古いアルバムを整理しているとこんな絵葉書がありました。
「日本アルプス燕山荘発行」のものでした。
(上は喜作新道ヨリ見タル槍ケ岳
下は槍ヶ岳頂上ヨリ見タル穂高連峰)
三俣蓮華岳↓ 黒部五郎岳↓鷲羽岳↓ 水晶岳↓ 野口五郎岳↓
(日本アルプス燕岳山荘発行)
八ヶ岳縦走で爽快な気分を満喫した高校のクラスメイト3人は
今度は北アルプス槍ヶ岳を目指して行きました。
新宿発の夜行列車で松本へ行き、大糸線に乗り換え有明駅に到着。
バスに乗って中房温泉の燕岳登山口近くで降りました。
バスの中ではこんなメロディが聞こえてきました。
画面はこのサイズで見てください。
55~56年前のことだからこの付近の変化は大きいでしょう。
燕岳は登山口から急な坂道で森林に覆われ見晴らしも悪く疲れます。
合戦小屋で一休み、燕岳山頂へ着きました。
燕岳の山荘で一泊。
二日目は燕岳-大天井岳-東鎌尾根-槍ヶ岳(表銀座コースです)。
槍ヶ岳の頂上は意外に狭いですね。
槍ヶ岳山頂より穂高連峰の眺め
槍ヶ岳山荘の宿泊写真がないので(wikipediaを使用)
三日目は槍沢の雪渓と戯れながら横尾、徳沢、上高地へ降り
バスで松本電鉄・島々駅より松本駅より新宿へ帰って来ました。
槍ヶ岳登山の話を聞いた高校生の従兄弟たち2人が僕たちも行きたい!
不安も感じましたが体力はあるようで両親たちの許可も有りました。
2年続けて同じ時間に新宿を発ち同じコース、同じ山荘に泊まりました。
(Wikipediaより 現在の燕山荘) 昔の山荘の面影がありますね。
燕山荘前庭ヨリ見タル鷲羽連峰(日本アルプス燕山荘発行)
従兄弟からも写真の提供を受け綺麗な方を選んだが半世紀前の記録です。
槍ヶ岳頂上で
古い写真で見苦しい所も多々ありますがご了承ください。
5月でも雪が多いですね。
従兄弟たちは槍沢のゲレンデで雪と戯れています。
英国人宣教師ウォルター・ウェストンのレリーフ(石碑)
有名な河童橋もありましたが写真を撮る余裕もなく残念でした。
台風が接近しています。
通過して天候が落ち着いて出かけましょう。
山は逃げません。
明日中央アルプスの方へ山歩きの予定でしたが。。。一旦中止に(/。\)ヽヽヽ
記念に保存している絵葉書は沢山あります。
役に立つことが有りますね。
思います。
私が買った絵葉書は既にどこかに
処分されたようです(笑)。
今日は一日中雨でどこへも行けません。
台風一過、秋風がそよぐ頃に行った方が安全です。
高校時代に久住山や英彦山に登りました。
九州には高い山はないので北アルプスの
壮大な景色に圧倒されました。
写真は貴重品です。
また台風17号が発生とか、5日からのアルプス行きがちょっと心配です(/。\)ヽヽヽ
アルバムは大切に保管なされ整理整頓の
素晴しさが伺えます~!
山登りや山の写真は素晴しいですね。
燕岳の前に2度八ヶ岳に登ったので小生が先輩ですね。
登った回数はおっちゃんの百分の1以下でしょう。
残念ですが登山が出来なくなりました。
でした これを機会に山にハマりましたよ
ブレザー着て登った写真は貴重ですね
写真だけは不思議に残っています。
今見ますと当時のことを思い出して楽しいですね。
槍岳に続けて2度登られたとは素敵な事です。
小生は亡き兄と60余年前に登りましたが、残念ながら写真がありません。
雨よけにヤッケでなくて、ゴザをしょって登った記憶がありますよ!
古い写真がこんなに役に立つとは全く想定外です。
自分の若い頃を思い出しました。
楽しいですね。
このアルバムは都内の下宿屋、勤めで住宅の移動
良く残っていたとほめてあげたいです。
懐かしいです。
見ると甦るでしょう!!
