<東日本大震災>海保「救えなくても感謝される…つらい」
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「こんな悲しい仕事はない」。東日本大震災の行方不明者捜索にあたる海上保安庁特殊救難隊の隊員はこうつぶやいた。映画「海猿」シリーズで注目されたこの隊の最大の任務は人命救助だ。海上保安庁はこれまで被災地全体で324人を救助、76人の遺体を収容した。だが被災から2週間以上が過ぎた今は、生存者の救助だけでなく遺体発見も難しい。「ここまで捜してもらっても見つからないのなら」。行方不明者の家族が気持ちに区切りをつける。そんな役割も担っている。【石戸諭、村山豪】
救難隊員の増井雅和さん(27)が海面で叫ぶ。「車があった。人がいないか確認します」。26日、岩手県宮古市重茂(おもえ)の石浜地区。前日から周辺海域で捜索にあたっていた特殊救難隊員ら4人の捜索チームがこの日、地域住民に頼まれたのは行方不明者が乗っていた車の捜索だった。
チームが重茂で捜索にあたったのは25、26日だ。25日には行方不明になっていた72歳の男性の遺体を海中で発見した。地区の住民ががれきの下を捜し続けたが、この日まで見つけることはできず、海保に捜索を依頼した。身元を確認した親族は「遺体が見つかるだけでも幸せです」と語ったという。
石浜地区の漁業、石村辰五郎さん(57)は26日、隊員たちに頼み込んだ。「奥さんが流されていて、手がかりがない人がいるんだ。せめて車だけでも見つかれば気持ちが整理できる」。石村さん自身も母スエさん(83)と孫の飛輝(とき)ちゃん(3)の行方が分かっていない。「おらんとこも何にも見つからねえ。だからよ、手がかりがあるなら見つけてあげてほしいんだ」。厳しい表情で語る石村さんの頼みを受け、石浜地区を捜索することになった。
行方不明になったのはこの地区で漁業を営んでいた馬場光紀さん(48)の妻美和子さん(45)だ。石浜地区の昆布の加工場で働いていたところを津波に襲われた。沿岸から200メートルほど離れた場所だ。乗っていた軽乗用車は加工場近くに置いており、乗って避難しようとした可能性もあるという。光紀さんは「(自分たちでは)捜しても捜しても見つからない」と話し、隊員たちの捜索を岸壁近くで見つめた。
◇冷たい海に潜水 必死の捜索
隊員たちは海域の潮流などについて住民たちに聞きながら、捜索場所を決めていく。最初の捜索で車が1台見つかった。岸壁から約50メートル離れた海面に増井さんが顔を出して叫ぶ。「ナンバーは××−××」。住民から「その車の持ち主は別の人だ」と声が上がる。
2度目の潜水では、隊員たちは指も足も感覚がなくなりつつある。5度を切る水温の中で作業を続ける隊員の体力は限界に近づく。その時、「車が見つかった。ナンバーは……」。美和子さんの車だ。隊員たちはすかさず「(中に)人がいないか確認します」と言い、再び潜水を始めた。数分後、潜水服のオレンジ色が海面に上がってくる。叫ぶ。「人はなし、人はなし」。光紀さんは「ふうっ」と息をつき、しゃがみこんだ。
隊員たちが陸に上がってきた。光紀さんは小さく一礼した。そして「良かった。車だけでもあったんだ」とつぶやき、また海を見つめた。
作業を終えてたき火で暖を取る隊員たちから「(見つけられず)悔しいなあ」との声が漏れた。地区の消防分団長が近づいてきた。「ありがとうございました。これで次に進めます」。みんな行方不明の家族をあきらめきれず、災害対応に身が入らない。車だけでも見つかれば気持ちが落ち着く、そういう現実があるという。
陸上で指揮した第2管区海上保安本部刑事課の西野正則さん(52)は言った。「人命救助より、(生きている人が)区切りをつけるための捜索になっている。命を救えなくても、感謝される。これはつらいし、悲しいことだよ」