西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

進駐軍、マッカーサーの「印象」訂正

2011-01-30 | 金沢の思い出
最近、過去の「頭のつくり変え」が必要だと思うことが多々ある。

その原因は、当時、間違った「プロパガンダ(情報宣伝)」に惑わされていたことがある。その「過去」の一つは、「昭和20年代」のアメリカ(GHQ)による「占領時代」である。

私自身、1948年~1954年(昭和23年~29年)まで小学生時代で、普通の日常的情報に影響されやすい年代だったのだ。昭和27年に「占領」が終るまで、日本の出版、放送界はGHQの「検閲」の下におかれてアメリカの「サクラ記事」しか書けなかったのである。(入江隆則著『敗者の戦後』(ちくま学芸文庫)による。)

そして、小学校では、今でも一寸行われているようだが、NIE(newspaper in education教育における新聞利用)運動が行われていて、私たちは毎日アメリカべったりの記事を読まされていたのである。そのため進駐軍やマッカーサー、アメリカ文化について、仰ぎ見ざるをえなかったのだ。

最近、大手マスコミは終戦時になると時々、戦前の翼賛論調を「反省」し、今後そういうことにならないように・・・、などと言い訳しているが、それなら戦後のアメリカの「検閲」に対して言論の自由を掲げて(これは、ポツダム宣言に入っていて、アメリカ自身が違反していたのだ。)何故闘わなかったのか、言い分を聞きたい。

そういえば、最近も大手マスコミは「右にならえ」で、「日米同盟深化」しか言わないが、まだアメリカの影がマスコミをおおっているのだろうか。そういう仮説を持ち、補助線を引いて見ざるをえないのが現状である。

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