囲碁とロック

好きなことについて

マネ碁・朋斎・囲碁アート

2022-10-13 23:22:10 | 囲碁アート

どうも囲碁アートの関です。

 

 

前回の記事では、この囲碁アート「プロペラ」の、最善手の展開の話をしました。

 

しかし囲碁は、一番良い手を見つけるのが難しい場面が多いです。

対局している最中に、どの手が一番良いのかを自力で確かめる方法がありません。

石を置き直して確かめたり、あるいはAIを使わないとですね。

 

実際に人間同士で、この囲碁アートから勝負をしたときには、また違ったことになるでしょう。

 

 

黒が1手目を打ちました。

ここから、白が取りうる態度は、大きく分けて二つです。

 

前回の記事にあったように、相手と同じ手を打ち続けて

 

この形になるかは分かりませんが、「持碁」(引き分け)に持っていく。

 

もう一つは・・・

 

黒の人とは違う感じで打ち、違う形にもっていく。

違う形になれば、できあがりの陣地の大きさも違ってきます。

つまり引き分けではなく、勝負をつけにいく方針です。

 

これにもまた、二種類ありそうですね。

わたし個人的には、黒1・黒3が、一番いい陣地の取り方だと思っているのですが

白2・白4は、あえてちょっと損だと思う手を打ってでも、展開を変える戦法です。

(実際のところ、黒5「サルスベリ」というめっちゃ良い侵入があり、右上は白が損だろうな~と思う。の図)

 

もう一つは

相手がヘンな手を打った!!と思ったときに展開を変える。

自分のほうが得な手を打って、勝ちを目指すパターンです。

この黒1・黒3は損だと思うので、白2・白4とすれば白が勝てそうです。

 

この瞬間、火花が散っているでしょう。

黒1の手をマネずに、白2って打つということは

「その黒1、ヘンじゃない?そうは打ちたくないね~」

ってことですからね。

 

一番穏やかな引き分けから、解釈の違いをぶつける戦いまで。

この作品は駆け引きの要素を持っており、二つの世界観の選択を人間に迫っています。

 

 

この火花には、わたしはとても見覚えがあります。

「マネ碁」という囲碁の戦法と、それを愛用した故・藤沢朋斎九段の勝負の仕方です。

 

「マネ碁」

 

(マネ碁の一例)

黒1に対して白2、黒7に対して白8など、反対側のところに、そのまま同じ手を打ち返していく。

同じような形になり同じような陣地ができますが、

囲碁の勝負は「コミ」があり、黒の陣地がマイナスされるので、最後まで同じような感じになると白が有利。

黒は、なんとか展開を変えないと負けてしまうわけです。

 

先に言っておきたいのですが、全く推奨しません。

やられた方は困るし、イライラします。ほんとに嫌われちゃいます。笑

信念を持ってやる

そのうえで、マネ碁対策をしっかり知っているくらい強い相手に、あえてやる

これらを満たせばギリギリ大丈夫か・・・?

囲碁では、相手との信頼関係が壊れるようなことは非倫理なのです。(筒井さんも言っていましたね)

 

 

さて、そんなマネ碁を、日本一にもなったことがあるトップの棋士が愛用していたのでした。

藤沢朋斎(ほうさい)九段は、昭和を代表する棋士の一人です。

「昭和の碁聖」呉清源九段との幾度もの十番碁で死闘を繰り広げました。

 

もちろん批判されもしましたが、藤沢九段は「ただ勝つための手段」としてマネ碁を使ったのではなく、

囲碁や勝負の真理を追究しようとしてマネ碁に取り組んだフシがあります。

 

右下と左上が、こうなったことがありました。

(棋譜全体は権利の関係で使えないので、ネコチャン置いときます)

 

お相手は、こう打ちました。

なるほど、△の黒をつなげて守りつつ、下に陣地のようなものができます。

文句なしの良い手。

 

マネ碁中の藤沢九段、左上でも同じにするかと思いきや

 

白2。こう打ちました。

aならマネ碁だったはず。

なんと自分からマネをここで止めて、相手と違うことをしました。

これは、上のところは守らず、左上の黒への攻めを重視した感じの手です。

迫力がある。

 

守らなかったのなら、入るぞ と黒3に打ち、

白4と逃げて、石がからみつく戦いの展開です。

 

