いぬくそ看板物語(4)
2012年6月13日、静岡県焼津市にてKa最後の勇姿
Kaについて書き残していた事があった。このクルマで実家に逃げ込んだ後の顛末である。それと、静岡におけるいぬくそ看板との新たな出逢い。
2012年4月に静岡の実家に帰ってきて、始めたのがコミュニティFMのディレクターである。小さい頃から親や兄がラジオを聴いていた影響で、私も日常的にラジオを聴いており、馴染みがあった。ビジュアルに依らない、言葉だけのメディアというのが良い。
ただ、FM局に社員として入社したわけではなく、フリーのディレクターとして業務委託されていただけなので、収入が少なすぎた。結局集中してラジオに専念できず、パソコン出張サポートもやりつづけることになってしまった。
パソコンの仕事で静岡の中でも藤枝や焼津といった「より静岡らしい」エリアをうろついていたのだが、クルマ中心の出張サポートなので消耗が激しかったらしく、元から弱かったブレーキローターが完全に逝ってしまった。このままパソコンの仕事を引退か、と、少し考えた。でも、いぬくそ看板を追い続けたかったのか、結局別のクルマに乗り換えることにした。