いい日旅人

いい日、旅日和、きれいな夕日を追いかけて日本をめぐります。
備忘録としての股旅紀行。時には異国を歩くかも。体力次第。

地球一周の旅これにて(17日目)

2024年11月21日 | ちょっと異国を歩く
ゆき暮れて 旅人の背に 木枯らしの



バンコクの巨大ハブ空港、
スワンナプーム空港、
混雑がすごいので早めに戻ってきた、
搭乗券はパリですでに発券済み、
そそくさと出国審査をすませラウンジへ、
今回の旅はすっかりラウンジの世話に、
食費をかなり浮かせることができた、



















ソファーでビールをいただきくつろいでいると、
出発便の表示画面にDelayの赤表示が、
先日のラパス空港といい、
またしても最後の最後まで、
出発遅れの洗礼、









じつは、
この便の当初の羽田空港到着、
今夜22:30予定だった、
出発が1時間半遅れということは、
羽田着24時、
本日中に湘南ベースに帰れないではないか、
京浜急行線を利用するのだが、
23:40の羽田発がリミット、
羽田周辺のホテルは、
インバウンドによる需要も増え、
当日の予約はまず無理、
翌朝始発の5時半まで空港野宿、
これしか選択肢がない、
以前経験したことはあるが、
実際多くの深夜便到着客や、
翌早朝出発客で、
羽田野宿者の数はかなりいる、
建物内は空調も効くし、
コンビニなど24時間営業、
早くいかないとたくさんあるソファー、
ほとんどがごろ寝マットと化し、
すべてが占拠される、











覚悟での搭乗となったが、
乗り継ぎ便があるわけでもないし、
日本国内なら何とでもなる、
深夜のタクシー利用を考えたら、
空港内野宿が正解だと思う、
このたびの17日間地球一周の旅、
壮絶な旅でもあったが、
最後は野宿というのも、
これまたふさわしいのだろう、
夜の滑走路を眺め、
この旅をしめくくる旅人であった、
いやー、
凄い旅だった、



冬パリから夏バンコク経由(16日目)

2024年11月20日 | ちょっと異国を歩く
冬はしり 朝霧にじむ 雲海の



三日間滞在した初冬のパリ、
ベルサイユ宮殿は残念ながら雨中、
翌日今日は一転冬晴れ、
朝食を済ませ空港へ、
新装なった近未来的デザインの空港第1ターミナル、
高給ブランドショップが軒を連ね、
まるでショッピングセンター、

  













































予約の便は、
12:30のタイ航空バンコク行き、
パリから日本への便、
直行便が楽なのはその通りだが、
経由便にすればかなり安くなる、
北京や上海経由の中国のエアラインが最安だが、
今回はタイ国際航空を選択、
この夏にラオスへ行った際、
バンコクには立ち寄ったばかりだが、
もう一度ということで、
バンコクでの乗り継ぎが8時間、
街歩きにちょうど良い、











バンコクの到着は翌朝6時、
乗り継ぎのバンコク発東京羽田行きは14:50、
その時間を利用して、
黄金の涅槃像のあるワットポー寺、
前回行っていないのでこの機会に、
冬のないタイ、
前日の冬のパリとはあまりにも対照的、 
汗を拭きながらの街歩きだった、































ベルサイユのバラード(15日目)

2024年11月19日 | ちょっと異国を歩く
枯葉舞う 郷に冬は 遠からじ



パリ最後の日、
昨夜からの雨が残っている、
今日は地下鉄と郊外電車C線、
ゾーン4エリアと市内乗り放題チケット、
14.35ユーロ、2300円をICカードにチャージ、
乗り継いで約1時間、
ベルサイユ宮殿へ、







マチュピチュ遺跡同様、
ここも世界からの旅人で激込み、
時間別の入場になっていて、
早めにネットで購入する必要がある、
旅に出る前に9時半からの入場枠を購入済み、
23ユーロ、3600円は結構な商売だ、