黒の右下の手と、白の左上の手。

どちらも良い手で、正しいほうは誰にも分からない場面です。

(もしかしたら、黒のほうが正しかったかも知れない。ネコチャン部分の状況にもよる)

それでも、黒の手のその直後、目の前で異論をぶつけ、

「こっちのほうがいいんじゃないですか」

と勝負していくわけです。

このマネ碁の使い方、ただ相手についていくラクなやつじゃないですね。

 

このケースのように途中で変えることもあれば、とうぶん続けることもあります。

そうなるとオリジナルな展開ではなくなる気がしますが、

それも囲碁の確かな一面であること、

藤沢九段しかやる人がいないので逆にオリジナリティがあることで

個人的には面白いと思います。見てる分には。

 

 

次回、いまだに評判がちょっと良くない、この藤沢九段の考え方について、さらに迫ってみたいと思います。


【囲碁アート解説】囲碁はこれから、引き分けを目指すようになる

2022-10-07 22:22:41 | 囲碁アート

どうも囲碁アートの関です。

 

すごい絵ができました。

 

 

13路盤 題名「プロペラ」

コミなし。黒から囲碁すると、どうなるでしょう。

 

・・・実は、どうなるかは知りません。

間違いなく言えるのは

「最善に打つと持碁(引き分け)になる」

ということです。

 

どの手が最善か、私には断定できませんが、仮にここが最善だったとします。

すると、同じような手があるはずです。

 

こうしたくなります。だって、最善ですから。

 

同様に、黒3も白4も最善です。黒1と全く同じです。

 

この後も、同じ手を打って、くるくる回転していきます。

 

 

最後は持碁になります。

同じ形、同じ陣地ですから自明です。

 

この囲碁アートは

「その構造から自明に、持碁になるべきことが理解できる」

という特徴を持っています。

 

私はよく「ここから囲碁すると引き分けになります」という紹介文を作品に添えますが、

これは、そのように書くまでもありません。

自分の目指すところを形だけで表現できている。

そういった完璧さがあり、この作品は気に入っています。

翔和学園の囲碁授業でも、このアートから囲碁で遊ぶ授業をしました。

 

ちなみに何も置いていない状態は、その見た目に反して、イーブンではありません。

先に石を置く黒のほうが、どうしても有利になってしまいます。

 

そのため、互角の勝負にするためのハンディとして

「コミ」

というものが実際の勝負では定められます。

6目半、つまり陣地6.5マスぶん、黒からマイナスされます。

この「半」、0.5は、どちらかが必ず勝つようにするものです。

 

その6目半も、正しいかどうかは誰にも分かりません。

一応それで、プロやアマチュアの大会は特に不満なく行われています。

 

 

「半」がある実際の勝負の世界観と、

引き分けになるアートを作る、いわゆる「囲碁アート」の世界観は、質的に異なっていると思います。

半の世界では、引き分けはなくすべきものです。トーナメントで引き分けになったら、基本的にはまずいでしょう。

囲碁アートの世界では、勝ち負けは「偏り」で、何かが間違っていることを示します。

黒の人か、白の人か、(そしてこれが怖いのですが)作った人か・・・。

 

 

囲碁アートは、いわゆる「詰碁」(囲碁の問題)とも違います。

(関さん、また詰碁作ってるんですか~、って言われることが多いけど絶妙に違うんだな)

ふつう、それは「どちらかの成功」を目指します。

黒から打って、白を取ってください。うまく侵入してください。など。

二人のゲームだけれど、一人称の世界です。自分は勝ち、相手は負けます。

 

囲碁アートの「持碁」は、つねに二人の問題となり、ワタシもアナタも、の二人称の世界です。

二人の結果が一致し、それを共有します。

 

 

「勝ち負けがない囲碁なんて、ねえ・・・」

と思うのが普通です。

私は別に実際の勝負の世界を消そうとはしていませんが、

引き分けを理想とする囲碁にも独特の別な可能性を感じていて、それを追求しています。

 

授業でも、囲碁アートから対局して、引き分けになった瞬間

なんか嬉しいんですよね。

授業でも、2人してワイワイ喜んでくれています。

周りの仲間から拍手が起きることもあります。

その瞬間って、実際の勝負の「半目勝負」(最小の差)ともまた違います。

 

