今年の夏休みの終わり頃に志賀直哉の「城の崎にて」を読んで読書感想文を800字で書けと言われて
全然書けないと泣いてる学生をTLで見かけたもので、とっくに夏休み終わった今頃書きますよ。(いやあ、意地が悪い)
まず、課題の出し方が間違ってるんではと思います。出した先生がヒドイよ〜。
だってあれ、私小説ならぬ
「死小説」ですよ…。
これから人生を探りながら生きて行く10代は、不安だけど冒険心もあるはずで。
どっちかというと、自分は成功するとか思っちゃっててほしいです。
あれのイミがすごくわかる学生さんて
既に何回か、死にかけるような目にあってるんでは。
あの作品はどうやって生きるかでなくて
どんな風に死ぬのかな、生きるって何だったのかな、
生死って何なんだ、いつかはみんな死ぬし、ゴールでなくて
曖昧な境界を持って並走していて、
実はたまたま今、生という、こっちの世界にいるだけなんではないか…
というようなかんじなんで…
学生さんは人生一周して
アラフィフくらいになった時位に読むのでいいかと思います。
瓦屋根の上のハチはもう、死んでしまってるから
それ以上でも以下でもなくただ厳かだと
それを見つめている。
イモリはつまり、生きるって自分でどうにもならない偶然や運命に取り巻かれ晒され
溺れかかるヒドイ状況のネズミはまさに生きる我々はあんな風…。ジタバタして、ひたすら必死な事を生きると呼んでいる。
でもさ。
これから生きる人に
先に言う?それ。
これから海外旅行だー楽しいぞ!
て人に
財布盗まれるかもよ〜
ヘイトされるかもよ?
散々な目にあうけどそれがまた旅行
とか
言ってもなあ(汗)
まあそれでも学生さんに覚えといて欲しいものがあるとしたら、
例えば、人生
辛い目にあってしまって
必死にもがく場合もある。
それが当面の自分ではなく、
たまたま自分は安全な場所にいたとして
何故か知らないけど自分は、とりあえず大丈夫で
死ぬような目にあってる誰かを見たような場合に
その必死な誰かに対して
蔑んだり嘲笑ったり、みっともないと言って、そこから石を投げたりは…しなくていい。
逃げずに生死を考える。
答えは出なくても、そういうものをふっと、認識する事は
生きる事に優しさ、憐憫を添えてくれるんではないか
とは思うよ。
そして、そういうのは書けば書いたでウソくさいから
書かなくていいんだよ!