ルイ王朝時代の栄華を見せつけられるわけだが、
たしかに荘厳な芸術作品ではあるが、
よく見ると修復の必要性や、
風化した傷などが目についてしまう、























天気が良かったら、
広大な庭園を回ることもできたが、
小降りではあるが雨も止まないので、
全部を回ることはできなかった、
~降りしきる 雨の歩道~、
湯原昌幸、
雨のバラードだったような、

















さすがに日本人も見かけるが、
他のアジア系に比べると、
激減しているのがわかる、
バブル期の日本人観光客、
今は昔の平家物語になってしまった、
この円安基調では仕方ないのだろう、
賃金も年金も失われた30年間、
ほとんど上がっていないし、









南米から日本へ戻る途上、
3泊で立寄ったついでのパリであった、
明日は帰路に就く、
この旅人は本当にまっすぐ帰るんだろうか、

パリの異邦人(14日目)

2024年11月18日 | ちょっと異国を歩く
木枯らしに 首をすくめる 街すずめ



少し年季が入ったホテルだが、
しっかりリニューアルは施されている、
朝食のメニューも豊富でよかった、
温泉卵もセルフで作れる、
しっかり腹ごしらえのあと、
今日はパリの街歩き、
深まる秋模様のなか、
出かけてくる、











とりあえずはセーヌ川だろう、
地下鉄の乗り放題チケットだが、
ちょっと旅人にはハードルが高そう、
頑張って理解したうえで駅の窓口へ、









ところ変わればシステムも異なる、
まずNaviGoEasyというICカードを購入、
カード代は2ユーロ、310円、
そこに1日乗り放題の情報を追加、
乗れる範囲によってゾーン別になっている、
合計8.65ユーロ、1300円、
オリンピックの期間は2倍に設定されていたらしい、



















セーヌ川は火災で休業改修中の、
ノートルダム寺院の前からスタート、
続いて凱旋門、
そしてエッフェル塔の対岸ショイヤ―宮広場、
頑張れば歩ける距離だが、
乗り放題なので地下鉄利用、























疲れたので、
一旦宿に戻り、
夜になって再度出かけた、
コンコルド広場からのエッフェル塔、
シャンゼリゼ大通りの夜景、
一応定番のコースだったかな、

















明日は郊外にある、
ベルサイユ宮殿に出かける、


翼よあれがパリの灯だ(13日目)

2024年11月17日 | ちょっと異国を歩く
秋燃えて ふりむく方の 頬染めぬ



二晩連続の深夜便、
さすがに堪える旅人であった、
パリの玄関シャルルドゴール空港、
予定通り9時少し前に着陸、
ニューヨークからのデルタ便、
ほぼ満席の人気路線のよう、











ドゴール空港はとてつもなく広い空港で、
搭乗口から入国審査場まで、
歩く距離がとにかく長い、
入国審査はすべて自動化されている、
予約しているホテルまでは、
電車と地下鉄で1時間ほど、
11.8ユーロ、1800円、
13時まではチェックインできないので、
空港のマクドナルドで朝食と休憩で過ごす、
マックのカフェラテ800円、
恐ろしい時代になってしまった、









ニューヨークもそうだが、
パリも大都会、
しかもオリンピックバブルの直後、
とにかくホテル代が高い、
普通のアパホテル級でも3万円は下らない、
今回は3泊の予定、
シャンゼリゼ大通りや、
セーヌ川近くのホテルに泊まれば、
3泊すると15万円は下らない、
この2か月間ずっと予約サイトを検索していた、
パリの中心部、
エッフェル塔からは30分位かかるが、
環状道路外側のガレニという地下鉄駅前、
3泊で5万円以下のホテルをなんとか確保した、
ここを拠点に街歩きをしてみる、
とにかく宿も食事も懐が大変だが、
久しぶりの異国の旅を楽しむことにする、





