ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

佐賀城本丸歴史館の「江藤新平展」

2024年04月06日 | 文学・歴史・美術および書評
念願の「佐賀」に行ってきました!
 (ここのブログ、今週スマホから画像投稿ができなくなってたんですよ)

法事のついでに行ってすまん父。
父も歴史好きだったからOKだろう。


熊本から佐賀って「隣県」とか舐めちゃいかんです。
よく考えたら、自分が九州で行ってない唯一の県が佐賀でした。
本当に…遠い。広いんだ九州大陸;
しかも電車本数無いので…結局時短の為に新幹線に乗ってしまいました。
(JRの作戦勝ちだ)

来ちゃった佐賀城。



お目当ては江藤新平展

いきなりボランティアガイドの人が現れ
「江藤新平見てたら城の説明終わらんから飛ばしましょう」
と言われ
「いえ、私江藤新平だけのために来たんで!」
と言ってお断りしたら「そんな人もおる」
って言われました。
あかんのかい!


江藤さんは推しの推しです。

熊本協同隊隊長の平川惟一の推し。
彼は佐賀の乱に参加しようとしたらもう終わってた
というので引き返すんですが。
処刑後も「江藤さんを殺すことはなかった」と言ってたという。

その平川、熊本時習館から佐賀の弘道館に
藩費で「留学」しています。

佐賀の弘道館というのは厳しくて有名で
テストで落第すると
家禄を減らされます。

死活問題です。ていうか
「この家はお前にかかってる」とか言われるんだぞ
死ぬ気で勉強するよ…


江藤新平もまた、地元の争いを止めようとして
説得しに戻ったんですね。
火に油だからやめろと大隈さんも板垣さんも止めた。

江藤新平が士族を率いて反乱を起こしたわけじゃない。
なら教科書で習ったのは何だったのやら;
しかし、平川の言動とか追ってるうちに
江藤新平も普通に覚えられているような「賊徒」や
危ない革命の首謀者ではないんだなと。

明治のシステムの基盤を作ったマルチな秀才
貧しい中、苦労して弘道館で学び
西洋の文化をいち早く取り入れていた鍋島閑叟に見出された人
そんな人が単なる「賊徒」なわけなかろうが!
いや、なかった、本当。

月曜日しか日程取れなくて
大隈重信とか佐野常民とか記念館、開いてなかった!
けど佐賀城本丸歴史館、開けてくれててありがとうございます!
入場無料…だった。あり得ない。あり得ない展示の良さ
太っ腹すぎる。


駅前に銅像あって
佐野の隣にちょっとだけ座っちゃいました。

佐賀は何も無いとかじゃなくて
「消された」んでしょうね…


それと古賀忠雄先生の彫刻もしっかり撮影。
ちゃんと取材してきたゾ!


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