命きらめいて☆馬、犬、猫など動物に関する理不尽な事件や心温まる出来事の記録

円山動物園マレーグマ虐待死亡事件/脱走シマウマ水死事件/動物虐殺事件/宮古馬放置死事件/上げ馬神事

なぜ動物愛護が大切か

2016年06月08日 19時53分40秒 | 事件
ネットではよく「動物より人間の方が大切なんじゃないの?動物ごときで何を必死になってるの?」とか言う人がいる。

なぜ動物愛護運動が大切かというと、動物たちの幸福度と人間の幸福度は正比例するからだ。つまり、動物たちの福祉向上を考える思いやりやゆとりのない国が、国民の福祉を向上させる力があるわけがないということである。これはまともな国では一般的な考え方なので、チェックしてみてほしい。

そこで、世界で最も動物に優しい国はどこかを調べてみたら、こんな地図があった。全部の国が調査されているわけではないようだが、人が住み良い国と動物に優しい国はほぼ一致していることが言えるではないだろうか。

参考までに
動物に優しい国はどこ?世界各国の動物への優しさ度を現した動物保護指数インデックスの動物に優しい国指数マップ(日本はABCDEFG中D/動物保護団体ワールド・アニマル・プロテクション作成)
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52179894.html

自分たちの利益のためには、いらない動物を悲惨な目に合わせても問題ないと考える国は、国民の命さえも優劣を付けて、同じように利用することに抵抗がなくなるのではないか?ということを考えてみたらわかりやすいかもしれない。

実際に動物福祉のために予算が取れないようでは、財政に余裕がないと考えるのは不自然なことではないと思う。お金持ちそうな国でも実は国民の知らない所でいらぬところに大量に使われているということもあるかもしれない。個々がそのようなことに関心を持ち、他の存在の幸せのためにを少しだけでもいいから、やれることやるだけでも少しずつ変わってくると思うのだ。

おそらく、それは自分や周囲の幸せにもつながってくると思っている。と書きながら、動物たちが不憫でならないからアクションを起こしている、ということの方が実は大きい。


Photo by yahooニュース

ウッチーとバロンとあまりに悲しい事件が続き、嘆かわしい限りだ。心が折れそうになる時にこの歌を聴くと心が洗われ、勇気が湧いてくる。日本語の歌詞も素晴らしい。

世界一美しい声と言われるサラ・ブライトマンのスキャットとの2曲入り 
坂の上の雲 「Stand Alone」 Vocalise(第1部) + 森麻季(第2部)
https://www.youtube.com/watch?v=3yoROVD-3KQ
作曲:久石譲 作詞:小山薫堂 演奏:NHKオーケストラ

ちいさな光が 歩んだ道を照らす 希望のつぼみが 遠くを見つめていた 迷い悩むほど 人は強さを掴むから 夢をみる 凛として旅立つ 一朶の雲を目指し あなたと歩んだ あの日の道を探す ひとりの祈りが 心をつないでゆく 空に手を広げ ふりそそぐ光あつめて 友に届けと放てば 夢叶う はてなき想いを 明日の風に乗せて わたしは信じる 新たな時がめぐる 凛として旅立つ 一朶の雲を目指し


生後一ヶ月のバロン2014.7.24
Photo by 天王寺動物園スタッフブログ

今の時代はインターネットの恩恵を大きく受けている。バロンのことも一昔前まではどこのシマウマかも知られないまま、闇に葬られた事件だったろう。一方で、なぜか主力なマスメディアによる情報が疑われもせず、まことしやかに伝達される危険性のある時代だとも言えるのではないだろうか。

動物園の事件を調べて行くうちに、不都合な真実が流出しないように規制が引かれる仕組みが今だに、暗黙のうちに昔からずっと続いているのではないかと思うようになった。つまり、マスコミは一方通行で、私たちは疑いもなく情報が伝わる通り、流行に乗り、浮かれたり、泣いたり、笑ったりしているだけなのではないかと思う。

そして、ふと気が付くとこんな時代なのに、メディア・リテラシー(メディアからの情報を識別し活用する能力)教育を学校でとり入れる動きさえ伝わってこない状態なのである。本当のところは動物保護(愛護)分野においても、メディア教育の分野においても、大きく後れを取っている国なのだろう。そんな社会に住んでいるのであれば、間違った情報については各自が識別し、防衛することが大切だ。

それらのことに注意しながら、心ある人はペット産業や動物園の闇などを知ることによって、動物保護ついて意識を傾けてほしい。そして、愛護行政のレベルアップを目指して底辺から声を上げて行くことで、少しず社会を変えて行けるのではないかと思う。

政治家(国会議員、地方公共団体の長、地方議会の議員など)たちが贅沢をするために国民の税金を湯水のように使い、私腹を肥やすことに重きを置いて、とぼけたり法律に触れなければ良いのだなどと弁解する事件が相次ぐことからも、予算は無駄に使われていることがわかる。