「持碁」だけが持つ何か、

「持碁」だけが作る対局者同士の関係性が、確かにあるような気がします。

 

 

今回は、この囲碁アートの「理想」の話をしました。

しかし、ここから実際に人間が遊ぶと、また別の面が浮かび上がってきて面白いものになるようです。

次回「マネ碁・朋斎・囲碁アート」

お楽しみに・・・(続くはず)


「本当の囲碁」

2022-01-06 20:57:21 | 囲碁アート
 
最近は、ある文章を実現させるために作品を作ることがあります。
 
 
前回のジャックハンマーですが
「囲碁をすると骨延長されるジャックハンマー」
という文章じたいが自分の中でハマってしまいました。
 
響きがいいんですよね。
実現させなければ、というのを原動力として頑張りました。
 
 
 
「本当は・・・」という言葉とともに投げられた、ソフトバンクさんの囲碁アート。
おお、これは
 
 
伯方の塩に続き、乗っかるしかない!
 
 
どっちの意味で(「絵を描くものじゃない」か、「ゲームのルールにあっていない」か)
本当のじゃないと言われたのかは分からないわけですが
ここは「本当の囲碁にする」を実現させる方法を、頭をしぼって考えてみたいところです。
 
 
さて、どのようにやったものか。
 
たしかに、もとの絵は「本当の囲碁じゃない」かもしれません。
囲碁のルールに合致させるには、目鼻口の黒石か、モフモフの白石。
いずれかの石を動かすことになります。
 
でも、もとの絵はすんごい完璧。
なんとか動かさずにできんものか・・・
 
 
 
 
じゃあ、手前のもまとめて全部いこう
 
 
 
ということで、実現いたしました。
 
これなら、盤面の形をまったく崩さずに、
それでいで本当に囲碁になっている!!!!
(引き分けではないけど・・・)
 
 

シチョウと動くもの。

2021-12-27 12:52:18 | 囲碁アート

 

たぶん今年最後の作品。

自分としては初めての「シチョウ」を使ったものです。

シチョウは、石の取り方です。

▲の白石を取る、いちばん有名なワザがありまして

 

黒1と打って、白石を囲んでいきましょう。

取られないように、白2と打つと・・・?

 

黒3です。

また、取られないように白4。

黒5,黒7,黒9・・・

なんだか法則性が出てきました。

階段状にして追っていきます。

いつかはじっことか自分の石にたどり着き、

 

取れました。

 

このナナメで追いかけていくのが「シチョウ」です。

「執拗」に追うから、シチョウなんだって。

 

 

このシチョウを、ジャックハンマーさんが実装しちゃったら

 

 

足がのびちゃうわけです

 

「バキ」を知っている人ならたぶん面白いと思うので

ぜひ囲碁を知らない人にも、見せてみてください笑

全人類がバキを知っていたら、おそらく10万リツイートされると思います

 

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今回は「いい勝負」ではないので、自分としては新しいですが

シチョウを使った囲碁の作品は、以前から多く作られています。

 

プロ棋士の故・中山典之六段の「ハート」が代表的です。

これすごい。完璧な形にしてます。

 

現役棋士でも大橋拓文七段

インストラクターのあやかさんが、いい作品を最近どんどんアップされていますね

 

 

 

見ての通り、ダイナミックに動き回って、新しい形が生まれるのがシチョウ。

バキで、新しく生まれるもの・・・

 

ジャックの身長しか思いつきませんでした・・・

(シチョウがナナメに動くので、碁盤もナナメにしてみました。)

 

自分はシチョウは門外漢だと思っていて、互角にするほうが専門ですが

なんか動くものを思いついたら、また作ってみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


やりきりました。

2021-01-12 18:29:32 | 囲碁アート

ぜえぜえ

 

 

 

長い戦いだった・・・

ヨコ600路、タテ800路の作品が先日完成しました。

いつも通り囲碁で引き分けになるようにしています。

 

(囲碁です)

 

写真をドット化して、それを囲碁に変換していくという作り方をしました。

それゆえ、いわゆる「絵」とはいいにくい。

黒・白の配置を自分で決めた部分も多いですが(とくに地面は囲碁の勝負に大きく関わる)

ものの形や輪郭は写真のとおりです。

 

いろいろ気づいたことや考えたことがあったので、まとめてみようと思います。

 

・なんの写真?

