茨城から発信します

旅が好きです。
見て 聞いた 茨城を紹介します。
昔の写真から旅の思い出を紹介します

Windows 8 その後

2013-06-28 07:00:00 | 雑記

茨城は快晴が続きます。

ブログには写真は欠かせません。

一作日はひたちなか市の「埴輪のあやめ祭り」で菖蒲や水蓮を撮りました。

昨日は「西山荘の菖蒲祭り」でアジサイや菖蒲をたくさん撮りました。

我が家へ帰って来るとアジサイの傍でアゲハが飛び回っています。

抜き足 差し足  そ ~ っと近付きました。

ちょっと失礼 野暮なことは致しません。

菖蒲や水連の写真とアゲハや庭の花を撮りました。

 これらの写真は「西山荘の菖蒲」を撮った後の同じメモリーカードです。

別グループだから「新しいホルダー」を作ったが本体から分離が困難です。

いろいろ試みたが「救いの神」ベルさんにお願いし写真の掲載が出来ました。

私の声も届いたかな ~ W8の改良版が年内に届くようです。

WINDOWS XP は使いやすく便利でした。

一目散にW8へ飛びついたのはXPの反応が遅く

スクロールすると皆さん方の写真が揺れて見えるようになりました。

 W8 年内には W8.1期待しています。

庭のアジサイもきれいに咲きました。

 


茨城から発信します 水戸のあじさいまつり その2 

2013-06-26 07:00:00 | 茨城紹介

保和苑から回天神社と水戸殉難志士の墓へ

向かう途中に延命地蔵尊があります。

別名「ぴんころ地蔵」と呼ばれています。

震災の時は無残な姿でしたが若返って元気な姿になっています。

水戸の観光課に「ぴんころ地蔵」名前の謂れを聞きました。

「生きている時はピンピンして、死ぬときはころり大往生」と答えました。

タイボクサンの花が咲いていますが高くてよく見えません。

安政の大獄、桜田門外の変、坂下門外の変以後国のために

殉した1,785名の志士の霊を慰めるとともに、後世に伝えるため

昭和8年忠魂塔(ちゅうこんとう)が建てられました。

さらに昭和44年には明治維新百年を記念し、回天神社が造営されました。

維新回天の事業の貴い礎となった志士の御霊を祀った聖域といえます。

神社の前後に、一定の形の墓石371基が行進しているように整然と並んでいます。

これは幕府軍との戦いで殉難した烈士の墓で大正3年に建てられたものです。

ここも震災で大きな被害を受けましたが修復されました。

 

常盤共同墓地には格さんや桜田門外の変で活躍した関鉄之助、

藤田東湖のお墓がありますがまだ修復中でした。

 

 


茨城より発信します 水戸のあじさいまつり

2013-06-24 07:00:00 | 茨城紹介

水戸は今、アジサイや菖蒲が花盛りです。

市内では「水戸八幡宮」と「保和苑」がアジサイの名所です。

二十三夜尊桂岸寺は「谷中の二十三夜尊」と呼ばれ親しまれています。

天和2年に檀海和尚が全隈町に開山し、

中山備前守が小松寺住職・宥密を説いて

譲り受け水戸市・松本町に桂岸寺を建立しました。

(助さんや格さんも大分老けましたね)

元禄7年(1694)徳川光圀公の命令により

寺の名を「大悲山保和院・桂岸寺」としました。

昭和の初期、地元有志の手によって拡張整備され、

池に築山を配した純日本庭園になり、名前も「保和苑」となりました。

桂岸寺より水戸市へ移管されたことにより、

保和苑を拡張してあじさいの植栽が行われました。

初夏になりますと、国内の約60種、約6,000株のあじさいが咲き

「水戸のあじさいまつり」が盛大に開催されます。

水戸の梅大使がモデルとなって撮影会もあります。

大勢観光客が来ていました。

7月中旬は猛暑のようで参加は熟慮中です。

次回は皆さん方のために「ぴんころお地蔵尊さん」をお参りしました。

幕末で安政の大獄・桜田門外の変などで亡くなられた

回転神社と水戸殉難志士の墓を紹介します。

 


茨城から発信します 茨城県植物園のバラ

2013-06-21 07:00:00 | 茨城紹介

茨城県植物園のバラは今、盛りを迎えています。

バラ属の植物は、灌木、低木、または木本性のつる植物で、

葉や茎に棘があるものが多く、葉は1回奇数羽状複葉です。

花は5枚の花びらと多数の雄蘂を持つが

園芸種では大部分が八重咲きです。

北半球の温帯域に広く自生しているが、チベット周辺、

中国の雲南省からミャンマーにかけてが主産地です。

ここから中近東、ヨーロッパへ、また極東から

北アメリカへと伝播しています。

南半球にはバラは自生していません。

世界に約120種があるようです。

日本はバラの自生地として世界的に知られており、

品種改良に使用された原種のうち

3種類(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシ)は日本原産です。

古くバラは「うまら」「うばら」と呼ばれ、

『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に

延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌がある。

『常陸国風土記』の茨城郡条には、

「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、

イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。

常陸国にはこの故事にちなむ茨城(うばらき)という地名があり、

茨城県の県名の由来ともなっていて県花は「バラ」である。

バラが咲いた バラが咲いた 真っ赤なバラが ♪

マイク真木の歌が大ヒットしました。

彼の本籍地が茨城県水戸市である縁で、水戸大使も務めていました。 


 


茨城から発信します 茨城県植物園のサツキ展

2013-06-19 07:00:00 | 茨城紹介

茨城県植物園で行われている「さつき展」を見て来ました。

先日のTVで日本の盆栽が欧米人にとても人気があることを知りました。

素晴らしい「さつきの盆栽」がたくさん展示されています。

盆栽の発祥の地やいつ始まったかは知りません。 

江戸時代になると武士の副業として盆栽の栽培が盛んになり、

盆栽や園芸が興隆したと言われています。

盆栽が発展したのは平和の証でしょう。

明治時代以降も「盆栽は粋な趣味」であったが、

培養管理・育成・水やりなど手間や年数がかかります。

長い時間がかかるため、生活環境の推移によって

次第に愛好者は時間的余裕のある熟年層が多くなりました。

戦後から1980年代ぐらいまでの間は、年寄り臭い趣味とされています。

1990年代以降盆栽が海外でも注目を集めるとともに見直す動きが高まり、

若者の間でも粋な趣味として再認識されるようになっています。

花を鑑賞する盆栽に「ウメ、ボケ、サクラ、サツキ」などが挙げられます。

日本の盆栽は1970年頃からヨーロッパで「Bonsai」として人気が高まりました。

盆栽は日本から盛んに輸出されるほか、

ヨーロッパ産の木を盆栽に仕立てることも一般化しています。

1970年代にはすでに米国やヨーロッパにおいて盆栽協会があり、

イタリアには日本にもない盆栽のための専門学校まであります。

日本の盆栽に諸外国人の関心が高いので

盆栽は日本が発祥の地と思っていました。

しかし「盆景・盆栽」のルーツは中国の唐時代でした。