とりあえず、
三日ぶりのベッド、
今日は身体を休めたいので、
ホテル近くでコインランドリーと、
飲料水を購入して、
適当な料金のセルフ食堂でつつましく済ませた、







しかし外気温は寒い、
パリはもう晩秋というより、
冬といっていいくらいの気候、
緯度は北海道より北になる、
南半球とは真逆の季節、
明日は芸術の街を歩いてみよう、
試練の旅はまだまだ続くのだ、














ニューヨーク乗り継ぎ(12日目)

2024年11月16日 | ちょっと異国を歩く
落ち葉踏み セントラルパーク ジョンレノン



南米ウユニまで訪ねたこの旅、
そろそろ帰路に就くのだが、
とにかく日本とは地球の反対側、
もっとも遠い場所からの帰路、
球体のもっとも離れた2点を結ぶ円周、
数学的には無限に存在する、
来た道とは真逆に進んでも、
帰路の距離は同じ半円周軌道、
それならばと、
太陽の進路とは逆に東に進んだこの旅、
そのまま戻らないで、
地球の自転に合わせて西から東へ進めば、
出発点の日本へ戻れる、
地球上を東にまっすぐ進めば西から元に戻る、
当たり前に理解していることだが、
この旅で実際にやってみることにした、







ところで、
リマでのニューヨーク便への乗り継ぎ、
どうだったんだ、
ラパスを3時間遅れで出た時点では正直、
絶対無理だろうと思っていた、
ラパスからリマに到着し、
入国審査を終えバゲージクレームに行ってみると、
幸運にも預け荷物2個がすぐに出てきた、
急ぎラタム航空のカウンターへ、
自動チェックイン機で予約番号を入れると、
時間切れで発券不可との表示、
真っ白になりながら地上係員に事情を話すと、
カウンターに案内され、
強制的に発券してもらえた、
搭乗口に急げと言う、
出発時刻まで20分しかない、
急ぎ出国検査場へ行くとこれまた長い行列、
整理の担当者に事情を話し、
最優先で列の先頭に誘導いただく、
出国審査を終え、
麻薬大国ゆえの厳しい手荷物検査、
搭乗口へ走る、
セッ、セセーフッ、
大汗をかいたが、
国際線への乗り継ぎ、
30分でクリアできた、
あとで考えても全くの幸運としか思えない、
いくつかの幸運が重ならないとこうはならなかった、









定刻の00:15発のニューヨークJFK行デルタ航空便、
離陸後に出てきた深夜の機内食、
ペルーのビールとともに、
こんなにうまい機内食は初めてだったような、
幸運の余韻に浸りっきりだった、





時差が無いので7時間後の翌朝7時に、
弾丸旅に疲れた旅人を乗せたデルタ機、
マンハッタンのビル群を左に眺めながら、
朝焼けのJFK空港の長い滑走路に着陸、
ここからは大西洋を東に、
フランスを経由して日本へ向かうことにしている、
パリ行きのデルタ262便の出発は今夜19:35、
日中の時間は14年ぶりのマンハッタン、
お気に入りの場所を訪れてみる、
地下鉄のラッシュが収まる時間まで、
空港内のラウンジで無料の朝食をいただき、
長旅で疲れた身体を休めることに、



今日が日曜だったことに気づき、
地下鉄のラッシュは無かったことを理解、
9時過ぎに空港からエアリンク、8.5ドル、
地下鉄3ドル、の計11.5ドル、1700円、
地下鉄Aライン、A列車で行こう、
改札はクレカでのタッチ決済、
販売機に並ぶ必要はなくなった、
それにしても値上がりしたものだ、







A列車はブルックリンのHighSt駅で下車、
ここはブルックリン大橋のたもと、
ここから歩いて橋を渡る、
ニューヨークに来たら必ず行う流儀、
今はもうツィンタワーは見られない、
遠くに自由の女神像を眺めながら、
1時間くらいかけてゆっくり渡ったが、
あまりの人の多さに驚く、
ほとんどが世界中からの旅行者のよう、
歩いて渡るブルックリン大橋、
すっかり観光地化してしまったようだ、
日本のTVのCMでも毎日眼にするが、
以前は地元のジョガーくらいしかいなかったのだが、













