもしれません。
(このあたりは私の解釈となりますが)
 
 
2021年 『いちばんやさしい囲碁教室』 監修 芝野虎丸九段(ナツメ社)
 
 
最新オブ最新、昨年6月の発刊です。
執筆協力は囲碁ライターの佐野真氏。
時折、かわいい虎丸先生イラストがポイントを語りかけてくれます。
 
デザイン面で印象的なのが、「ネット碁」や「アプリ」を思わせる碁盤デザインである点で、
いまの時代をもっとも濃く映し出しています。
 
後半は難しそうな箇所も出てきますが、
難しさをちゃんと示す(たとえば「10級認定!」など)ことで「背伸び」の楽しみもありそうです。
 
 
 
 
・・・以上、19冊?かな?
こんなに入門書を読むとは想像してませんでしたが、凄い楽しかったです。
 
同時に、各時代の雰囲気を入門書から感じ取れるところも多く
これからの活動にかならず活かされるのではないかと思います。
 
絶対おもしろい発表にしますので
ぜひ、ご覧くださいね~~~
 

入門書紹介・前編(明治~1994年)

2022-01-23 17:31:01 | 囲碁の入門書

こんにちは! 囲碁の先生してます関です。

 

前回の記事では、「囲碁入門書」の特徴や役目について考えてみました。

 

今回から、発表のために入手・参照した入門書について、ごく簡単ですが特徴を書いてみたいと思います。

前編・後編に分けたいと思いますが、その境目を「1994年」としました。
より具体的に言えば、「石倉昇九段の2冊目の入門書出版」が1994年のようで、それが大きな意味を持つと考えたためです。
 
 
 
 
1909年(明治42年)『大日本囲碁解釈』井上保申
 
これ以前の「入門書」の存在についてはさらなる研究が必要ですが、棋士が書いたものとしてはかなり初期にあたるのではないかと思います。井上氏は「方円社」のかたです。
当日、つついてみましょう。
 
(まえがき)
 
 
(2ページ目です。そう、これが2ページ目なのです
 
 
1961年 『囲碁の手ほどき』 下田源一郎
 
 
入門書を調べ始めて、一番の収穫の一つでした。
本書の前書きが大変に興味深く、当時の「入門」状況の貴重な証言があり、
初心者に向き合う著者の姿勢は、現代のわれわれにも響くものとなっています。
 
解説の内容じたいは、理屈を求めすぎて、初心者が読むには大変に苦労したはずです。
しかし「読ませる」「打たせる」情熱こもった文章です。
 
 
1962年『図解囲碁入門』鈴木富士夫
 
 
この時期の入門書、何が飛び出してくるかわかりませんが・・・
こちらは堅実な出来と思われます。
しっかり必要なことを説明しようとする丁寧さを感じます。
囲碁を「遊び」というより「芸道」と見ていることがよくうかがえる文章・構成です。
 
 
1973年『初歩囲碁入門 この本だけで完全にマスターできる』渡辺昇吉
 
 
きた!!予想超えてきた!!!
いや、どんなに昔の、自分たちの価値観と遠そうなものでも、「入門書」って名前で出てるものなら、頑張れば囲碁を覚えられると思うじゃないですか。
これだけは、どうしても無理だったんです。
 
 
1975年『やさしい囲碁入門』加藤正夫
 
 
堂々の一流棋士ですが、「構成」はライターの栗原聖さん。
堅実な内容です。昭和らしく、情報量は多い。
しかし初手から終局までの「対局例」がありませんでした。
(明治本にはあったのです)
 
注目すべきは「質問形式」にしていること。ある質問へのレスポンスという形で解説されていきます。
ここにきて、「読み手に対するわかりやすさ」を構成において求める姿勢が現れたわけです。
しかし、その質問をしている人は「入門者」ではなく、書いてる側が用意したものと見ねばなりません。
 
 
1986年『はじめての囲碁入門』石倉昇
 
 
やはり、今回の発表での最重要人物の一人。
現九段の、なんと五段時代です。デビュー作ではないでしょうか。
実際の対局例を多く示し、章立ても見やすくなっているなど、のちの「石倉先生の入門書らしさ」をすでに感じさせます。
 
今回確認できた中では、1986年の本書の次が、1994年『すぐ打てる囲碁入門(石倉八段)』
この二冊の違いを比べると、面白いものが見えてくるはずです。
 
 
1989年 『初めての人によくわかる囲碁』こしあきお
 
 
「こしあきお」氏は囲碁棋士ではなく、アマチュアの(おそらく)出版人と思われます。
従来の専門的すぎる入門書ではなく、初心者にわかりやすく。
という意図が述べられており、
碁盤の図がカラーになっている。地(陣地)の解説のときに、地の場所にしるしをつけて見やすくしている。
という定番となっていく要素を、(今回確認した中では)最初期に取り入れている本だと思います。
 
とはいえ文章量がすごく多い。この時期だと普通だったのでしょうか。
 
 
1992年 『7日で碁が打てる 九路盤囲碁入門』日本棋院 編
 
 
日本棋院の公式?入門書はたびたび出ています。本書はライターの甘竹潤二氏が「構成」です。
いっけん地味ですが、あなどれません。
タイトル通り「九路盤」で、試合で用いる「十九路」の4分の1のサイズ。
それにより二つの図を上下に配置し、碁盤と、展開の流れがとても見やすい。
一気に読ませず「7日」(これが長いか短いかは人によると思いますが・・・)
無理ないペース配分を意識させる点も、もしかすると新機軸だったかも知れない。
 
 
1994年 『はじめて打つ碁』趙治勲
 
 
時代的には94年ですが、上記の棋院本からの流れを感じ、ここに挙げます。
構成・執筆は小堀啓爾氏です。治勲先生とのペアでおなじみ。
 
九路、どころか本書は「五路盤」。なんと1ページに三段、図を配置しています。
それゆえ見やすさマックス、展開の追いやすさマックス、
解説内容も、昔~現代含め、独特の点が多く、とても面白いです。
このあたりからは、現代にインストラクターをしている私としても、
生徒さんに十分おすすめできる本がだんだん出てきます。
 
 
(後編、現代編につづく!)