囲碁とロック

好きなことについて

入門書紹介・後編(1994年~現在)

2022-01-26 20:48:30 | 囲碁の入門書
どうも、囲碁の先生してます関です!
 
 
 
 
今週日曜日です。換気と消毒を徹底し、定員・予約制で行います。
後日、youtubeでもアップを予定しています。
 
まだ席は空いていますので、もしお越しになりたいかたは、
メール sekishoichi15@gmail.com や
までご連絡ください。
 
 
今回は後編!
ついに、囲碁入門書の進化した姿が明らかになります・・・!
 
 
ここから挙げる本は、以下の特徴を備えているものがほとんどで、
これらを「現代入門書」の特徴である、とまとめたいと思っています。
 
・初めの方で、まず囲碁のルールをしっかり示す
・「地」の説明のとき、盤上に×や△などの印がついている
・実戦例を用いた解説がある
・問題形式で、技を覚えられる
・デザインに見やすい工夫がある

・・・ほかにもあるかも知れませんが、いま「入門書」といったら、こんな感じじゃないですか?

勿論、いろいろな人が入門書を出しています。

しかし、ほとんどがこれらの要素を外さず取り入れているようです。

実際に初心者と接した経験を取り入れること。囲碁を遊び始めるために必要なものは何かを考えること。

その追求が実を結んだものだと思います。

 

1994年 『すぐ打てる囲碁入門』石倉昇八段 (高橋書店)

 
この一冊から、「現代入門書」といえるのではないか。
 
本書はとくに「実戦例」の点に特色があり、なんと「1手1ページ」で解説している。
一手ずつ進むさまを、ページをめくるごとに追体験できますし、
最初に囲碁を打つときに必要なことの解説も充実しています。
 
また、楽しそうな表紙に現れているように、
見やすいデザインの面で過去の入門書を超えていると思いました。
 
 
1995年 『入門から初段まで』石倉昇八段 (日本囲碁普及振興会)
 
 
初段までカバーしている・・・かどうかわかりませんが、
入門の面について申し分ない内容です。
『すぐ打てる囲碁入門』と似た時期で、別の出版社。
この二冊は互角のようなイメージです。
 
中のコラム「囲碁は女性に向いている」は、第2回の2月27日に検討することになります。
 
 
1995年 『絵で見てわかる 初めての囲碁入門』小山鎮男六段 (池田書店)
 
 
小山鎮男プロも、いわゆる「レッスンプロ」の代表者のひとり。
上の「現代入門書」の要素を備えていますが・・・
今の感覚でみると、文章量の多いという印象です。
 
しかし、クイズ王としても名をはせる教養、飽きさせない・やわらかい文章力でカバー。
お人柄のあたたかさが見えてきます。
 
 
1998年 『一人で強くなる囲碁入門』石倉昇八段  (日本文芸社)
 
 
ついに入門書の定番、といえるものが生まれました。
紙がきれい、サラサラ。実戦例もやさしめ。
スキのない入門書といえるのではないでしょうか。
 
そして、時は1998年。
そう、翌年はヒカルの碁連載開始です。
キッズたち・親御さんたちが書店に行き、まず手に入れるのがこの本だった
というパターンがあったのではないか。
「石倉先生」が、囲碁入門の一大アイコンとなったのです。
本書は最近、改訂版が出されており、長いこと支持を受けたことを示しています。
(かくいう私も、この本の続編『実戦で強くなる囲碁入門』で囲碁を覚えました。)
 
今から見ると厚いですが、
それは入門書がカバーすべきと考えられた内容が、今よりも多かったことが理由ではないかと思います。
また、こちらも第2回に中身を検討したい箇所があります。
 
 
2000年 『よくわかる・すぐ打てる みんなの囲碁入門』 監修 梅沢由香里四段 (池田書店) 
 
 
第二のビッグウェーブが到来!
そう、「ヒカルの碁」監修の梅沢由香里プロ(現・吉原由香里六段)
 
アニメ版の「GO!GO!囲碁」コーナーも担当した
ゆかり先生」
が新たに囲碁入門のアイコンとして浮上します。
この表紙は、本屋さんにいくたびに見かけましたね~。
 
ゆかり先生の本の特徴は、「囲碁を遊べるようになるところまで」に集中すること。
そのために、極限まで見やすいデザインを追求。
19路を載せず9路・13路に集中し、内容を絞るというナイス判断。
 
