「最終氷期埋没林」
この記事タイトルを見て、何処にあるのか、それより何があるのかすらピンとくる方はほとんどいないかと思います。
自分もまきくまさんのブログ記事を見るまでは、全く知らなかった場所でした。
こういった記事を見て、知らない場所に出会うことも、こういったブログをやっていてうれしいことの一つですね。
いつか訪問しようと思っていた所、2013年春に早速その機会が訪れることとなったのですが、
逃避行日記2013春(その7)
訪問した時には、崩れた場所を整備するとのことで全体の工事が入っており、立入禁止とされていたのでした。事前に調べて行かないのは、いつものことですが、調べたところで情報が殆どないため、まぁ、致し方ないことではありました。
そして、その1年後。有難いことに、また行く機会に恵まれたのでありました。
※ 弘南バス 五所川原-出来島行(南広森経由)乗車、「出来島」停留所下車徒歩 1分 (1日 4-5便)
出来島最終氷期埋没林
年 代:約28000年前(暦年)
所在地:青森県つがる市木造出来島
特 徴:
現在地付近の日本海岸には、泥炭の黒い露頭が1㎞以上の範囲で連続し、その下位に約28000年前(暦年)とされる姶良(あいら)カルデラ(鹿児島湾)の噴火による白色の火山噴出物(姶良Tnテフラ:「AT」)覆われた、立ち株や倒木が密集する部分がある。これが最終氷期、約28000年前のトウヒ属とカラマツ属を主体とする針葉樹の埋没林である。厚さ30cm程度の泥炭層内に1~5mの間隔で、立ち株の樹根が数百株ほど露出し、全体で数千本に及ぶ大埋没林と推定される。この埋没林は、寒冷な氷期から完新世(縄文時代)の温暖な気候に変動したことによる急激な水位上昇で、針葉樹林が水没・枯死し、さらに泥炭によって埋積されたことで形成された。地球の気候変動や往時の植生を知りうる貴重な資料である。なお、10㎞ほど北の車力海岸には、縄文時代早期(約8000年前)のブナの埋没林がある。
(つがる市・青森県) ※ 現地案内板より
道中の道路が1車線通行で狭いためハラハラしましたが、駐車場スペースはかなり広くとられていました
トイレもあって、車は10台位は楽々でしょう
海岸に出るように階段を下りていきます
左右を見渡すと、海岸沿いにこのような土の壁が続いています
いやはや、どこまで続いているのやら・・・
海岸のため、砂地が歩き辛くて、結構疲れます
埋没林よりも、この土壁に目を奪われます
おおっ、いい色
春先ということもあって、土の中はまだ凍っている部分がそこかしこ
その名の通り、最終氷期後期の極寒期に、急激な環境変化によって針葉樹が水没し
その根が風化せずに残ったものが埋没林として残っているそうです
でも、どこだかよくわからないです・・・
入口から右側にずっと歩いて行ってしまいましたが、左側の方がわかりやすい感じでした
この白っぽい層の下あたりが、その埋没林地帯
確かに、木の質感がわかるような形で残っていました
これは28,000年前だとは・・・
木造といえば、亀ヶ岡遺跡と遮光器土偶で有名な場所ですし、ベンセ湿原や日本最古のリンゴの木、ちょっと足を延ばせば、十三湖に鰺ヶ沢に五所川原など、楽しめるスポットは結構多くありますので、どこかのついでにご覧になってはいかがですか?
<おまけ>
鰺ヶ沢といえば、イカ焼き。イカ焼きといえばわさお
ストレスなのでしょうか、頭の後ろの毛も抜けていて、ふさふさな姿がみられませんでした
<おまけ2>
天気が崩れることがわかっていたため、その後、秋田方面に向かわずに方向転換。
日本一黒いモール泉 「東北温泉」で旅の疲れを癒し
競馬の企画展をやっているとのことで、「三沢市寺山修司記念館」を訪問したり
そんな道中で、印象に残った場所は、青森県七戸町で見つけた奥州街道の一里塚でした。
日本橋から数えて176番目の奥州街道(本街道)にある蒼前平一里塚
一里塚築造後、300年以上が経過していることもあり、現存するものは少なくなっている昨今
こちらが非常に当時の原型をとどめているとのこと
前方の左右二つの小山(右が木に隠れて見え辛いですが)、一里塚の場所となっています
東北電力の敷地の一部だそうですが、きちんとこの場所は保存していただいたようです
有難いことです
こういった場所が、今後も残されることを願います
この記事タイトルを見て、何処にあるのか、それより何があるのかすらピンとくる方はほとんどいないかと思います。
自分もまきくまさんのブログ記事を見るまでは、全く知らなかった場所でした。
こういった記事を見て、知らない場所に出会うことも、こういったブログをやっていてうれしいことの一つですね。
いつか訪問しようと思っていた所、2013年春に早速その機会が訪れることとなったのですが、
逃避行日記2013春(その7)
訪問した時には、崩れた場所を整備するとのことで全体の工事が入っており、立入禁止とされていたのでした。事前に調べて行かないのは、いつものことですが、調べたところで情報が殆どないため、まぁ、致し方ないことではありました。
そして、その1年後。有難いことに、また行く機会に恵まれたのでありました。