次はNY市役所前から再び、
地下鉄Nラインと1ラインを乗り継いで、
アップタウンの72thSt駅、
ここはセントラルパークのウェストサイド、
ジョンレノンフアンの聖地、
ストロベリーフィールズへ、
花が手向けられた広場では今日も歌い手が、
ビートルズメロディ、
たくさんの聴衆、
大都会の中のオアシス、
昔と変わらない光景が毎日繰り広げられている、











早めに15時には空港へ戻り、
ラウンジでゆっくりしたいので、
マンハッタンツアーはこの2か所だけで切り上げた、
夕食も空港のラウンジでいただく、



今夜も8時間超の深夜便、
二晩連続となるとさすがになかなかしんどい、
ちょっと強行スケジュールだったような、
大西洋を渡り日本まではまだまだ遠い、



高度4千Mの街にて(11日目)

2024年11月15日 | ちょっと異国を歩く
秋冷の 朝の珈琲 湯気眼鏡



ウユニを離れ帰途に就く、
しかしながら、
南米の移動はとにかく複雑、
どのルートを組み合わせるのか、
どれが安近短なのか悩ましい、
日本へ向かうため南米を離れるには、
ペルーのリマかブラジルのサンパウロ、
この辺りを出口にするのが普通の様、
最後まで悩んだが、
ペルーのリマから北米に向かうことにした、













ところが、
来るときもそうだったが、
ウユニへの接続便がとにかく不便、
ラパスとウユニを結ぶ便、
サイトで予約できる航空便は日に1便しかない、
今朝は9:15発のラパス行きを予約しているが、
1時間半のフライトでラパスで乗り継ぐその先、
リマからのニューヨーク便は夜中、
日付が変わって00:15発の深夜便、
そのため、
乗り継ぎのラパスで9時間も時間が空く、
それならということで、
標高4000メートルの天空都市、
ラパスの街めぐりをしてみる、





















ラパスはすり鉢状をした地形の都市、
街中のすべての道路が坂道で、
しかも複雑に発達した街なので、
道路も細く無秩序に、
人口密集地でもあり車の渋滞も激しい、
そこで近年考案されたのが、
街中をロープウエイ網でアクセスする交通体系、
12路線のロープウエイ網が、
朝から晩まで動いて市民の足になっている、
路線毎の料金は5ボリビ、100円均一、
市民にとっては生活の足なんだが、
ロープウエイゴンドラからの景色がすごい、
大都会の街並みを上空から散歩できる、
この路線を周遊して、
上空絶景に感動しまくりであった、





























その後、
ラパス空港からボリビアを出国、
ペルーのリマへ向かうのだが、
ラウンジでゆっくり無料の食事をしていた、
まではよかったのだが、
ここでハプニング、
19:00発予定リマ行きの便がディレイとの表示、
結局離陸できたのは22時過ぎ、
リマまでは1時間半の所用時間、
時差が1時間あって時計は1時間戻るのだが、
リマからのニューヨーク行きが現地時間00:15、
ペルーへの入国審査と荷物の受け取り、
それから別の航空会社なのでチェックインと、
国際線なのでペルーの出国審査、
これらを30分で通過できるのか、
乗り継ぎ便は航空会社も異なり、
ましてや格安チケットなので、
自己責任で乗り継ぎの保証も全くない、
もしもの時は翌日便を正規運賃で買いなおすしかない、
絶望的な心境でリマに向かう旅人であった、





ウユニ塩湖(10日目)

2024年11月14日 | ちょっと異国を歩く
秋くれて 渡る鳥の 野にさわぎ



ボリビアのウユニ、
標高3600m、
このところずっと、、
富士山より高いところに滞在、
いつのまにか高所への適応が備わってきている、
息苦しさも意識しないようになってきている、
さて今日は、
ウユニ塩湖への終日ツアー、