この方針は後に大きな影響を与えたのではないか。
 
 
2001年 『スーパー囲碁ゲーム ヒカルの碁 めざせ棋聖!』 Vジャンプ編集部
 
 
 
出会ってしまいました。ブックオフに感謝。
ゲームの攻略本ですが、実は囲碁じたいの解説もあつかっています。
薄い冊子に内容ぎっしり。
大人になったいまは、これは挫折すると思いますが
たぶん自分が子供だったら、隅々まで読んで囲碁覚えちゃうと思う。
 
テレビゲームの流行は間違いなく囲碁の位置づけに影響していると思いますが、
その合流地点の一つといえるのではないか。
プロでも囲碁業界人でもなく、Vジャンプ編集部の中の人が書いていると思われます。
その頑張りと苦闘が見られます。
 
 
2002年 『ゆかり先生のやさしい囲碁入門』 監修 梅沢由香里四段 (主婦と生活社)
 
 
「主婦と生活社」という、本日初の会社から出ています。
これは親子で読めるし、ゆかり先生の目標がよく達成される作りだと思います。
囲碁的に、おすすめの一品。
 
一つ気になるのは、すでに先生がいるのに男性の「博士」を登場させていることです・・・。
 
 
2008年 『大人のための らくらく囲碁入門』 (日本棋院)
 
 
日本棋院の公式本で、見た目通り安心のクオリティ。
囲碁ライターの伊瀬英介氏が執筆されています。
カラフルでテンション高そうな本が多くなってきた中、「大人」の落ち着きを出している。
 
この時期の本は、囲碁を「簡単」といいがちですが、
「難しいこともあるけれど、だんだん覚えましょう」というスタンスが、現代的だなと思いました。
入門指導の現場を知っている人の表現と感じられ、私は共感します。
 
 
2014年 『女性のための囲碁の教科書 初心者でも簡単に始められる入門書』 監修 吉原由香里五段 (土屋書店)
 
 
 
内容、完璧です。サブタイトルに偽りなしです。
IGOAMIGOさんの本であり、現場のノウハウがしっかり表現されているように思います。
ゆかり先生のスタイルどおり、盤は最大でも13路。
囲碁を始める、というところをがっちり狙い撃ちできていると思いました。
 
本書に関して、第2回で取り上げたいのは「タイトル」です。
ここで、「だれが」「だれに」「なんのために」書いたのか、
を考えていくと、囲碁界の様子が浮かんでくるかもしれません。
(このあたりは私の解釈となりますが)
 
 
2021年 『いちばんやさしい囲碁教室』 監修 芝野虎丸九段(ナツメ社)
 
 
最新オブ最新、昨年6月の発刊です。
執筆協力は囲碁ライターの佐野真氏。
時折、かわいい虎丸先生イラストがポイントを語りかけてくれます。
 
デザイン面で印象的なのが、「ネット碁」や「アプリ」を思わせる碁盤デザインである点で、
いまの時代をもっとも濃く映し出しています。
 
後半は難しそうな箇所も出てきますが、
難しさをちゃんと示す(たとえば「10級認定!」など)ことで「背伸び」の楽しみもありそうです。
 
 
 
 
・・・以上、19冊?かな?
こんなに入門書を読むとは想像してませんでしたが、凄い楽しかったです。
 
同時に、各時代の雰囲気を入門書から感じ取れるところも多く
これからの活動にかならず活かされるのではないかと思います。
 
絶対おもしろい発表にしますので
ぜひ、ご覧くださいね~~~
 

入門書紹介・前編(明治~1994年)

2022-01-23 17:31:01 | 囲碁の入門書

こんにちは! 囲碁の先生してます関です。

 

前回の記事では、「囲碁入門書」の特徴や役目について考えてみました。

 

今回から、発表のために入手・参照した入門書について、ごく簡単ですが特徴を書いてみたいと思います。

前編・後編に分けたいと思いますが、その境目を「1994年」としました。
より具体的に言えば、「石倉昇九段の2冊目の入門書出版」が1994年のようで、それが大きな意味を持つと考えたためです。
 
 
 
 
1909年(明治42年)『大日本囲碁解釈』井上保申
 
これ以前の「入門書」の存在についてはさらなる研究が必要ですが、棋士が書いたものとしてはかなり初期にあたるのではないかと思います。井上氏は「方円社」のかたです。
当日、つついてみましょう。
 