素晴らしいですね
よく写真が残ってましたね!
今‥‥ 思い出しても
懐かしいでしょうね~~~ (^-^)
お互いに昔は若かったですね。
見た目はそれなりですが中身は・・・・
勘弁してください。
学生時代は連休に良く登山しています。
思い出が沢山出来たことには両親に感謝しています。
S36年のボーナスで高級カメラを購入できたのは
寸暇を惜しんで勉学に努めたお褒美でしょう。
素晴らしいことです。
受賞された記念の写真を披露しては如何ですか?
現在は分かりませんが、なんとお若いこと(^o^)
北アルプスは表銀座コースが一般的ですね。
槍ヶ岳に4回はすごいですね。
穂高や涸沢からは登っていません。
涸沢から登るのは大変でしょう。
写真は過去をたどるのに便利ですね。
大天井岳に行けなくて残念でしたね。
運、不運もあるでしょうね。
五月の初め頃ですから高山は未だ冬のようで
草花は見当たりません。
高校時代に久住山や英彦山に登りました。
テントでキャンプの経験もしました。
山には高校時代から登っていました。
好きだったのでしょう。
カメラはポケットサイズ?とても高価なものは買えません。
写真の色は変わったが思い出は残っています。
燕岳ですとお宅からは日帰りコースでしょうね。
燕岳の登りは経験した山では一番厳しかったです。
写真は不思議に撮ったものは残っています。
自分の生きていた証ですね。
あのスタイルが一般的だと思います。
まだ登山者はそれほど多くはありません。
写真や古い本はたくさん残っていますが
肝心なものは全然残っていません。
山の写真は1枚もありません。
昭和36年でしたか下宿の友人と屋久島の
宮之浦岳に2人で登りましたが、その写真も
その翌年ボーナスでNikonFを買って、
霧島連山の縦走の記録も行方不明
雨の中 馬の背越の写真(全紙)が宮崎日日新聞社の
賞をもらったことだけが記憶に残っています。
NikonFはもう動きませんがまだ手元に残っています。
若き日の想い出とともに。
大昔のことですね、こんなことも有りました。
夢よもう一度ですが無理ですね。
私の分まで楽しんでください。
現代の北アルプスの写真を期待しています。
新宿は専らトリスバーでした。
南アルプスも行きたいと思いましたが交通の便が悪いですね。
行っていてよかったと思いました。
あの頃、主なスポーツは野球でした。
高校時代に登山したので山に興味がありました。
写真が残っていたので当時を思い出しました。
それ以来山行が趣味の一つになって続いて居ます。
槍ヶ岳にはコースを変えて4度登っています。
私は残念ながら記憶に残すことが出来ませんでした。
涸沢までしか行ったことがありません。
大天井には仕事で行ける可能性はあったのですが
残念ながらこれも担当することなく終わってしまいました。
健脚と肺活量が凄いのでしょうね。
恥ずかしながら、680mの山が今まで足で登った最高です。
それでもきつかったので、足での山登りは止めました、情けないですね。
ヒューマンも山行きをしましたが、写真が残っていません。
きっとその余裕がなかったのでしょうね
4年前に初めて燕岳に登りましたが急登が続き大変でした。
登山道や山小屋は綺麗になっても今も昔も登山は
厳しいものですね(苦笑)
たくさん写真が残っていていいですね(*^^)v
完璧な山登りの服装で、格好良いですね(^_-)-☆
昔はみんな、この様な服装で登ったのでしょうね(^^ゞ
昨日Yahoo!で、世界最小の花咲いた 茨城の植物園、
と言うニュースが載ってました。
先日行った時にも見られたんですか?
今が見頃となってましたが(^O^)
http://dailynews.yahoo.co.jp/photograph/pickup/?1378035794
このあたりはいかちゃんリタイアしてからの山歩きで歩きましたが。。。景色が違う!
いまではもっと整備されてますね・・・
5日から2年ぶりにそのあたりへ行く予定です。
行ったことはなかったですが、穂高や槍ヶ岳は登ってませんが
八ヶ岳縦走は友人と登った思い出を持ってます、
このようなお山に登ったこと自体が凄い思い出でしょうね。