ツアーの車はトヨタの4WD、
朝10時半にホテルに来てもらう、
いくつかの旅行社の車列が連なる、
乗車した車には、
ブラジル、メキシコ、ボリビア人、
そして日本人の6名4か国編成、
ガイドの運転手はスペイン語、
なかなか理解できないところは、
ブラジル人の青年が英語で解説してくれる、
こんな国際交流もあるんだろう、






ウユニ塩湖の塩や鉱石の運搬で、
鉄道網が充実栄えていたのは今は昔、
廃線になった鉄路は列車の墓場に、
そんな史跡やお土産店を回る、
お決まりのコースは仕方ない、











11月のウユニ塩湖は、
乾季から雨季への変わり目だが、
まだまだ水量はほとんどなく塩の砂漠状態、
それでも冠水している場所に連れて行ってもらえる、













お決まりの写真撮影会やら、
強烈な紫外線でかなりの日焼け様、
帽子とサングラスは必携、
和気あいあいのプチ国際交流ツアー、
日が暮れてホテルに戻ってきた、
さて、
そろそろ南米を離れる時が来たかな、














塩のホテル(9日目)

2024年11月13日 | ちょっと異国を歩く
秋冷えに 雲のながれる 旅の空



オールナイトの、
3路線乗り継ぎフライト、
さすがに身に堪えるような、
砂漠の街ウユニ空港到着は朝の10時前、
事前情報では、
このフライトには多くの日本人が、
とのことであったが実際は、
多くの韓国人中国人グループが同乗していた、
空港には現地の旅行社だろうが、
ハングル文字のユニフォーム、
熱烈歓迎の出迎えであった、
自国での大掛かりな集客をしているのだろう、
それにしても日本人はどこへ行ったのか、













さて予約しておいたホテル、
塩のホテルとの見出し、
ウユニ塩湖の塩での内装とのこと、
部屋にある椅子もテーブルも、
みんな塩でできている、
空港からウーバーでタクシーを呼ぶも、
待機の車両がいないとのこと、
仕方なく空港待機のタクシーと料金交渉、
30ボリビア―ノ、600円、
まあ相場であろうとして利用した、
ホテルはチェックイン時間前だが、
こころよく受け入れていただけた、
前夜寝ていないので少し寝入ることに、
午後街まで行こうとしたら、
歩くと30分とのこと、
巡回の乗合バンに2ボリビ、40円を教えてもらう、



















ウユニの街はまさに砂漠の街、
砂と塩のダストで空気は汚れている、
たまった洗濯物をランドリーに出したら、
19時には仕上がるとのこと、
3kg57ボリビ、1200円、
明日のウユニ塩湖1日ツアー、
穂高ツアーという旅行社で申し込む、
昼食付でひとりUS30ドル、
朝10時半にホテルまで出迎えてくれる、





















とりあえず腹ごしらえ、
店先で豪快に肉を焼いている焼肉屋、
Tボーンステーキ定食25ボリビ、550円、
なかなかうまかった、
洗濯物を受け取って宿に戻る、
明日の1日ツアーに備えて、
今日は早めに休むことにする、

















ボリビアってどこだ(8日目)

2024年11月12日 | ちょっと異国を歩く
いにしえの 路をたどれば 枯れすすき



クスコの街の中心部、
高台にあるヒルトンガーデンホテル、
朝食会場にはアルパカも登場、























今日の予定、
夕方まではクスコに滞在、
インカ帝国時代の首都、
いくつかの史跡を回ってみる、









































夕方空港へ向かい、
ナイトフライトを3路線乗り継ぎ、
ペルーの隣国ボリビアへ向かう、
目的地のウユニには明朝8時過ぎに到着予定、







ここクスコは標高3400m、
これから向かうボリビアの主要都市ラパス、
なんと標高が4000m超、
ここの空港は世界最高所になるそうだ、
さらに空気も薄くなる、
そんな場所に行って、
本当に大丈夫なのか、
コカキャンディが頼り、