(まえがき)
 
 
(2ページ目です。そう、これが2ページ目なのです
 
 
1961年 『囲碁の手ほどき』 下田源一郎
 
 
入門書を調べ始めて、一番の収穫の一つでした。
本書の前書きが大変に興味深く、当時の「入門」状況の貴重な証言があり、
初心者に向き合う著者の姿勢は、現代のわれわれにも響くものとなっています。
 
解説の内容じたいは、理屈を求めすぎて、初心者が読むには大変に苦労したはずです。
しかし「読ませる」「打たせる」情熱こもった文章です。
 
 
1962年『図解囲碁入門』鈴木富士夫
 
 
この時期の入門書、何が飛び出してくるかわかりませんが・・・
こちらは堅実な出来と思われます。
しっかり必要なことを説明しようとする丁寧さを感じます。
囲碁を「遊び」というより「芸道」と見ていることがよくうかがえる文章・構成です。
 
 
1973年『初歩囲碁入門 この本だけで完全にマスターできる』渡辺昇吉
 
 
きた!!予想超えてきた!!!
いや、どんなに昔の、自分たちの価値観と遠そうなものでも、「入門書」って名前で出てるものなら、頑張れば囲碁を覚えられると思うじゃないですか。
これだけは、どうしても無理だったんです。
 
 
1975年『やさしい囲碁入門』加藤正夫
 
 
堂々の一流棋士ですが、「構成」はライターの栗原聖さん。
堅実な内容です。昭和らしく、情報量は多い。
しかし初手から終局までの「対局例」がありませんでした。
(明治本にはあったのです)
 
注目すべきは「質問形式」にしていること。ある質問へのレスポンスという形で解説されていきます。
ここにきて、「読み手に対するわかりやすさ」を構成において求める姿勢が現れたわけです。
しかし、その質問をしている人は「入門者」ではなく、書いてる側が用意したものと見ねばなりません。
 
 
1986年『はじめての囲碁入門』石倉昇
 
 
やはり、今回の発表での最重要人物の一人。
現九段の、なんと五段時代です。デビュー作ではないでしょうか。
実際の対局例を多く示し、章立ても見やすくなっているなど、のちの「石倉先生の入門書らしさ」をすでに感じさせます。
 
今回確認できた中では、1986年の本書の次が、1994年『すぐ打てる囲碁入門(石倉八段)』
この二冊の違いを比べると、面白いものが見えてくるはずです。
 
 
1989年 『初めての人によくわかる囲碁』こしあきお
 
 
「こしあきお」氏は囲碁棋士ではなく、アマチュアの(おそらく)出版人と思われます。
従来の専門的すぎる入門書ではなく、初心者にわかりやすく。
という意図が述べられており、
碁盤の図がカラーになっている。地(陣地)の解説のときに、地の場所にしるしをつけて見やすくしている。
という定番となっていく要素を、(今回確認した中では)最初期に取り入れている本だと思います。
 
とはいえ文章量がすごく多い。この時期だと普通だったのでしょうか。
 
 
1992年 『7日で碁が打てる 九路盤囲碁入門』日本棋院 編
 
 
日本棋院の公式?入門書はたびたび出ています。本書はライターの甘竹潤二氏が「構成」です。
いっけん地味ですが、あなどれません。
タイトル通り「九路盤」で、試合で用いる「十九路」の4分の1のサイズ。
それにより二つの図を上下に配置し、碁盤と、展開の流れがとても見やすい。
一気に読ませず「7日」(これが長いか短いかは人によると思いますが・・・)
無理ないペース配分を意識させる点も、もしかすると新機軸だったかも知れない。
 
 
1994年 『はじめて打つ碁』趙治勲
 
 
時代的には94年ですが、上記の棋院本からの流れを感じ、ここに挙げます。
構成・執筆は小堀啓爾氏です。治勲先生とのペアでおなじみ。
 
九路、どころか本書は「五路盤」。なんと1ページに三段、図を配置しています。
それゆえ見やすさマックス、展開の追いやすさマックス、
解説内容も、昔~現代含め、独特の点が多く、とても面白いです。
このあたりからは、現代にインストラクターをしている私としても、
生徒さんに十分おすすめできる本がだんだん出てきます。
 
 
(後編、現代編につづく!)

