鳩山新政権は、アメリカと「緊密で対等な関係を構築していく」と言っている。
それは、まあ「日米安保条約」の堅持の下で、三党の連合政権協議をも踏まえ、(1)米軍の再編に関して、普天間基地を沖縄から県外、海外に持っていくこと(出来れば海外)、(2)地位協定を日本人、特に色々米兵から被害を受けてきた沖縄県民が納得できるように改定していくこと、(3)何ら法的根拠のない米軍に対する「思いやり予算」(豪華な住宅の建築等)を削減していくこと(削減したものは、公約にある国民に対する福祉的目的に使う)、(4)アフガン問題に関連しインド洋での各国の軍艦への給油活動を中止し海上自衛隊を引き上げることなどを機を見てアメリカに何らか要求することなどではないか、と思われる。
アメリカは、「日米安保条約」(1960年)によるというより2005年10月29日に日本の外務大臣、防衛庁長官と米国の国務長官、国防長官が署名した「日米同盟:未来の変革と再編」という文書を盾に色々要求してくると考えられる。
そこでは、「日米安保」では、自衛隊は「専守防衛」の下、日本近海までの防衛をやっていれば良かったのが、「日米同盟」では、米軍に従って世界中に自衛隊が出かけないといけないことになっている。
最近、「日米安保に基づき」という言い方ではなく「日米同盟に基づき」という言い方が多いのは、この2005年の「日米同盟:未来の変革と再編」という文書によっているからである。注意して、アメリカ、米軍の動きをみる必要がある。
これによるアメリカの戦略は、イラクに続きアフガニスタンにも自衛隊を引きこむことである。そして、それまで「一兵」たりとも海外で殺されなかった自衛隊に犠牲を強いるものである。実は、海外での自衛隊の日本船舶のシーレーン防衛は、旧ソ連(ロシア)の核ミサイルを搭載した潜水艦を監視させることにも通じている。(後者の「義務」について日本ではあまり知られていない、と言う)
これは、紛争を武力では解決しない、という憲法に真っ向から違反するものであるし、アフガンの紛争が日本の自衛とリンクしているとは中々言えないだろう。
だが、アメリカは、憲法改定も睨んで戦略を立てている。
で、アフガン派兵は絶対だめであるが、上記の(1)から(4)までの要求をしていく中で、(1)~(3)が何らか解決に向かうことが来年1月まで確実ならば、
(4)の給油は、少し延長しても良い、というのが岡田克也外務大臣の腹ではないか、と推測している。
参考文献:孫 享著『日米同盟の正体-迷走する安全保障ー』(講談社現代新書)この本では、「9.11」は米政府の謀略ではないか、それはベトナムに対する「トンキン湾事件」(北ベトナム軍による米艦船攻撃、それに対抗する形での米軍の北爆があったのだが、実はアメリカの謀略であったこと)と同じ文脈だという。さらに、この本ではイランに対してアメリカが核を使う可能性も論じている。
それは、まあ「日米安保条約」の堅持の下で、三党の連合政権協議をも踏まえ、(1)米軍の再編に関して、普天間基地を沖縄から県外、海外に持っていくこと(出来れば海外)、(2)地位協定を日本人、特に色々米兵から被害を受けてきた沖縄県民が納得できるように改定していくこと、(3)何ら法的根拠のない米軍に対する「思いやり予算」(豪華な住宅の建築等)を削減していくこと(削減したものは、公約にある国民に対する福祉的目的に使う)、(4)アフガン問題に関連しインド洋での各国の軍艦への給油活動を中止し海上自衛隊を引き上げることなどを機を見てアメリカに何らか要求することなどではないか、と思われる。
アメリカは、「日米安保条約」(1960年)によるというより2005年10月29日に日本の外務大臣、防衛庁長官と米国の国務長官、国防長官が署名した「日米同盟:未来の変革と再編」という文書を盾に色々要求してくると考えられる。
そこでは、「日米安保」では、自衛隊は「専守防衛」の下、日本近海までの防衛をやっていれば良かったのが、「日米同盟」では、米軍に従って世界中に自衛隊が出かけないといけないことになっている。
最近、「日米安保に基づき」という言い方ではなく「日米同盟に基づき」という言い方が多いのは、この2005年の「日米同盟:未来の変革と再編」という文書によっているからである。注意して、アメリカ、米軍の動きをみる必要がある。
これによるアメリカの戦略は、イラクに続きアフガニスタンにも自衛隊を引きこむことである。そして、それまで「一兵」たりとも海外で殺されなかった自衛隊に犠牲を強いるものである。実は、海外での自衛隊の日本船舶のシーレーン防衛は、旧ソ連(ロシア)の核ミサイルを搭載した潜水艦を監視させることにも通じている。(後者の「義務」について日本ではあまり知られていない、と言う)
これは、紛争を武力では解決しない、という憲法に真っ向から違反するものであるし、アフガンの紛争が日本の自衛とリンクしているとは中々言えないだろう。
だが、アメリカは、憲法改定も睨んで戦略を立てている。
で、アフガン派兵は絶対だめであるが、上記の(1)から(4)までの要求をしていく中で、(1)~(3)が何らか解決に向かうことが来年1月まで確実ならば、
(4)の給油は、少し延長しても良い、というのが岡田克也外務大臣の腹ではないか、と推測している。
参考文献:孫 享著『日米同盟の正体-迷走する安全保障ー』(講談社現代新書)この本では、「9.11」は米政府の謀略ではないか、それはベトナムに対する「トンキン湾事件」(北ベトナム軍による米艦船攻撃、それに対抗する形での米軍の北爆があったのだが、実はアメリカの謀略であったこと)と同じ文脈だという。さらに、この本ではイランに対してアメリカが核を使う可能性も論じている。
金沢の第二室戸台風で検索していたら、ここにたどり着きました。
昨年の浅野川氾濫のブログなど拝見しました。
実はわたしも金沢大付属出身でおそらく西村さんの後輩になると思います。
1961年の当時はわたしは新竪町小学校6年で、十三間町に住んでいました。池田町の被害も大きかったのですが、わたしのところはさらにひどいものでした。
すぐ近くの堤防が決壊し、なんと床上1mもの浸水となりましたが、、その直前には風速40mの風で、2階から庭のアンズの樹が倒れるのも見ました。
台風の眼に入り風がいったん収まったころ、家の前の当時はまだ暗渠になっていない「どぼす」の水が流れなくなっているのを見て、父が近くの川を見に行きましたが、あわてて帰ってきました。なんと父の後ろを濁流が追いかけている!
あわてて閉めた玄関の格子戸を縦に突き破って水が一気に庭にまで川のように流れ込んできました。
後で気がつくと茶の間にむかいがわの家から流れてきた大きなたんすがどんと鎮座していました。翌日は秋晴れ。城南中の学生ほかがやってきて、庭に10cmほど積もった泥を運んでくれました。
子供ながらにものすごい台風だったことを記憶しています。
鳩山政権の話でしたね。そちらも興味深いですが、関係ないコメントですみません。