ふたたびクスコ(7日目)

2024年11月11日 | ちょっと異国を歩く
秋冷の 谷わたる風 襟を立て



インカ遺跡の村、
オリャンタイタンボには2泊できた、
遺跡文化に堪能した次は、
標高3400m、
ふたたびクスコに戻る、
高所への適応はもう大丈夫だと思う、







道中の手段としてはバスかタクシー、
所要時間は1時間半から2時間、
宿に相談したら、
コレコクティーボタクシーをすすめられた、
タクシーの客定員4名が揃えば、
ひとり15ソル(600円)、
村の広場が乗り場とのこと、
時間帯が昼前だったからだろうか、
我々2名以外に客が集まっていない、
運転手が4名分2400円出してくれれば、
2名貸し切りで出発するとの提案、
どうも出来レースのようであったが、
まあ妥当な線だろうとして、
2名貸し切りでクスコへ向かうことになった、







往きの列車線路と並行する道であったが、
また異なる車窓を楽しめた、
貸し切りだったので、
予約していたクスコのホテル直行で頼んだ、
ホテルはちょっと奮発、
ヒルトンガーデンホテル、
クスコの高台にあって、
美しい街並みが見下ろせるロケーション、









部屋に荷物を置いたら、
坂道を下り先日も訪れた市場へ、
活気のあるまさに地元の台所、
地元の人に混じって夕食を、
衛生面での不安は拭えないが、
メニューは見ても分からない、
隣の人と同じスープご飯を指さし注文、















宿はそんなに遠くはないが高台にあって、
坂道は息苦しくなるので、
便利なアプリを活用、
ウーバータクシーで戻ってきた、
部屋から見下ろす夜景もまた絶景、










インカ遺跡の街へ(6日目)

2024年11月10日 | ちょっと異国を歩く
秋うれふ インカの道に つむじ風



まさに日本とは地球の裏側、
南半球なので時差だけでなく、
季節も真逆、
ここらで旅人に少し休養を、
ということで2泊、
オリャンタイタンボ村に滞在する、
宿からは目の前の山肌に、
階段状に展開される遺跡群、
ただただ圧倒されるばかり、











雨季シーズンに入る12月から、
5月くらいまでは、
クスコからの山岳峠越えの鉄道、
雨による軌道床の不安定さから運行できないので、
マチュピチュへ向かうルートとして、
クスコからここまではバスかタクシー、
ここオリャンタイタンボ駅から、
マチュピチュまでが鉄道ルートとなる、
したがって多くの旅行者がこの地を訪れるも、
乗り換えのみで通過してしまう、
しかしながらここオリャンタイタンボ村は、
村全体が遺跡に登録されている、
ガイドブックにも詳しくは載っていないが、
そんな場所を通過するだけではもったいない、
今日は朝から晩まで、
どっぷりと遺跡の中を歩いてみる、



























石造りの街並みもなかなかだが、
目の前の山肌に張り付いている遺跡、
施設として管理されている遺跡だけでなく、
まったく手つかずの状態で放置されている遺跡群も、
取り付けの道路も整備されていないので、
まさに崖に登るような状況で、
まったくの自己責任とはなるが、
崖道を頑張って上ってきた、
四国お遍路の45番札所岩屋寺、
あの登山参拝路の難所を思いながら、
山上からの超絶景に圧倒されるのみ、
ただただただ感動、





















































































コンドルは飛んでいたのか(5日目)