デジタルの囲碁、NFTの囲碁

2022-01-12 22:31:25 | 日記
初めての経験で、いま可能性がすごいヒラけていて楽しいです。
 
「Ethereum」という仮想通貨で、デジタルのアートを売買できるんですって。
デジタルだと複製が可能。
それがいままでネックだったのが、仮想通貨の仕組みで、買ったという記録が独特な形で残る。
売買として成立しているみたい。不思議
 
こんな感じで、理解があれですねw
何から何までわかってはいませんが、それは囲碁も同じなので
まあいってみるかと飛び込んでみました。
 
ここにくればガチの囲碁アートが見れる、というスペースを持てたのが、まず嬉しいです。
現実に自分のギャラリーを持つよりも、だいぶ手軽にできてしまいます。
(通貨関連のいろいろはありましたが)
だんだん充実させていきたいし、NFTならではの企画もしていきたい。
 
どれくらい観て、買ってもらえるかは、これからの私の行動次第でしょう。
もちろん登録しただけでは今のところ7viewとかしかないので
リアル・ネット問わず展示したり、色んな人と話したり、
そうするなかでNFTが存在感を発揮したらいいなと思います。
 
 
 
囲碁アートは、そもそも「デジタルアート」といえる面が大きいです。
 
でかいやつはPC上で製作しており、jpgやpng、bmpなどの形式です。
19路や13路で、実際に並べられるものも、「アート」としての所在があいまいです。
それは崩される運命にあり、碁盤と碁石があれば、いつでもまた召喚できます。
「油絵がキャンバスに描いてある」ような形とは、そもそも違う存在のしかたなのです。
 
いままで画集にしたりして、お蔭様でたくさん手に取っていただけましたが
一枚の絵をどーんと売る、みたいなイメージをあまり持てていませんでした。
オーダーメイドはやろうと思っているのですが。
 
自分にとって、そこにカチッとはまるかも知れないのが、NFT
これをこのまんま、価値を感じる方に売らせてもらえます。
 
 
(何回出すのか)
 
実際並べると迫力があって、「やっぱ現物すごいね~」って言ってもらえるのですが
 
 
すでに現代は、「パソコンの中の碁盤」も、そうとう現実的なものだと思います。
重要な「リアル碁」と気楽な「ネット碁」、というのを普段なんとなく会話で使ってた気がしますが
確かにネット碁は気楽に打ってることが多いとは言え
私含めて30代以下の世代だと、幼き頃からネット碁に育てられた人は多いと思いますし
 
最近はコロナなので、プロの国際戦までも、ネット碁で打っていたりします。
たとえば「農心杯」は、いま一番アツい国際マッチの一つ。日中韓の5人ずつの対抗戦です。
打ってるほうも観てるほうも手に汗握って
井山先生の四連勝は国際社会に衝撃をもたらしました。
 
ネット碁はリアル碁より重要度が低い、なんて、いつの間にか言えなくなっているのではないか。
 
そう考えるとヒカルの碁はすごいタイミングでしたね。
これからネット碁の時代になる、というときに、作中最重要の対局がネット碁でした。
 
 
jpgでしか存在できない200路盤でも、
囲碁として囲碁アートとして、がっちり存在と価値を保証される
そんな瞬間がくるように頑張ります。

「囲碁入門」には二種類ある。~囲碁の入門書研究の序文~

2022-01-11 18:43:36 | 囲碁の入門書
こんにちは、囲碁の関です。
 
今月末・来月末のイベント
平井の本棚さまにて、1月30日(日)2月27日(日)
13:30~ からの開催です。
 
 
定員制となっております。
まだまだ空席ありますので、メールかDMか店頭で、ぜひご予約ください!
ご希望のかたがいらっしゃれば、テーマにちなんで、囲碁の体験教室もあります!
 
 
今回から、その核心により近づくための記事をアップしていこうと思います。
というのも、いろいろ言わねばならないことが多すぎて、伝えきれるかどうか不安なのです。
やっているとすぐ時間なくなってしまうし。
聞いた時にスッと受け入れて頂けるように、自分の喋りをさらに整理できるように、ブログも使ってみようと思います。
 
まず第一回は、これをやっている私の立ち位置と、私からみたときの「入門書」の立ち位置についてです。
 
 
 
