ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

諭吉暗殺未遂事件と宋太郎の武士道

2020年03月14日 | 文学・歴史・美術および書評
人の考え方というのは何かにつけて2択。
Twitterなんかだと、何か言えば誰かの逆鱗に触れてブロックされたなんてありますが

幕末はブロックどころか命が無いです。斬られます!


大分の中津という所から、西南戦争の薩摩援軍として参加したグループに
「中津隊」というのがあります。
ここのリーダーの増田宋太郎。
ちょっと気になるので書いておきます。

九州では熊本協同隊以外は、やっぱり右翼というか
藤田東湖、水戸国学派が多いです。
増田も国学をやってました。



大分中津というと福沢諭吉。
増田宋太郎は、その福沢の「またいとこ」に当たります。

が…諭吉はああも目一杯に西洋派です。
今ならグローバルITの人だろうなあ。
またいとこである宋太郎は、そんな諭吉が許せない。
当たり前だ、攘夷派だもの。
まあ、成功してる諭吉への嫉妬も無くは無いのかもだけど。

そこで増田宋太郎は友人と福沢を暗殺しに行ったんですが
いざ、斬ろうとしたら寄席の太鼓がドン、と鳴って、
なんかタイミング逃しちゃってやる気失せたのだそう。


さて、自分が親戚に命を狙われてると知って諭吉は宋太郎に…
ではなく、宋太郎の妻宛に
「文明論之概略」という自分の著書を送ります。
でも、妻のシカさんが読むにはちょっと難しい。

プライド高い宋太郎、渋々「貸してみろ」
って、奥さんの為に諭吉の本を読んで解説してあげた。
すると、読んでるうちにこれは正しいのではないかと考えが変わりました。

宋太郎は慶應義塾に入り学び
一時は民権派として認められ、大分で「田舎新聞」の主筆を務めます。


が…
その宋太郎、政府の弾圧で自由な発言が規制され逮捕者が出たり
各地で萩の乱など乱が起きると、それに触発されてしまいました。

いや、人の考えって結構揺れ動くものです。

そしてムリして改めたり受け入れようと努めても、どっか何かきっかけがあると戻ってしまうのかもしれない。

結局、増田宋太郎にとって
その行き着く先になったのが西南戦争への参戦でした。



宋太郎の最期はというとあまりはっきりしてなくて
戦死したという説と「逮捕されて処刑」という説もあったんですが
当時の官軍のスタンスを見ると、やっぱり戦死じゃないかと思います。



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