2024年11月09日 | ちょっと異国を歩く
アルパカの 尾毛ゆらす 秋の風



昨夜はかなりの雨模様、
枕元で雨音を聞いていたような、
夜が明け窓の明かりで目覚める、
外を見ると小雨模様、
しかし空を見ると明るい、



今日はマチュピチュ遺跡に上ってくる、
この遺跡は今でも謎だらけ、
インカ帝国がスペインにより制圧された16世紀後半、
その後約400年間1911年に発見されるまで、
ジャングルに埋もれていた空中都市、
あの精緻な石組みなど、
当時のどんな技術で建設されたのか、
そんな謎に満ちた遺跡、
まさにこれから上ってくる、
ここマチュピチュの村は標高2000m、
草津温泉とほぼ同じ、
遺跡はここから登山バスで400mほどの場所、
前日のクスコより1000mも低いので、
高山病の症状はまったく感じない、
あとは雨が上がるのを祈るのみ、





予約したマチュピチュ遺跡の指定入場時間は午前8時、
遺跡巡りのコースは4つ、
混雑制限のため毎時200枚の限定販売、
一番人気はサーキット2、
ネット販売でなんと2か月前には売り切れる超人気コース、
今回の旅も、
思い立ったのが9月に入ってから、
まずはサーキット2の枠をネット購入、
本日11月9日分が直近で購入できた枠、
バス代込みだと1万円近くになる、
とりあえず購入するしかなかった、
そこから旅の行程の組み立て、
スカイスキャナーのアプリで、
最安の航空運賃を探しながら、
行程を構築していくという手順、
日本からの直行便はない、





そのあとの情報で知ったのだが、
遺跡への入場枠は、
前日にここのマチュピチュ村の窓口で、
先着順で1000人分が追加発売されるらしい、
しかしサーキット2の枠は200枚くらいで、
数時間前から並ぶことになるようだ、
旅先でこんな激戦にチャレンジできない、
このサーキット2のコースは、
遺跡の最上段から見下ろせるコースになっていて、
教科書にも載っている、
あのおなじみの構図が見られる、
他のコースは遺跡の下の部分になっていて、
下から上を見るしかできない、
大枚はたいて出かけるわけだから、
なんとしてもサーキット2にこだわる、





しかしながら、
問題はその日の天候だ、
この時季は春から夏へ向かう雨季シーズンの入り、
運を天に任せるしかなかったわけだが、
昨夜からの雨は上がり切っていない、
空の明るさだけがたより、





遺跡までは登山バスで30分、
宿では遺跡の開く7時からの客もいるので、
朝食は5時から用意してもらえる、
6時半には朝食をとり、
宿をチェックアウト、
荷物はフロントに預ける、
7時半のバスの行列に並ぶ時点では、
小雨のなかみんなポンチョやカッパ姿、
遺跡内では傷がつくので傘や杖は持ち込めない、





バスは8時少し前に遺跡入り口に到着、
遺跡内ではトイレも無いので、
入場前に入り口脇のトイレを利用、
トイレは有料で2ソル、80円、





願いは通じてなんとか雨が上がった、
天空の遺跡は山上にあるので、
まだ雨雲がかかっているが、
すこしづつ流れていくのがわかる、
むしろ、
少しだけ雲がかかったほうが幻想感が増すようだ、
指定されたコースは後戻りしてはいけない、
遺跡内には多くの監視員が配置されている、
2時間以内の滞在となっているようだが、
ゆっくり3時間くらい遺跡内を回らせていただいた、
遠路はるばるやってきた旅人に、
幸運にも雨は上がってくれたようだ、
絶景を目に焼き付けることができた、













天空の古代都市、
マチュピチュ遺跡から、
インカの谷底を見下ろし、
コンドルの姿を追い求めたのだが、
残念ながら、
動いているのはリャマの姿だけで、
コンドルの飛遊姿を見ることはできなかった、
しかしながら、
心の目には見えていたような、
あのBGMとともに、









マチュピチュ遺跡を堪能し、
昼過ぎには村へ下りてきた、
ホテルで預けた荷物を受け取り、
駅からペルーレールで折り返す、













実は、
今回インカ遺跡について調べていく中で、
もうひとつとんでもない遺跡の存在を知る、
これからふたたびクスコに戻るわけだが、
その途中にあるオリャンタイタンボという村、
標高は2600m、
ここにある遺跡がとてつもない、
じっくり見てみようということで、
これから列車で向かうことにする、
ここオリャンタイタンボには2泊を予約、
少しゆっくりできる、
どっぷりとインカ帝国の歴史に浸ることにする、