 
関です。
 
囲碁インストラクター的なことをしております。
「囲碁アート」までひっくるめ、囲碁のことを色々やって生きています。
 
初台囲碁クラブさんや、こちら平井の本棚さんでの囲碁教室。
最近ですと翔和学園という学校で、子供たちに囲碁の授業をはじめました。
 
自分より強い人でなければ笑、どなたにも良いお手伝いをしようと頑張っているわけですが、いま中心となっているのは級位者の人、そして囲碁をこれから覚えようとされる人です。
9年ほど生徒さんと接する中で、「囲碁入門」をはじめとして、囲碁とか気持ちとかを良い方に向けていくことの積み重ねを得ることができ、その点で皆さまのお手伝いをしているという状況です。
 
 
そういうお仕事なので、「究極の囲碁入門法」ですとか、「新しいメソッド」みたいなのを期待されることがあるのですが・・
 
強いて言えば、自分が目指していることは二つだけ。
「会話する」、「お相手がくれた時間を良いものにする」です。
 
多数の人に(何十パーセントとか)伝えやすい方法はあるかも知れませんが、すべての人に伝わる奥義があるほど、人間は狭いものではありません。
人間はひとりひとり唯一無二で、新しい存在です。
ゲームとしての囲碁は変わらないものではありますが、「人間×囲碁」の「×」の部分は、歴史上、まったく同じであったことはありません。
 
「陣地」というものを見せられたとき、その人の目にどう映るか。石取りはどうか。
どちらのほうが、どれくらい得意で、飲み込みやすいか。
勝った時、負けた時、どう思うか。勝負をしたいか、そうでもないか。
石が離れているほうが好きか(前半戦が好きか)、くっついている方が好きか(後半戦が好きか)
その方がどんな日々を送り、囲碁はどの位置にあるか。私生活全部聞くわけじゃないですよ、念のためw
 
・・・などなど、ぜんぶ違います。
目の前の人と接することができる立場にある私としては、なんらかコミュニケーションをとることで、少しでも相手のことを知って、この違いに寄り添うべきなんです。
それをしないで唯一無二の適切な言葉を選ぶことはできませんし、囲碁の上達においても最良に近くなるんじゃないかと思います。
 
共通事項に思える囲碁のルールを話すときも、
お相手に確認したり、感想を聞いたりして、会話になって、あらぬ方向にいったりして・・・
結果的に、毎回けっこう違うことをしゃべっているものです。
それが自分のお仕事に課された責任、といえるのではないか。
うまくいったとき、ああ、自分がこの役目しててよかったのかもな、って思いますし
お互いにとって、良い時間になったといえるのではないか。
もちろん簡単なことではありませんから、毎回が修行です。
 
このように頑張っておりますが、
そのかわり、私ひとりがお相手できる人数は限られています。
幸いにも、良い先生がどんどん囲碁界に生まれているので、分業的にはなっていると思います。
 
 
 
さてようやく「入門書」です。
そんな私は、入門書を書くことができるでしょうか?
 
これが、たぶんまだノーなんです。
同じ「入門」であったとしても、やっていることが全然違います。
 
入門書は、書いて世に出したとき、何千冊何万冊と同じものが複製され、あとから書き換えることができません。
改訂はできますが、いったん人の手に渡ったものは、永久にそのままの内容となります。
 
得意なこと、勝負への考え方、まったく違う生活・・・どんな人が手に取っても、同じ内容が書いてある。
前述の私のスタイルと真逆ですね。
 
そのかわり、入門書は全国の書店に並び、最近ならネットで注文され、何千人何万人に届けることができます。
これは、私にはできません。
それゆえ入門書の内容には、人間が直接囲碁を教えることとは別の、独特な使命が課されることになります。
「どんな人にも伝わるような、普遍的な内容を目指す」ということです。
 
考えるほどに、気の遠くなるような大変な仕事だと思わされます。
相手のことが全く見えないのに、囲碁について、ある内容を書く。
にも関わらず、それがある人の囲碁のスタートになる。
 
囲碁してみたい。とりあえず本屋いってみよう
ってなり、入門書を買ったとして。
もし、挫折してしまったら・・・
 
その人はおそらく、当分は囲碁に触らないのではないか?
「じゃあもう一冊」、ってなりにくいでしょう。
囲碁の「入門書」を読んでもわからない、という体験をしてしまったら、
つまりそれは、「自分には囲碁が分からない」と言われたようなもの、となっても仕方ないです。
私だったら多分そうなります。
なんと、責任重大・・・!
 
