ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

「遙かなる時空の中で6」と「文豪アルケミスト」

2017年06月26日 | ゲーム全般
実はまで「遙か6」幻燈ロンドを未プレイですので、
もしかしたらプレイ済みの方からはトンチンカンに思える記述になってしまうかも?
と思いますが、ご容赦ください。

まず「遙か」
の5〜6をプレイして、ふと感じたことがあるんです。

もしかして遙か6「里谷村雨」は
作家の「村雨退二郎」ではなかったのか?

というとこと

遙か5 の桐生瞬
彼はもしかして
「桐野利秋」ではなかったか?

など という疑問なのです。



村雨退二郎は、三.一五事件で逮捕されてます。
治安維持法違反で、共産党員だったから。
そこも、触ったら触ったで面倒かなと思いまして。
「遙か」は日本の歴史を扱う以上は、天皇の問題を避けられない。
天皇と民主化、帝国主義とコミュニズム。

また、桐野利秋。彼に関して。
龍馬とは西郷の横にいたなら会ってるでしょう。
高杉を尊敬してる。
帯刀とは同藩。アーネストは薩英戦争あるし
桐野は史実では天狗党に会ってるし、新撰組に至っては
人斬りなんだから言わずもがな。
そして福地桜痴。西南戦争に福地は来てますから…

そこはやっぱり「ヤバイ」と思われたんでは?
ていうか、余計なクレームを避けたかったのかなとは…
どうしても「征韓論」にたどり着くし
なんてね。

ついつい、深読みに走ってしまいます。
あくまで個人的、暴走妄想の類なのですが。

仕方ないですよ!
だってそれは史実なんだもの!!
それに
こんな時代だから、大手メーカーはそれなりに責任あるものね。


「遙か6」の時代と
「文豪アルケミスト」
大正〜昭和初期は、日本文学というのを思う時
非常に興味深い時代です。
大正モダン、西洋文化と日本の文化は
融合するのかと思うとギリギリのところで相反したりして
2作品共に、素晴らしい出来になってて嬉しいところ。
どこか薄暗いデカダンな部分も想像しがちですが、実際はどうだろうなあ…

でも「遙か6」と「文アル」
ちょっとタイプが異なる。
文豪アルケミストの方は、中野重治あたりもきちんと実名で出てて
何でしょうね、別に出ていいのよ、いいんだけど
どっかでこういう実名で扱われる人に対して
こっちが「あ!誰かイデオロギースイッチ入った人が批判するかも!逃げて!」
ってなっちゃう。
だから学術的な人は嫌われる。

でも、「文豪」はタイプを別にすることで
ちょっと面白い進化を遂げてると私は思いました。

というのは

「遙か」は長い「物語」を追って、文脈を読み取るタイプのものです。
小説のように、それにはテーマがあります。
主題というのは、やっぱり伝える側に多少は選択をゆだねられるといいますか
「何が言いたいのか?」の部分に、多少なりとも思想は入り込んできます。

ゴール(エンディング)に向かって走っていく「疑問(発端)ー考え(経緯)ー答え(結末)」の列車に乗るわけです。
それを理解してもらうことで、意味を伝える。
もしその意図から一歩出るとするなら
「すべてにおいて漠然と有耶無耶」を選ぶか「恋愛のみの小さな関係世界で終わる」か…

ファンタジーの中であっても
物語である以上、意味とか意図とかがないとイベントをやっても長いだけでしょう。
まあ、それほどまでに「意味」と「物語」て怖いものなのですよ…


でも、断片ならどうだ?

刀剣にも言えたのかもしれませんが
おそらく、DMM系のシムについて言えば
「我々の理想はこうあるべきで、なぜならこんな事があって」
などという長々とした一連の、ゴールに向かうための物語をやる必要はなく
そこで何を書きどう思ったのかと、それに対する判断自体は(史実を調べようが、放置しようがも含めて)
プレイする側の自由、と投げてくれたかなと思います。

作品としては
まあ、もうこの時代あたりの雰囲気はだいたい好きなんで
どちらも面白い。
「遙か3ultimate」やってますが
「遙か6」も攻略としては各々は短いと思います。
あれから10年ほどして、みんな時間がなくなっちゃいましたかね…
とそんな事も思いました。
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