Winter X Games 2011 が1月30日に行われたようです。いつオンエアか探してたら、こんなのみつけました。このシーズン、中澤選手は12位にランクされたんですよね。ルーキーオブザイヤー(呼び方違うか^^;)も獲ったような。Xゲームも4位だった。凄い年だったね^^。いま、日本にも中澤を超える選手が育ってきつつあるような・・・・。それまでにもうちょっと景気が良くなっているといいな。
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このブログ“スノーモビルくらぶ”に検索ワードで遊びに来られる方、いまは99%スノーモビル関連です。
“中澤裕伺”で検索して来る方も多いのですが、最近は漢字を間違われることが無くなりました。裕ちゃんがそれだけ、より多く知られるようになったからでしょう。
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社長、なにを考えているんですか?
解決しなければならない問題、課題は山積しているのは分かります。
でもひとつひとつ納得のいく対応をしなければ投資が無駄になります。
あなたは企業としてスノーモビルのWPSA参戦を決めました。
YAMAHA BOSS RACING を持ってチャンピオンになる。そう決めたんですよね。
カナダに何人の技術者、スタッフを送り込んだのかは知りません。
でも前回を大きく上回 . . . 本文を読む
YAMAHAワークスの契約ライダーとしてWPSAへの参戦おめでとう。
いままでの道のりがいよいよ実を結ぶ時が来た。
若くして経験したアメリカは挫折の場所でもあったはずだけど、とうとう戻ってきた。
いま感無量の気持ちとともに、第1戦に向けた作業をひとつひとつこなしているのだろうね。
きっと今までで一番の順調な仕上がりとなってきているのでは・・・。
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中澤裕伺選手、26歳の誕生日おめでとうございます。人生には幾つかの大きな転機があるといいます。25歳で、ヤマハワークスで全日本チャンピオンを勝ち取った。ヤマハは4ストロークで世界に打って出ると決断したでしょう。世界的な潮流となった環境に優しい4ストエンジンでレースを勝ち抜きシェアを一気に拡大する。ロードでモトクロスでトライアルで、マリンで成功を納めつつある4ストで企業としての価値を高める。裕ちゃん . . . 本文を読む
「中澤裕伺、ヤマハに復帰」。昨年の3月ごろから騒がれ始め、胸を膨らませ待ちに待った日が2月5日だった。この日が沸騰点、一気に盛り上がる予定だった。ヒート1で4位、ヒート2で2位、戦績としては決して悪いものではないが彼の結果だから素直に喜べなかった。恐らく沢山の人がそう思ったはずだ。中澤裕伺なら第1戦から4ストを頂点に押し上げる、多くの人がそう期待していた。
マシンもさることながら彼のコンディシ . . . 本文を読む
9月に入ってから俄然、スノーモビル関連のキーワードで検索してこられる方が増えました。
でもちょっと気になることがあります。
中澤裕伺で検索される皆様。
「ゆうじ」の「じ」は「伺」となります。
よく「司」になっています。
自分もよく間違われるので、間違われる者の気持ちは理解できます。
正しく書いてやって下さいね。
それと「ゆうちゃん」正式契約成ったみたいですね。
おめでとうございます . . . 本文を読む
中澤選手は2000年の全日本スノーモビル選手権で初のスーパークラスシリーズチャンピオンとなった。
そのころWSAに参戦していたYAMAHAは中澤選手をアメリカに招き、スポットでセミプロオープンに出場させる。
この写真の盾は初戦でいきなり2位になったときの記念すべき日本人初の盾である。
そして、翌シーズンからYAMAHAのファクトリーライダーとしてWSA全戦参戦することになる。
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彼は昨年の04年から再度日本のレースに復帰し、スノーモビル最高峰のスーパークラスでいきなりシリーズチャンピオンになった。
04年は新潟の津南で始まったシリーズ第1戦から北海道の第6戦まで11勝し圧倒的な強さを示した。
05年は新潟の津南戦が中止となり、斑尾からスタートする全5戦でチャンピオンを争うこととなった。
中澤は昨年同様、レベルの違いを見せつけ9勝。2年連続のシリーズチャンピオンとなった。 . . . 本文を読む
日本で世界レベルのレースを見せられるのは中澤裕伺選手ただひとり。
何回も色々なところで書いてきたことですが、
スノーモビルにまったく関心のなかった家内は、初めて全日本の斑尾大会を観戦したとき
入り口でもらったYAMAHAの応援フラッグを力いっぱい振って中澤選手を応援していました。
まったくの素人をも感動させるパワーを彼は持っているのです。
ひさしぶりに見た中澤選手はぽっちゃりした童顔が影をひそめ . . . 本文を読む