※ 弘南バス 五所川原-出来島行(南広森経由)乗車、「出来島」停留所下車徒歩 1分 (1日 4-5便)
出来島最終氷期埋没林
年 代:約28000年前(暦年)
所在地:青森県つがる市木造出来島
特 徴:
現在地付近の日本海岸には、泥炭の黒い露頭が1㎞以上の範囲で連続し、その下位に約28000年前(暦年)とされる姶良(あいら)カルデラ(鹿児島湾)の噴火による白色の火山噴出物(姶良Tnテフラ:「AT」)覆われた、立ち株や倒木が密集する部分がある。これが最終氷期、約28000年前のトウヒ属とカラマツ属を主体とする針葉樹の埋没林である。厚さ30cm程度の泥炭層内に1~5mの間隔で、立ち株の樹根が数百株ほど露出し、全体で数千本に及ぶ大埋没林と推定される。この埋没林は、寒冷な氷期から完新世(縄文時代)の温暖な気候に変動したことによる急激な水位上昇で、針葉樹林が水没・枯死し、さらに泥炭によって埋積されたことで形成された。地球の気候変動や往時の植生を知りうる貴重な資料である。なお、10㎞ほど北の車力海岸には、縄文時代早期(約8000年前)のブナの埋没林がある。
(つがる市・青森県) ※ 現地案内板より
道中の道路が1車線通行で狭いためハラハラしましたが、駐車場スペースはかなり広くとられていました
トイレもあって、車は10台位は楽々でしょう
海岸に出るように階段を下りていきます
左右を見渡すと、海岸沿いにこのような土の壁が続いています
いやはや、どこまで続いているのやら・・・
海岸のため、砂地が歩き辛くて、結構疲れます
埋没林よりも、この土壁に目を奪われます
おおっ、いい色
春先ということもあって、土の中はまだ凍っている部分がそこかしこ
その名の通り、最終氷期後期の極寒期に、急激な環境変化によって針葉樹が水没し
その根が風化せずに残ったものが埋没林として残っているそうです
でも、どこだかよくわからないです・・・
入口から右側にずっと歩いて行ってしまいましたが、左側の方がわかりやすい感じでした
この白っぽい層の下あたりが、その埋没林地帯
確かに、木の質感がわかるような形で残っていました
これは28,000年前だとは・・・
木造といえば、亀ヶ岡遺跡と遮光器土偶で有名な場所ですし、ベンセ湿原や日本最古のリンゴの木、ちょっと足を延ばせば、十三湖に鰺ヶ沢に五所川原など、楽しめるスポットは結構多くありますので、どこかのついでにご覧になってはいかがですか?
<おまけ>
鰺ヶ沢といえば、イカ焼き。イカ焼きといえばわさお
ストレスなのでしょうか、頭の後ろの毛も抜けていて、ふさふさな姿がみられませんでした
<おまけ2>
天気が崩れることがわかっていたため、その後、秋田方面に向かわずに方向転換。
日本一黒いモール泉 「東北温泉」で旅の疲れを癒し
競馬の企画展をやっているとのことで、「三沢市寺山修司記念館」を訪問したり
そんな道中で、印象に残った場所は、青森県七戸町で見つけた奥州街道の一里塚でした。
日本橋から数えて176番目の奥州街道(本街道)にある蒼前平一里塚
一里塚築造後、300年以上が経過していることもあり、現存するものは少なくなっている昨今
こちらが非常に当時の原型をとどめているとのこと
前方の左右二つの小山(右が木に隠れて見え辛いですが)、一里塚の場所となっています
東北電力の敷地の一部だそうですが、きちんとこの場所は保存していただいたようです
有難いことです
こういった場所が、今後も残されることを願います
飼い猫さんの糸の切れた風船みたいな放浪記(←褒めてるつもり)も日常日記も大好きなので、嬉しいです!
書きかけになってる旅行記の続き、たくさんありますよねー? 更新、楽しみにしています。
コメント有難うございます。
期間も空いてしまったので、再開タイミングもつかなかったので、
何事もなかったかのように続けてみました(笑)。
それにしても、皆さんからこんなに早くコメントを頂けるとは、かなり驚いています。
有難うございます。
時代は、lineにTwitterですが、残念ながら乗り遅れてしまったので、まだまだこちらで頑張っていきます。
糸の切れた風船とは、見事な表現ですね(笑)。
これは、公式プロフィールにも書きたいくらいです。
個人的には、膨らみがパッツンパッツンなので、もう少し食う気が抜けて欲しいところ。
毎日記事に書けるほど出かけていませんが、山なんて全くありませんし…ブランク期間の蔵出しでしばらく戦えそうです。
ただ、内容がこんなマイナー記事ばかりですから、お暇なときのお目汚し程度の期待度でお願いします。
あれは、ほんたうにすばらしいです!
で、一里塚がほんとうに塚だったとは、うかつにもいままで知りませんでした。
いやいや、やっぱりブログっていかもだ。
たうたう、いつてきましたよ。
今回も工事中だったら、どうしようかと心配しましたが、行くことが出来ました。
まきくまさんのブログのおかげです。有難う御座いました。
次に行く時は、範囲全域を歩いてみたいです。
一里塚は、こちらで見られるのは、松林と史跡跡の石碑位ですから、
ちゃんと何かしらあるのは、見たことは少ないですかね。
旅行は勉強にもなります。