 
この課題に、入門書は、どうやって対処してきたのでしょう。
それはやはり、「蓄積」とでも言うべきものです。
一人でいいものを書き上げるのではなく、百年単位の経験で作り上げていくのです。
数多くの入門書が出されました。手堅いものから意欲的なものまで、いろいろなものがありますが
評判が出て、影響を与え合って、より普遍的に・より多くの人が分かるものが作られてきました。
当日に流れを追っていくことになりますが、
1990年代位からは「現代入門書」とでも呼びたいスタイルが定着して、スタンダードになったように見えます。
 
 
囲碁という世界の一つの入り口。
そこは、性別、年齢、好み、思想、宗教・・・どんな人にも開かれています。
うまく通れないこともあります。
 
明治から現代まで入門書をたどってみると
 
すんごく入り口が狭いけれど、仲間が待っているから、頑張って通っていた時期
まだ通れないことも多いけれど、だんだん入り口が大きくなっているのがわかる時期
大きな入り口が沢山あって良くなったが、一人でやることになりやすい時期
特定の人たちにだけ、奥の方から、なんか違う視線がずっと注がれている・・・
 
のように、入り口(入門書)の流れと、その周辺のありようが、ちょっと見えてきました。
 
 
長くなりましたが、こんな感じのお話をしようと思っております。
次回の更新では、今回集めた入門書を、ざっと紹介する予定です。
 
ではまた!

わからんけど、ビートボックスが好き

2022-01-11 00:03:20 | 日記
いま「ヒューマンビートボックス」が熱いらしい。
 
ヒカキンさんがやってらっしゃることがもともと有名ではありましたが
 
 
それを解説するアジアチャンピオン二人組が急上昇
僕も一昨年からずっと観てて、四六時中聴いています。
とにかく褒める、というスタイルが素晴らしいと思います。
 
こんだけ長期間、はまるものは久しぶりです。
なので理由を考えてみました。
 
 
わからんけどなんかすごいし、良い
 
ただただ、すごいんだと思います。
 
観る専だから、やってみてわかっているわけではありません。
でも、耳が言ってます。すごいって。だからずっと聞いています。
 
 
わからなくても、わかります。すごいのが。
 
 
 
漫画みたい
 
能力バトルです。
人間がやっているので、得意な音や構成が違います。
 
 
最近の世界大会の動画ですが、音の重さが際立っている人と、スピードや綺麗さを武器にする人の名バトルです。
 
全くやったことないけれど、これも観て聴いただけでわかってしまう部分です。
音を聴いているつもりが、だんだんその人にも興味が湧いてくる仕組みです。
 
 
 
ただただ、音楽
 
 
良い
 
 
 
°˖✧˖°°˖✧▿✧˖°˖✧˖°˖✧˖°°˖✧▿✧˖°˖✧˖°˖✧˖°°˖✧▿✧˖°˖✧˖°˖✧˖°°˖✧▿✧˖°˖✧˖°˖✧˖°°˖✧▿✧˖°˖✧˖°˖✧˖°°˖✧▿✧˖°˖✧˖
 
 
すごいと思うものは参考にしていきたいところ。
 
共通して囲碁アートが持っていると思うのは、
 
わからんけどなんかすごいし、良い
 
と思ってもらえるかも知れないところです。
 
 
囲碁であること(引き分けになったりする)
を全力で満たして作っておりますが
その頑張りは水面下にあります。
 
知っている人しかわからないし、
知っててもよく見ないとわからない
というつくりになっています。
 
 
でも、仮にわからない段階でも、人間はすごいものをすごいと思うことができます。
すごいものは、だいたいそうでしょう。
 
囲碁の対局って、プロ・アマチュア、実力問わず、成り立っているものは
全部すごいと思っているのですが
知らないと、かなり、わからないものの一つであると言えます。
(囲碁の弱点としてよく挙げられる部分)
 
 
でも、本当は
 
 
 
直感的に、「なんかすごい」まで届かせることができるはずです。
 
 
もちろん、囲碁を知ると囲碁アートの中にある意味も知れて、さらに味わえます。
(嬉しいことですね)
たぶん、ビートボックスと同じ構造です。
 
しかし、「だから囲碁してみよう」の手前あたりの
「なんかすごい」
までいけると、万人に浸透しうるものになると思うので
そこに届いているかどうか、というのを考えて作るのが今すごく楽しいです。
 
この囲碁の新しい遊び方が、きっと今世紀は熱くなるんじゃないか。