 

 

私の地元、埼玉県飯能市の山中です。天覧山から多峯主山に行く途中です。

ガチ登山ではなく、ちょっと頑張ったお散歩、みたいなノリで行けるところです。

何年か前、あまりにもいい感じだったので、スマホでおさめた画でした。

 

 

・なぜこの写真を?

 

地元愛。

 

だけでなく

引き分けにするという大変な工程に挑むわけなので、写真の段階である程度の形勢判断(どっちが勝ってるのか判断すること)ができていないと、とても踏み出せないのですが・・・

この写真は「引き分けにできるっぽい」と思わせるものがありました。

 

 

陣地が同じになることが囲碁の「引き分け」。

黒の陣地っぽいところは、色が濃い写真なので、どこにでも用意できそう。

葉っぱの形や木と木の間など、細かく全体に散らばっているイメージです。

石があるところではなく、空いているスペースを囲ったものが陣地です。

黒の陣地のなかに白石がありますが、大体は助からないもの(取られた扱い)になっている)

 

対する白のほうは、地面と空をすべて陣地にすれば、けっこうな広さを用意できそうです。

でも、黒石もたくさんあるじゃん、となりそうですが・・・

 

 

地面にある黒石はほとんどが取られている「死に石」となっています。

この黒石はぜんぶ、終わった後に取り外されて黒の陣地の中に行き、このへんは白の陣地になります。

地面の黒っぽさを出しつつ、それでいて白の陣地にもできました。

 

 

・なんで引き分けが分かるの?

 

囲碁をご存じの方ほど、「引き分けにする」って大変だと思うでしょう。

しかし、実は最近はもう碁盤見てません。

意外と方法はあるもので・・・

 

 

ドット絵のソフトで、色塗りをしています。

大きな碁盤の陣地を数えるソフトはないけれど、ドットの数を数えるソフトはあります(gimpとか)

黒の陣地が緑、白の陣地がピンク。取れている黒石が青、白石が赤。

という色塗りをしていけば、ちゃんと陣地の数がわかるのです・・・!

今回ですと、お互いに25787ドットの陣地を得ており、引き分けになりました。

 

・作っていて印象に残ったところは?

 

ええ、一生忘れないでしょう。

地面と、反則回避です。

 

地面の黒石を、間違いなく全部殺すという作業が約2週間続きました。

いくら石とはいえ、殺生だけを続けていると変な気持ちになってきますよね。

脳があやしいダンスパーティーをしていましたが、どうにか現世に戻ってこれています。よかった石で。

 

そして、「着手禁止点」だけは避けないといけません。

 

 

こういう白石は最初から囲まれちゃってて、ルール違反なので一発アウト。謝罪となります・・・!

目視での確認です。

48万粒のお米が目の前にあって、割れちゃっているやつを一つ一つ取り除いていく感じです。夢に出ます。

 

 

・この作品の意義は?

 

一つはやはり、今のところ一番でかい作品であることです。

そして、SNSで発表していくには、これ以上はきついかな・・・と思われるサイズなので、

ある意味「来るところまで来た」といえます。

ツイッターで細かいところまで見れないですし、インスタでもこれ以上は細かすぎます。それがわかった意味は大きいです。

 

二つ目には、囲碁と現実とがまた一歩近づいたと思います。

すべてフリーハンドの絵ではなく写真を使うということで、現実の物体の線や輪郭、形状が囲碁の中に入ってきた。

目の前のものを囲碁に写すことができる、というのは新たな可能性として考えていきたいです。

 

最後には、すごい囲碁をさせてもらったな、という充実感です。

絵じゃなくなったことで、私の立場というのが、単に、というかより純粋に「囲碁」なんですよね。

画像の形式をjpgから囲碁に変換する人、みたいなイメージです。

特に地面は、全体に合わせつつ囲碁のヨミに集中するという、まさしくこれ囲碁じゃん!!という気持ちでした。

 

 

 

 

そろそろ囲碁アートを始めて5年になります。

色々なものを囲碁にできるようになったので、より多彩に作っていけたらなあと思ってます。

今年もよろしくお願いします!