インカの谷を辿れば(4日目)

2024年11月08日 | ちょっと異国を歩く
旅ゆけば 風に吹かれて 秋の空



早朝5時起き、
6時からのホテルの朝食、
食している時間が無いので、
前日に頼んでおいた朝食BOX、
受け取ってチェックアウト、
徒歩10分のクスコの鉄道駅、
サンペドロステーション、
ここからマチュピチュ村まで、
ペルー鉄道で4時間半、













列車は7:30定刻に発車、
クスコの街を見下ろしながら、
幾度かのスイッチバックを繰り返し、
峠道を登っていく、
篠ノ井線の姨捨駅や、
いまは不通になっている、
肥薩線の矢岳峠越えの比ではない、
迫力十分のスケール、
テレビで観たことはあったが、
世界の車窓から、
鉄道ファンならずともたまらない行程、











峠を越えた列車、
峡谷に沿って標高を下げていく、
高山病の症状が、
いくぶん和らいでいくのを実感、













列車はマチュピチュ村には、
正午過ぎに到着、
明日の遺跡への登山に備え、
今日の午後は宿でくつろぐ、
夕刻までひと眠り、
登山病の症状も収まってきたので、
明朝の登山バス乗り場を確認、
村の中を歩いてみる、
どこか懐かしい、
伊香保温泉街のような街並み、















ここは世界中の旅人が訪れる街、
レストランの価格も、
完全な観光地特需価格、
適当なペルー料理の店に入りオラー、
アルパカの肉とやら、
メニューの写真を見て
適当なコースを注文した、









この時季の南半球、
春から夏へ向かう雨季シーズン、
峡谷に囲まれたマチュピチュ村、
夜間にはかなりの雨降り、
はたして明朝の遺跡登山、
晴れを祈るしかない、





ここは南半球、
ペルーの山奥深く、
日本と地球儀では真逆、
おそらく、
日本から一番遠い場所、
いやー、
思えば遠くへ来たものだ、





人生初の南米大陸(3日目)

2024年11月07日 | ちょっと異国を歩く
秋深く はるかいにしえ 旅の衆



昨夜遅くニューヨークJFK空港から、
南米大陸コロンビアの首都、
ボゴタで乗り継ぎ赤道を南下、
アマゾンの大河の支流を眼下に眺め、
ペルーのクスコには本日昼前に到着、

















クスコの空港からは、
予約済みのホテルへ、
Uberによるタクシー利用、
運転手との料金交渉も不要だし、
スペイン語もわからないので、
ここは便利な先端技術を利用する、
ホテルはクスコの中心部、
アルマス広場近く、
たいがいのところへは歩いて行ける、















標高3400メートルの古代都市、
覚悟はできていたが息苦しい、
酸欠症状の高山病、
草津温泉から志賀高原へ抜ける、
国道最高地点渋峠でも2600メートル、
富士山にも上ったことが無い、







人生初の最高標高到達、
人により個人差があるらしいが、
歩いたりしゃべったりすると、
症状が強くなるのを実感、
ホテルのロビーにはコカ茶のサービス、
市場に出かけコカキャンディを調達、
日本には持ち帰れないコカイン由来だが、
頼るしかない、
ホテルには緊急用に、
酸素ボンベの用意はあるとのこと、
頭痛と息切れに悩ませられながら、
古代都市の一部を回ってみた、
明日はインカ渓谷を列車で下る、













それにしても、
ゆっくり深呼吸、
コカ茶をがぶ飲み、
コカキャンディをなめながら、
コカインに頼って、
低酸素環境への適応能力を祈るしかない、
これで本当に大丈夫なのか、