同じようなことしたら、一サラリーマンは首になり、号泣県議は罰せられるとも、大物政治家は逃れられるとしたら、ますます無駄金は使われていく。そんなところで余らせている税金は今度こそ正義のメスを入れて、この国で生きている弱者たちのために回してほしいと思う。不必要なところで余っているのだからできないはずはない。

動物たちの待遇について、本当に真剣に考えないと、かわいそうな動物たちは未来の私たちの姿なのだ。


何回も池や川に逃れたバロン
(新たに写真を差し替えた)

誰がバロンを殺したのか

2016年06月08日 14時40分53秒 | 事件


ゴルフ場を走るバロン
https://www.youtube.com/watch?v=t2G3Keb2WOU

これまで、19時間の逃亡の末に、バロンがなぜ死ななければならなかったのかを考えてきた。自分なりの結論としては、やはり、ショック死しやすく麻酔が難しいシマウマは脱走させた時点で、限りなくアウトだと言えるのではないかということだ。

小柄なのにロバのようにジャンプ力もハンパないが、繊細でショックに弱いシマウマには頑丈な個室や飼育環境を用意しておくべきだった。それが全てなのかもしれないと思う。パニックになりやすく、人馬とも無傷で捕まえるのは非常に難しい動物だからだ。

馬というよりロバに近いという証拠に、鳴き声を聞いてみよう。
馬とは全く違うシマウマの鳴き声0:45から↓
https://www.youtube.com/watch?v=NOmc38WuhVA

これなどはロバによく似ている。0:05から↓
https://www.youtube.com/watch?v=8tG7lCLuiXo

ある記事で動物学者がこう言っている。

===ゴルフ場上空は、報道のヘリが飛び、ものものしい雰囲気。シマウマを捕まえるために多くの警察官や関係者らが出動し取り囲んだ。動物学者の本間敏弘氏は「シマウマは馬とは違い、人に慣れにくく、恐怖から突然、暴れだすことも考えられる。どのくらいの麻酔が必要かのデータも少なく、捕獲は非常に難しい」と話した。(スポニチ2016.3.24)===

とは言っても、バロンは何度も言わせてもらうが、映像でもわかるように常に人から逃げ回っているわけではなかった。最後の方では立ち止まることも多くなり、動きが鈍くなってきていた。最後の吹き矢を打たれなければすぐにでも眠りに落ち、助かった可能性もあったかもしれない。だが、最後の方では刺さりやすい首に打ち込んでいたことから、急激にかつ強力に薬が効いてしまった可能性もあって、7本目の麻酔で助かる道は完全に閉ざされてしまったと思っている。

亡くなるまでの一時間の間にどこで7発撃たれたのか
https://youtu.be/IWR_V-_cZKw?t=398

ということは、朝6時半から4時間以上は追い回していただけなのか?!途中から薬で眠らせる作戦に変更したのだとすると、ますます何を考えていたのか理解に苦しむ。麻酔ではなくトランキライザーという通常馬には使わない鎮静剤を使ったという情報もあるが、真相はわからない。心臓マッサージの途中でバロンの向きを池の向こうのカメラ方面に変えたり、ただの投げ輪状のロープでで捕まえようとしたり、とにかく謎の行動ばかりだ。



このように謎が多い捕獲作戦だが、吹き矢などの指示は年配の土岐市専従、H獣医がやっていたようだ。映像からはマッサージの打ち切りを指示したのは彼だった。結果的には放牧場から逃がした飼い主と乗馬クラブだけではなく、バロンにかかわったすべての人たちが驚くほどいい加減で、勉強不足で準備不足だったということがあの仔の死を招いたのだと言える。

とりわけ、「展示の充実」いわゆる客寄せのために産ませておいて、いらなくなったら簡単に手放す動物園、シマウマを甘く見てもろい柵の放牧場でいきなり飼おうとした飼い主と乗馬クラブ、薬の量も状況も考慮せず吹き矢で打ちまくった獣医師たちの責任はとりわけ重い。言い換えると、シマウマのバロンに対する多くの人間の無責任と無知と無関心が彼の命を奪ったのだ。


Photo by メ~テレ

逃がしてしまう前に誰かが「頑丈な囲いを用意しておいてよ。逃がしてしまったら捕まらないからね。」と新しい飼い主に一言言えたらと悔やまれる。それが言えるのは天王寺動物園と動物商Tだったはずだ。だからこそ、そこにも指導が入ったのだと思う。仮に生き延びたとしても、そんな無理解でいい加減な環境の中で、この先20年以上も事故無く生き続けられたのかは疑問が残る。そのような中で生きることが幸せだと言えるのかどうかも、自分にもわからない。

今言えるのは、人間が産ませて殺してしまったバロンに報いるために、このような事件が二度と起こらないように努めることだと思う。そのためにはまず、動物園の動物たちから恩恵を受けている全ての人たちが、動物園の余剰動物問題についてよく考えてみることが大切ではないだろうか。